第5話 アウティング

 水泳部が休みだった私は、放課後、図書室で『豊海大神』について調べていた。


 結論から言うと、そのような神は見つけられなかった。

 唯一、郷土史に『豊海大神』を祀った神社があったという記述があるだけで、では、その神が何者で、どういう由来があるのかなど、詳しいことはまったく分からなかった。


 ただ、似たような名前で『豊受大神トヨウケオオカミ』という米や衣食住を与えてくれる、食と産業の神様が、伊勢神宮の外宮げくう『豊受⼤神宮』に祀られているという。

 同じように、食物を司る神として『大宜津比売神オオゲツヒメノカミ』がいる。彼の女神は、『須佐之男命スサノオノミコト』に斬り殺された後、その遺体から稲やあわや麦などの食物が生えたことから、食物起源神話の形式のひとつだとされている。


 そういう意味でいうと、昔から鯛漁業が盛んで、現在では養殖にまで手をつけているこの地域において、海からもたらされる幸の筆頭として鯛が配置され、それを神に祀り上げたと考えると良いのだろうか。


「でも、結局、今は信仰されていないしなあ」


 廃れた土着信仰に過ぎないのか。

 はたまた、また別の意味合いを含んでいるのか。


「駄目。分からない」


 そもそも、私が骨を折って『豊海大神』について調べているのは、どうして香奈の人魚化が、キスをした途端に戻ったのかを知りたかったからだ。

 『鯛女房』のように、何か民話で、そのような言い伝えでもあるのかと当たってみたものの、それらしい話は見つからない。

 香奈は、トヨウミさんに人魚にしてもらったというが、トヨウミさん自身はその件について触れなかった。


「グリム童話の『かえるの王さま』じゃあるまいし……」


 愛の力で戻ったなどという、小っ恥ずかしい理由ではないことを祈ろう。


「あ、あの……」


 椅子に座って郷土史を広げていた私に、同い年くらいのポニーテールの女子が話しかけてきた。そばかすが散った丸っこい顔は、まだ中学生だといっても信じられそうな幼さを残していた。


「何か?」

「えっと、私、図書委員の朝井くるみって言います」

「図書委員?」

「はい。あの、A組の松隈まつくま、晴海さん……ですよね」

「……どうして、私の名前を?」

「か、香奈から、聞いて……」


 その瞬間、連鎖的に繋がるものがあり、思わず立ち上がった。


「……まさか、あなた……!」

「ひっ」と朝井は声を上げた。「ご、ごめんなさい。こんなことになるとは、思わなくて」

「じゃあ、やっぱり、あなたが香奈の噂を広めた張本人ってわけね」

「ひ、広めたわけじゃありません」


 今にも泣き出しそうな顔で、朝井は釈明をはじめた。


「会話の流れで、香奈から恋愛相談を受けたって、友達に話した時にポロッと出ちゃって。秘密にしてって言ったんですけど、いつの間にか広まって……」

「なにが、ポロッとよ……!」


 自らさえ粉砕しかねない怒りが込み上げてくるのを、私は抑えることができなかった。


「香奈は……! あなたを信頼して打ち明けたはずなのに、話の流れで口を滑らせただなんて、よくもそんな……!」

「わ、悪気があったわけじゃ……」

「あったら余計にたち悪いでしょ!」


 私の声が、静かだった図書室にわんわんと響いた。

 幸いにも、利用者は私しかいなかったため、他の図書委員が顔を出して、こちらを遠巻きに見てくる程度で済んだ。


 私の叫びを受けて、遂には朝井はぽろぽろと泣き出してしまった。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ほ、ほんとは、香奈にも謝りたくて……、で、でも、噂が広まってから、香奈に話しかけると、すごく青ざめた顔して、逃げ出すようになって……」


 当然だ。信頼できると思って、自分の一番深い心の内を明かしたのにも関わらず、自分の知らないところで裏切られていたのだ。

 繊細な香奈が、もう一度、朝井とまともに会話をしようと思えるとは考えられない。


「香奈から、松隈さんが幼馴染で、親友だと聞いていたので……、その、厚かましいのは分かっていますけど……、松隈さんから、私が、謝りたいって思ってるって、伝えて欲しくて……」


 一応、この子も反省はしているようだ。

 私は一度、丹田たんでんに意識を集めて深呼吸をして、落ち着きを取り戻そうとした。


「……分かった。香奈に会えたら、伝えておいてあげる」


 私がそういうと彼女はほっとした表情を見せた。


「でもね、覚えておいて。あなたがしたことって、アウティングって言って、本人の性のあり方……この場合、香奈が女性が好きになるっていうことを、本人の許可なく他人に暴露する、最悪、その人の命に関わることなの」


 ほっとしたのも束の間、朝井はさぁと青ざめた顔した。


「実際、香奈は自殺未遂を図ったし、人間関係も壊れて、噂も学校中に広まった。こんな田舎じゃ、学校どころか、近所中にまで広まってる可能性だってある。あなたが反省しているのは分かったけど、だからといって、香奈の今までの日常が戻るわけじゃないってことを、忘れないで」


 私は憤怒を押し込めながら立ち上がると、郷土史を本棚に戻して、朝井の前から立ち去った。

 図書室を出る前に振りかえると、朝井が肩を落としたまま、すんすんと泣いているのが見えた。

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