【41:個人的なことをつづったエッセイが増えた】
以前に比べれば、エッセイは増えたように感じます。
エッセイとはその気になれば、誰でもすぐに始められるジャンルで、手っ取り早さといえば一番です。
なので執筆を始めたくても、何を書いていいかさっぱりわからないのであれば、取り敢えずエッセイを書けば最初の一歩が踏み出せるわけなのです。
そうやって始めたかたがたも、少なくないのではないでしょうか?
カクヨムのエッセイをチラ見してみれば、何気ない日々の出来事から、重苦しい実体験まで、赤裸々につづった作品も数多く公開されています。
昭和のような古い時代であれば、日記帳にこっそりとつづり、誰にも見せない自分だけの秘密でした。
そもそも一般に公開するための媒体がありませんでしたからね。
けどいつの頃からかオープンになり、日記といえども不特定多数の読者さんたちに読んでもらうようになりました。
ある意味、心の衣を脱ぎ去って露出するようになったわけです(えっちな意味じゃないですよ?)。 1990年代後半に流行ったHPやBBS時代にも、WEB上で利用できる無料日記サイトはありましたが、より広がったのはブログが大流行した2000年代前半辺りからではと思われます。
そもそもブログの仕様が日記でしたからね。
この存在が日記帳のイメージをガラリと変えてくれました。
それがやがてWEB投稿サイトの登場とともに、更なる飛躍を遂げたものと思います。
恐らく今でも小中学校の宿題の中には、多かれ少なかれ、日記が課されることがあると思います。
長期休みの際には、数行程度の日記が宿題として出されたことがありました。
休み中のしおりみたいなのを当時は渡されて、そこにそんな欄があったのです。
何でそんな宿題が出たのか、当時はわかりませんでしたが、これって日本語の文章を書く練習だったんですね。
書くことに興味のない人にとっては苦痛でしかないのですが、学校を通っているうちに常識的な国語力を身に着けておかないと、社会に出てからが苦労するのです。
だってより難しい文章を読んだり書いたりするわけですから、しっかりと基本を身に着けておかないと、誤った対応をしてしまいます。
実際、よくわからない文章を書いてきたり、意味を理解してくれなかったりと、そんな大人が結構いるのです(仕事上、足手まといになる)。
だから苦痛でも頑張るしかありません。
それに日記を書くことは、別の意味でも後々とても重要な意味を持つことになります。
一応、日々のアリバイということでも何かの時に役に立ちますが、それよりももっと先の話です。
三十年も過ぎてしまえば、当時のことなどすっかり忘れてしまいます。
おぼろげな思い出や、写真はあったとしても、細かいことまでは覚えていません。
それは実際にアラフィフになり、自分が実感したことでした。
今、カクヨム上や他のサイトで公開されている日記や日常エッセイは、その作者さんの貴重な人生の一幕。
だからこそ、大切に書いて欲しいものと思っています。
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