第24話 ファーストキス大作戦その2、後編
――何にも成れない?
ミルヴァナは、そう言い切れなかった。
子供だろうが、大人だろうが、人間だろうが、魔族だろうが、何にも成れないと言うことが出来なかった。ステファニーには未来がある。そして、同じようにミルヴァナにも未来がある。そうでないとおかしいよと、子供でも分かることだ。ああ、そうなのだとミルヴァナは納得した。
――ミルヴァナは人間に成りたかったのだ。
「大人でも何かになれます。私、奥様とお揃いの人間になりたいです」
ミルヴァナは儚く笑った。笑顔がぼやけて霞んでいく。彼女は白く発光し、一瞬弾けたかと思うと光の粒が一点に吸い込まれる。粒は魔核となってミルヴァナの手の中へ収まった。ミルヴァナは自分の意志で魔核を生成し、人間になることを受け入れたのだ。
「人間になれた……?」
「大丈夫ですか? ミーナ」
ミルヴァナの呟きに答えたのは聞き慣れているような初めてきくような不思議な声だった。手の中の魔核から視線を上げると、ステファニーが優しく笑っている。彼女はミルヴァナの肩を抱くように支えて、すっと立ち上がった。
「奥様?」
ミルヴァナを支えているステファニーは、真っ直ぐにアベラルドを見つめていた。視線の先のアベラルドもステファニーに釘付けだった。
「ステファニー?」
アベラルドはやっと身体の自由を取り戻し、ゆっくりとステファニーに近寄った。ステファニーの外見上は変わっていないが、姿勢も表情も瞳も何かが違う。表情は柔らかいのに、瞳には強い意思をのせていた。
「アベル……」
風が抜けるように吹いて、ステファニーが微笑む。その風はアベラルドの頬をかすめ、ぴりりと痺れた。どっと心臓に血が集まり、過剰な血流が心臓を圧迫して耳まで痛くなった。
アベル。かつてステファニーから呼ばれていた愛称が、確かに聞こえた気がした。もしかして耳までおかしくなってしまったのか。
ステファニーもアベラルドの方へ歩いていく。途中彼女は立ち止まって、右手の甲をアベラルドの方へ差し出した。アベラルドは誘われるままそこにキスを落とす。礼節に則った紳士淑女の挨拶だった。それの意味するところに思い至り、アベラルドは歓喜に震えた。
「ステファニー……」
「はい、旦那様」
ステファニーははにかみながら答えてくれた。愛しさが込み上げて視界が滲んでいく。彼女は真に自分の妻なのだ。健やかなるときも、病めるときも、愛すると誓った。アベラルドはもう何も言えなかった。ただひたすらに愛する人を慈しむ――
ファーストキス大作戦はついに完遂された。
唇同士が触れているのに気が付いたのは、三泊おいた後だった。アベラルドは超高速でその場を離れ、なぜか受け身までとって三回転した。バタバタして慌ただしい。
「chおay'@jI☆H%vaD#nuだq?」
「旦那様、お気を確かに」
「daHまghaH 'e'@Da※Har'かa'?」
フィリップがアベラルドを落ち着かせようとしたが、全く効果はなかった。
「アベル」
ステファニーの落ち着いた声が響くと、アベラルドがぴたりと止まった。顔を真っ赤にしてステファニーから目を逸らしている。
「ステイ」
「はいぃぃっ!」
アベラルドは直立不動となった。妻は夫の扱いを心得ているのだ。
「ふふっ。アベルがその反応では、わたくしの照れる余地がございません」
「すまない……」
ステファニーが優しく笑いかけると、アベラルドの表情もふっと和らいだ。穏やかな雰囲気が二人を包み、ミルヴァナ達の力も抜けていった。エーデルレイク家のご主人達は今日も仲良しだ。きっとずっと仲良しだろう。
『ワオォーーン!』
鳴き声と共に魔犬が花壇の隙間から現れた。魔犬は全速力で魔術陣へ走っている。
「おまえはっ!」
サミュエルが魔犬を阻止しようと反応したが遅かった。魔犬はすでに魔術陣の中へ到達してしまった。魔犬が咥えていた魔核が光の粒となって散っていく。
『フハハハハッ! 愚図共め! 今こそ俺様が復活するときぃ!』
「馬鹿な! 魔核は私が肌見放さず持っていたはず――」
サミュエルは服の内ポケットをあさりだした。
『フハハハハハハハハハハハハハッ……、ハハハハッ……、ハハッ……?』
魔犬に何の変化も起こらなかった。サミュエルがポケットから魔核を取り出すと、にやりと笑う。
「ふふっ、お前の魔核はここにあるぞ」
「あれは、まるたまちゃん?」
サミュエルが内ポケットから取り出した魔核はどう見てもまるたまちゃんだった。ミルヴァナは不思議に思い、ポケットの中のまるたまちゃんを取り出した。よく似ているが、まるたまちゃんはちゃんと手元にある。ミルヴァナは安堵の息を吐いた。
一方、魔犬はサミュエルの魔核を目の当たりにして、わなわなと震えだす。
『はぁ!? じゃあ、盗んだ魔核は誰のもんだ?』
「俺だ」
一同が声の主に集中した。布地が破ける音が響くと、闇夜に紛れて両眼がゆらりと上昇する。怪しく光る瞳孔がそこにいる者達を睨みつけ、異様な威圧感が充満した。
「この姿になるのも久しぶりだな……」
声の主はフィリップっだった。体長三メートルほどの巨大な狼が湖を背景にして立っている。
反射的にアベラルドがステファニーを背に庇った。続いてサミュエルが二人へ駆けつけて戦闘態勢に入る。今にも魔術攻撃を仕掛けそうだ。アベラルドはサミュエルの肩を持って、それを制止した。
