5
家に帰ると私は、手も洗わず仏間に直行し母の遺影を見つめた。
ハンバーグ、食べてきた。
心の中で話しかける。
美味かったよ。本当に、本当に、美味しかった。今まで避けてきたことが悔やまれるくらい、こんなに美味いものだったのかと思った。
それだけじゃなくてね、前菜とポタージュも美味しかった。コース料理、ちゃんと味わったのは俺は初めてだったけれど、母さんは食べたことあったかな。
最後のデザートもあったはずだけれど、如何せんハンバーグの衝撃で正直よく覚えていないんだ。それどころか、新幹線で帰ってきた記憶も曖昧なんだ。笑えるだろ?
「母さん……」
気付くと頬を涙が伝っていた。
こうして母に話をしたのは、何時ぶりだろうか。
“父さん母さん!見て、成績表!”
“あら渓助、すごいじゃない!”
“俺……!将来は立派に働いて、父さんと母さんに楽な思いをしてもらえるように頑張ります!”
“だってさ、母さん。楽しみだなぁ”
父を亡くしてからは、明るい話題を出すのも酷だと思い必要な会話しかしなくなった。
建前はそういうことにしていたが、本当は臆病になっていただけだった。父を亡くしてから笑わなくなった母。私の話に明るい母を取り戻す力はない、そう明らかになったらどうしようと、私が物怖じしただけだった。
もっと、話せば良かった。
就職が決まったこと。
後輩ができたこと。
初めて好きな人と付き合えたこと。
破局したこと。
でも出世したこと。
取引先の言動が面白かったこと。
同僚と飯に行ったこと。
母と旅行に行きたかったこと。
本当はずっと、ハンバーグが食べたかったこと。
嗚咽はだんだんと大きくなって、私は仏壇の前で声を上げて泣いた。こんなに感情的になったのは、人生で初めてだった。
ひとしきり泣いた後、私は用意しておいたロープをゴミ箱に投げ捨て、再び仏壇の前に座った。
母さん。俺、死ぬのをやめることにする。
だってハンバーグ、本当に美味しかったから。母さんも俺も偏食だったから、まだ食べたことがない食べ物がたくさんあるだろう?それ、全部食べてみようと思うんだ。母さんはもう食べられないから、俺が食べて味を教えるよ。美味しいものをたくさん食べる旅行に行こう。もちろん父さんも連れて行くよ。水入らずの家族旅行だ。
死ぬ気でいろいろ準備してきたから、全部一からのスタートになる。時間はかかると思うけれど、俺、絶対母さんを楽しませるから、待っててよ。
そう言って顔を上げると、額縁の中の母の嫋やかな笑みが、どこか深くなったような気がした。
絶望サラリーマンがハンバーグに命を救われる話 駿河鮭 @sbit_20
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