第4話 誰を愛してもいい
香奈と衝撃的な再会を果たした翌日、私は、普段通りに学校へと通学した。
私にとって香奈のいない教室は、空虚な
生徒一人がいなくなっても、当たり前に回転を続ける学校は、あっという間に午前中を吹き飛ばし、騒がしい昼休みを迎えた。
「晴海は、好きな男子とかいないの?」
弁当を食べ終えた頃、隣の席の友達――友美がそう聞いてきた。
私にとってこの手の恋愛系の質問は、その度に
人生の中で、この、異性愛が前提となっている質問を、あと何度受けなければならないのだろうと、質問をされる度に思ってしまう。
「いないよ」
香奈の濡れた唇の感触を思い出しながら、私は友美の質問を否定した。
「知ってる? 晴海のこと気になっている男子って、結構いるんだよ?」
友美は少し声を抑え気味に、人懐っこい顔を私に近づけて言った。若干パーマがかった茶色の髪の毛が、私の頬に当たってくすぐったかった。
視線だけで周囲を見ると、私たちの会話を気にしている様子の男子が数人見えた。
「どうせ胸しか見てないでしょ」
「ああー、晴海、胸おっきいもんね」
友美はクラスのスクールカーストの頂点に位置しており、昼休みの今も、彼女の席の周りには女子が何人か集まっている。
私は高校入学当初から、友美と席が隣合っていたという理由だけで友達になり、気がついた時には、彼女のグループに収まっていた。
友美は悪い友達ではない。
『早くこんな田舎から出て行きたい!』
と言って、勉学を怠らず東京の大学を志望し、成績は上位をキープしているし、人当たりも良く、他人に勉強を教えるような優しさも持ち合わせている。
別段、自分がスクールカーストの頂点にいることを意識するような横柄さもなく、高慢でもなく、優しさと労りを持った女子だ。
ただ、友美にはある一点の偏見があるために、私との間に、超えようもない壁があるように感じる。もっとも、その壁を意識しているのは、私だけだろうけど。
「そういえば、晴海さ。香奈ちゃんが見つかったって話聞いた?」
「うん。知ってる」
「なんかさ」
といって友美は、みんなを自分の近くまで引き寄せて、声をひそめてそれを言った。
「香奈ちゃん、自殺したっぽいんだよね」
「え!? ただの家出じゃなかったんだ……!」
友美の友達の一人が、驚いたように言った。
既に知っていた人もいたのか、複雑そうな表情を何人かの女子が浮かべた。
学校では香奈が自殺したことは伏せられており、遺体も見つかっていなかったことから、行方不明扱いになっていた。
とはいえ、人の口に戸は立てられぬ、とはよく言ったもので、日数が経つにつれて自殺の情報はどこからか漏れて出して、脱脂綿が水を吸い取るように、じわじわと学校中に浸透していった。
私が事前に、その事実を知っていたのは、私こそ、展望台に残された香奈のローファーと遺書を見つけた張本人だったからだ。
スマホに届いた、香奈からの意味深なメッセージに胸騒ぎを覚えた私が、香奈を探した結果、偶然見つけたものだった。
その時は、香奈が自殺した事実を認めたくなくて、遺書を読もうなんて発想には至らなかったが、今にして思えば、あの時に読んでおけばよかったと思う。
そうすれば、香奈の苦しみの深遠を知ることができ、香奈にもっと良い言葉をかけられたかもしれない。
「やっぱアレかなあ。香奈ちゃんって、女子が好きなんでしょ?」
「それ広まっちゃったからかなあ」
友美の周りの女子たちが好き勝手な憶測を述べるのを聞いて、私の口は自然と動き出した。
「友美が、あんなこと言うからでしょ」
「……何? 私のせいだって言いたいの?」
友美は殺気立った口調で、私に応えた。まるで、子猫が毛を逆立てて威嚇しているようだと思った。
そう。
友美が持つある一点の偏見とは、同性愛者に対して、酷い嫌悪感を持っていることだった。
彼女が体育の着替えの時間、香奈に言い放った言葉を、私は忘れていない。
『女子が好きなんだったら、別の教室で着替えてくんない? 私、レズにそういう目で見られたくないんだけど』
「ま、たしかに言い過ぎたところはあったけどさ」
友美は直ぐにいつもの態度に戻った。
私と友美の距離感は、大抵こんな調子だ。
友達同士だが、言いたいことはお互いズバズバ言う。遠慮はしない。喧嘩することもある。そういう関係でいいのだと、無言の了承があった。
「晴海にしてみれば、そりゃあ、幼馴染が
「別に香奈は、そういう目でみんなのこと見てないでしょ」
「分かんないじゃん。下着見られてラッキー! とか思ってるかもしんないじゃん」