「待て。相手はフィリップだぞ」
「それでもヤツは魔族です!」
「まずは俺に話をさせてくれ」
アベラルドはサミュエルより前に出て、フィリップを見上げた。
「でかくなったな。フィル」
「まあ、これが本来の姿です」
アベラルドはフィリップの体躯を見つめた。しなやかで美しい狼だ。自然と畏敬の念を抱いてしまう。アベラルドはフィリップの境遇を知っている。知っていて監視するように行動を制限したり、力を抑制してきた。
「前の主人とは使役関係だったな……」
アベラルド自身がしていることは、使役と何ら変わらないかもしれない。彼は薄々気が付いていた。フィリップは有能で優しい若者だ。いつも裏でアベラルドのフォローをしてくれていた。これは良い機会なのかもしれない。
「行きたければ行けばいい」
「旦那様!!」
サミュエルが嗜めるように声を荒げたが、アベラルドは手を上げるだけでそれを止めた。
「フィル、今まですまなかった。そして、ありがとう」
「……」
フィリップは何も答えずに、ミルヴァナの方へと歩き出した。ミルヴァナはわくわくしながらフィリップを見上げている。
「フィル! ワンちゃんになったのね!」
開口一番の戯言にフィリップは脱力した。
「犬じゃない。狼だ」
「それでも可愛らしいわ」
「はぁ。ちょっと黙ってまるたまちゃんを出せ」
「ええ、いいわよ」
ミルヴァナは何も考えずにまるたまちゃんをフィリップに差し出した。次の瞬間、フィリップはミルヴァナの腕を食べた。
「びゃあああ!」
「ミーナ!」
ミルヴァナの悲鳴があがり、ステファニーが恐怖に震えだした。アベラルドはステファニーの肩を抱き、固唾をのんで見守った。
「ニャハハハハハッ! 無理無理無理無理! くすぐったい〜〜!」
ミルヴァナは悶絶した。周りの者達は呆気にとられている。フィリップがミルヴァナの手から口を離したときには、唾液でベトベトになっていた。
「いやぁ……。フィル! 何するのよ」
「ごちそうさま」
「へ?」
気づけばミルヴァナの手からまるたまちゃんが無くなっていた。
「ああ! まるたまちゃん返して!」
「あれは、まるたまちゃんじゃねぇよ」
「え? じゃあ何なの?」
フィリップは鋭い双眸を怪しく細めて魔犬を見やった。
「魔王の魔核だ」
「ええ!?」
『なんだとっ!』
「魔核は俺の腹の中だ」
ミルヴァナが持っているまるたまちゃんから魔王の匂いがした。人狼に戻ったフィリップにしか判別がつかないだろう。なぜミルヴァナが魔核を持っていたか定かではないが、おそらくサミュエルに襲われたときにでも入れ替わったのだ。
フィリップは愉悦に浸っていた。魔王から魔核という希望を奪ってやった。かつて有力な魔族を使役していた魔王に、仕返しをする事が出来たのだ。
「フィル、なんでそんな事を……」
アベラルドが心配そうにフィリップに尋ねた。フィリップを見逃すことはできても、さすがに魔王の魔核を持ち逃げすることは許されない。これでフィリップを自由にする事が出来なくなってしまった。
「ま、気まぐれです」
フィリップは飄々と返すと、身体に意識を集中した。ミルヴァナが自力で魔核を生成出来たということは、間違いなくフィリップにも出来る。狼から人型へと徐々に変貌し、身体中の魔力を凝縮していく。
「フィル? 人間になるの?」
ミルヴァナが目を丸めた。その表情がおかしくてフィリップは笑ってしまった。
「手のかかるヤツが何人かいるからな。俺がいないと厄介事が増えるだけだ」
「それは大変ねぇ。お疲れ様」
「他人事のように言ってるけど、一人はミーナのことだぞ」
「そうなの? それは助かるわぁ!」
「おいおい……」
嫌味も通じず全く悪びれないミルヴァナに、フィリップは呆れてしまった。意識が逸れて魔核の生成が遅くなる。フィリップが改めて集中すると、手の中に魔核が出来上がった。フィリップは人間となったのだ。
「いかああぁぁぁんっ!!」
アベラルドはステファニーの目を手で覆い隠した。フィリップは全裸だったのだ。ステファニーに見せるようなものではない。
「フィリップ! 貴様!!」
アベラルドが憤怒の形相でフィリップを睨みつけた。ステファニーの事となると理性など皆無だ。
「加勢します! 旦那様!」
サミュエルが再び臨戦態勢に入る。
『うるせぇ! どけ! 俺様の魔核返しやがれっ!』
魔犬が吠える。
「ちょっ、待っ――! 服着るまで一旦停止!」
「「「問答無用!」」」
「おい、ミーナ! こんな時くらい助けろ!」
「分かったわ! 任せて!」
フィリップはすぐに嫌な予感がした。
「ワオォーーン!」
ミルヴァナはなぜか犬に成りきった。
「やっぱ手助けはいらーーーん!!」
「ええ! なんで? 助けてあげるワン!」
逃げる全裸のフィリップを皆が追いかけだした。湖畔の砂場で賑やかに走り回っている。残されたステファニーは一人、庭から湖畔を眺めた。夜空の向こうに一筋の星が流れる。
「これからも皆と仲良く暮らせますように」
ステファニーが星に願った。
元サキュバスは復讐し、淫慾最強を証明したい。 雪陽万春 @acchacoccha
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