友美と私の徐々に激しくなっていく口喧嘩に、周囲の女子達は巻き込まれたくないと言わんばかりに、その輪を少しずつ広げて、いつでも隙を見て離脱できる用意を取り始めた。
「じゃあ、友美は、和也の下着姿を見たいと思う?」
と私は女子グループの直ぐ外に立っていた、男子を指さして言った。
指をさされた和也は、「え? 俺?」と困惑したように慌てふためいていた。
「あぁ……、ぶっちゃけ遠慮したいわ」
友美の答えに和也は落ち込んだように肩を落として、教室から出て行った。
「晴海の言いたいことは分かったけどさ、それでも、同性が好きとかあり得なくない? 友達として好き、とかならまだしもさ、恋愛として同性を見れるかっていったら、私は絶対無理!」
カッターの刃を突き立てられたような気がした。
「そもそも、香奈ちゃんが自殺しようとしたのって、私のせいじゃないっしょ。どっちかっていうと、香奈ちゃんがレズだってバラした奴が一番悪いじゃん」
香奈が恋愛相談したという図書委員会の子は、他のクラスの子のようで、私も誰かは知らない。
ただ、クラスから一人ずつ輩出される図書委員は数が少ないため、犯人捜しをしようと思えば、簡単に探し出せてしまえるだろう。
「はあ。私は知りたくなかったなあ。香奈ちゃんがレズだってこと。知らなければさ、今まで通り、普通に友達でいられたのに。バラした奴、マジ恨むわ」
「マジ、それ」
「でしょ~。人の秘密を勝手にバラすとか、最低じゃん。そこは香奈ちゃんに同情する~」
誰にだって、自分の秘密を、プライバシーを公開する権利はある。
それがセンシティブな内容なら、尚更、それは尊重されるべきものだ。
それなのに、香奈はその権利を奪われ、追い詰められ――自殺を選んだ。
本当に、恨む。
「そう思うなら、香奈に今まで通り接してあげればいいじゃん」
「そうしたいけどさあ、レズとかホモとかキモいじゃん。全然理解できないし」
「そんなに香奈のこと嫌いなの?」
「いや、香奈ちゃん個人は別に嫌いじゃないけど、レズだってことが受けいれられないの」
香奈という個人は受けいれられても、香奈がレズビアンだという事実は受けいれられないとは、どうしてそこまで、
男性は女性を愛し、女性は男性を愛する。
それは本当に当たり前のことなのか、彼女は考えたことがあるのだろうか。
私は思う。
異性を愛することと、同性を愛することに、どのような差があるのかと。
愛とは、子どもを作るためだけに存在するわけではないはずだと。
それなのに、どうして異性愛は当然と受けいれられて、同性愛は受けいれられないのか。
もし、生殖こそ愛の本質だとするのであれば、身体や精神的、経済的な理由で子どもを持てない人たちの愛は、ただの幻想になってしまう。あるいは、そもそも子どもを持たないことを選択した人たちは、愛し合っていないことになるのだろうか。
愛が生殖に由来するのであれば、誰も愛について、悩み、苦しみ、涙する必要はないはずだ。
『愛はお互いに見つめ合うことではなく、共に同じ方向を見つめることである』。
そういったのは、たしか『星の王子さま』の作者、サン=テグジュペリだったか。
「同性が好きって、ほんと意味分かんない」
友美の
スクールカーストの頂点にいる彼女がそのように言うものだから、他の女子も香奈に話しかけるのを躊躇うようになり、結果として、香奈の孤立を促した形になった。
もちろん、友美が悪意を持ってそれを実行したわけではないだろうが、もう少しだけ、自分のクラスへの影響力を自覚して欲しいと思った。
「それで、香奈ちゃんっていつから登校してくるか、晴海聞いてる?」
「さあ、知らない。香奈、スマホも壊しちゃったみたいだから、連絡も取れないんだよね」
香奈は海に飛び込んだ際にスマホをポケットに入れっぱなしだったようで、スマホはあえなく水没。
直接会おうと思い、今朝方、登校中に香奈の家に足を運んだが、会うのは拒絶された。
どうしてそこまで、私に会いたくないのか。
やはり、昨夜……、キスしてしまったことが原因なのだろうか……。
好きでもない人にキスされて、私のことも嫌いになって、信じられなくなってしまったのだろうか。
そう思うと、翼を失った燕のように心が墜落していくような錯覚に陥った。
それでも、私の香奈に対する想いに変わりはなかった。
どれだけ周りに否定されようとも、誰を好きになるのか、その想いを変えることはできない。
私たちは、誰を愛してもいいはずだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます