いのちのつづき

ひなたひより

いのちのつづき

 子供の頃、死にかけたことがある。

 小学三年生の夏。

 友だちの家から帰る途中だった。

 十七時三十分。

 今でも覚えている。

 どうしても観たいアニメがあった。

 当時人気を博していたロボットアニメ。

 早く帰ってテレビの前に座りたかった。

 いつもは通らない近道。

 夕方の光が照らす雨上がりのあぜ道を抜けた。

 必ず渡らなければならない普段はあまり車の走らない二車線の道路。

 いつもは信号のある横断歩道まで出て渡る道を、何も考えず飛び出した。


 ドン。


 大きな音がした。


 大人が数人、自分の手と足を持って引っ張っている。

 気が付くと人の体がすっぽりと入るぐらいの側溝に体が挟まっていた。

 助け出されて普通に辺りを見渡し、乗っていた自転車を探した。

 自転車は少し離れた所で倒れていた。

 フレームとタイヤが異様に変形している。

 滑稽な姿に歪んだ自転車に、その衝撃の強さを容易に測れた。

 当たり前のように大破した自転車。

 大した怪我も無く服の汚れを気にしている自分の方がきっと普通ではなかった。


 事故の電話を受けて蒼白な顔で駆け付けた母から後で散々小言を言われた。

 血の気が引いた。そう母は言っていた。

 この事故で一番慌てふためき迷惑したのは、商業用の軽トラを運転していた青年だった。

 いきなり飛び出してきた少年を撥ねた後、すぐ病院に連れて行き、また事故現場へと戻って警察に調書を取られていた。

 特に大した怪我もしていなかったので、余計に子供ながらに迷惑をかけてしまった事を申し訳ないと思った。


 そんな昔話を苦笑交じりに彼女に話している。

 少年は高校二年生になっていた。

 帰りの通学路。

 時々立ち寄るコンビニの一角。

 いつもは誰かが陣取っている狭い飲食コーナーには自分たち以外の誰もいなかった。

 春から付き合いだしたお気に入りの彼女。

 少し可愛い子だなと一年の時から意識していて、新学期から同じクラスになれたのに舞い上がった。

 告白できたのは、たまたま通学路が同じだったから。

 後ろから呼び止めていきなり告った。

 そして今こうして並んで紙パックのジュースを飲んでいる。


「すごいね。ちょっとした武勇伝じゃない」

「いや、そんなんじゃないよ。恥ずかしい体験ってこと」


 自慢げに話していたのだろうか。

 ちょっと嫌な奴だと思われたかもと心配した。

 ガラス越しに外の景色を眺める彼女の横顔を伺う。


「ねえ、そろそろ行こうか」


 彼女は席を立つ。こちらの話にそれほど関心を持ってもいなかったようだ。

 コンビニを出て先週あった体育祭が話題に上る。

 足の速い彼女は体育祭で活躍した。

 陳腐な誉め言葉でも彼女は照れたように笑った。

 退屈させていないだろうかと心配だったけれど、楽し気な笑い声にほっとした。

 青臭い高校生の恋。

 思い返せば恥ずかしくなるような、そんなぎこちない恋だったに違いない。

 それでも胸をときめかせながら繋いだ手の柔らかさは、この先もきっと記憶に残り続ける。

 少し他人事のようにそんなことを考えながら、隣を歩く少女と歩幅を合わすのだった。


 友達は少ない方だ。

 クラスの連中の中にはやたらみんなと友達ぶっている奴もいる。

 そういうのは友達の中には数えない。

 ちょっと濃ゆい関係。休みの日にもお互いの家に行き来して遊んでいる様な相手。

 数少ない友達の一人に中学時代から続いている木下という奴がいた。

 高校になってから木下は進学校に、自分は近くてそこそこの県立高校に進学した。

 木下と仲良くなったきっかけはあの話だった。


「俺さ、子供の時に死にかけた事があるんだ」

「そうなの?」


 木下は海で溺れかけたと言っていた。

 夏休みに家族で行った海水浴。

 兄と二人、沖へ流された。

 兄は死に、自分は助かったのだと話していた。

 少し怖い話をし合ってお互いの経験に共感したのだと今は思う。

 木下とは高校に入ってからは疎遠になっていたのだが、二年になってあちらから会おうと誘って来て、何となくまた交流が始まった。

 そしてつい最近、その木下からまた連絡が無くなった。

 最後にあった時に話していた事が引っ掛かっていた。


「つまらない事言っていいか?」

「ああ、なに?」

「覚えてるかな、俺が昔溺れて死にかけた話」

「ああ、聞いたよ。それが何?」

「最近そのことが妙に引っ掛かっててさ」


 ファミレスで昼飯を食べた後の、ドリンクバーの甘ったるいジュースを飲みながらの話だった。


「どうしても思い出せないんだ」

「何が?」

「どうやって助けられたのか」

「気絶してたんだろ」

「ああ、周りはそう言ってた。それにしても記憶が曖昧過ぎるんだ」

「昔の事だろ。俺だってそんなにはっきり覚えてないよ」

「でもさ、あんまし覚えてないのに変な事思いだしちゃったんだ」

「なんだ? ファミレスで話せる内容だろうな」

「茶化すなよ。大マジなんだ」


 木下は口元に笑みを浮かべていたが、その眼は笑っていなかった。


「走馬灯って見るっていうよな」

「死ぬときの話だろ」

「多分それを見たような気がするんだ」


 こういった話はあまり好きではない。

 できれば話題を変えて欲しかった。


「やめろよ。やっぱりファミレスで話す内容じゃないぜ」

「まあ聞いてくれよ。お前しか俺の話を真面目に聞いてくれそうな奴いないと思ってさ」


 確かに幼少期に死にかけた体験をした者など、なかなかいなさそうだ。


「兄貴は自分の浮き輪の空気が抜けていっているのに気が付いて、俺の浮き輪にしがみついてきたんだ。俺の浮き輪は小さくって、それでも兄貴はブルブル震えながら必死でしがみ付いていたんだ」


 今も鮮明に憶えているのであろう、事故の詳細を木下は語り始めた。


「大きな波が来て頭の上から水を被った。気が付いたら兄貴はいなかったよ。俺は怖くて怖くて大声で泣いたんだ。それからまた大きな波がきて頭から水を被った。その時走馬灯を見たんだ。生まれてから今までの記憶が鮮明によみがえった」

「でも助かったじゃないか」

「そう思ってた。だけどその時見た走馬灯が途切れなく今続いている様な気がしてならないんだ」

「どういう意味なんだ?」


 木下の話は掴みどころが無かった。木下自身も頭にある何かを言葉にするのに苦労している感じだった。


「色々考えたんだ。過去の走馬灯を見終えてから、その続きを今も見ているのだとしたらって」

「馬鹿馬鹿しい。そんな訳ないだろ」

「俺もそう思いたい。でも確信が持てないんだ。自分が生きているのか」


 妄想に取りつかれたように話し続ける友人を、この場合どうしたらいいのだろうか。


「ちょっと待てよ。お前は間違いなく生きてるよ。俺が保証する」

「おまえはそう言ってくれるだろうさ。でも俺はお前が生きているのか自信が無い」

「は? 何言ってんだ?」


 お互いに腹いっぱい食べて寛いでいる最中だ。飯を食っている姿を目の前で見ていたのに何を言っているのだろう。


「おまえも俺と同じだったらきっとお前は自分が生きていると感じ、目の前の俺を生きているというはずだ」

「そりゃそうだよ」

「俺は考えたんだ。いや想像かあるいは妄想と言ってもいい。俺は、いや俺たちは今未来の走馬灯を見せられてるんじゃないのかって」

「未来の走馬灯?」

「俺たちはあの時事故で死んだ。本当はずっと先に死ぬはずだった運命が突然予期せぬ事態が起こってそこで途切れた」


 木下の瞳の奥には底知れぬ闇が窺えた。この突拍子もない考えに固執している。いや、囚われてしまっていると表現した方がいいだろう。

 熱い語り口調で話し続ける友人を、精神失調かと心配し始めた。


「俺たちは過去の走馬灯の続き、つまりあの時からのその先を今見ているのではないのだろうか」

「そんな訳ないだろ。さっき食べた物も普通に美味かったし、今飲んでるジュースも滅茶苦茶甘いって感じてる。それって生きてる証だろ」

「生きる筈だったお前の、未来に口にした物の味だったとしたら? ただそれを未来の走馬灯の中で感じているだけだったとしたら?」


 ゾクリ。


 何故だか今、背筋をザラザラとした冷たいもので撫でられたような気がした。


「もういい。この話はやめようぜ。おまえちょっとどうかしてるぞ。ちゃんと寝れてるか?」

「そうだな、最近は寝不足かな。まあ変な事言って悪かったよ」

「そんなことでいくら悩んでも結論なんて出ないだろうし、気晴らしでもしろよ」

「結論か……確かに難しいかもな。言ってみれば運命という台本の舞台を観せられている訳だし」

「何だよそれ、演劇って訳?」

「そう。決まりきった筋書きのね」

「芝居が終わったら人生も終わりって事か?」

「ああ。そういう事だ」

「じゃあ芝居だったら舞台裏もあるって事か」


 そのひと言で木下の顔が険しい表情に変わった。


「案外、すぐ近くに今見えている物の裏側があるのかも知れないな。丁度劇の舞台裏の様に、決して観客が立ち入る事の無い場所がすぐそこに在る気がするんだ」


 それが連絡の取れなくなった木下の残した最後の言葉だった。



 大学に入った頃。

 連絡のつかなくなった木下の事を思い出す事も殆ど無くなっていた。

 5月に入ってから教習所に通いだし、夏休みには免許を取っていた。

 貸してもらった父親のセダンは、若者が乗る車にしては落ち着き過ぎていて、デートに使うのにはいったいどうなんだろうと、運転しながらどうしても考えてしまう。

 助手席に座る彼女の目は前に向けられていて、晴天のドライブに明るい声で返してくれる。

 つまらない事を考えているのは自分だけかと少し安心した。


 夏休みに入ってすぐの県道。

 すれ違う車も少ない今の時期、大学に入ってすぐできた彼女と海に行ける事に浮足立っていた。

 そして少しどころか、かなりの期待感。

 ぎこちなかった高校時代の恋をしていた時より、自分は成長しているのだと多少の自負はあった。

 少しおめかしして現れた彼女も、何らかの期待を抱いているのではなかろうか。

 慣れない運転にその様子を窺っている余裕はないが、頭の中でそんな事ばかりを反芻していた。


「ねえ聞いてよ。私、水着買ったんだ」

「今日のために?」

「そう。友達と一緒に先週買いに行ってきた」

「ふーん」


 想像は膨らむものだ。

 落ち着いている感じを心掛けてはいるが、色々な事を想像してしまい、運転に集中できなくなってきていた。

 緩いカーブ。

 減速をして進入する。


「それで、その時友達がさ……」


 彼女の言葉が途切れた。


 緩いカーブは奥でかなりの深いカーブになっていた。

 落ち着いていればなんて事の無い道かも知れないが、慌てて強くブレーキを踏んだ。

 大きく車体が揺れてヒヤリとする。


「びっくりした……」

「ごめん……」


 不甲斐ない運転で、楽しげだった彼女の雰囲気が変わったのを気にしてしまう。

 ゆっくりと速度を落として曲がっていると、ガードレールに花束が添えられているのに気付いた。


「怖い。ここで事故があったみたい」

「うん。みたいだね」


 今の自分の様に判断を間違えてカーブに進入して、事故を起こしたのだろう。

 度々事故の起こる場所というのがある。

 今通った場所がそういう場所なのだとそう思った。

 子供の頃、自分も事故にあった。

 普段は意識する事も無くなった遠い日を、ガードレールに供えられた花を見た事で思い出していた。

 そしてあの木下の事も。


 快晴のビーチ。潮風のやや強い砂浜でビーチボールを追いかけている子供がいる。

 自分達も気をつけないとと、先ほど膨らませたビニールのボールに目を落とす。

 水着に着替え終わった彼女が姿を見せた。

 露出の多いデザインに余計な事を考えてしまう。

 きっと男なら誰だってそうなるに違いない。

 そういう意味では、自分は健全なのだと納得できた。


 やはりビーチボールは風で飛ばされた。

 二人で必死に追いかけて、結局飛ばされた先にいた人に拾ってもらった。

 少し波のある海で泳いだ後、日陰で冷たいかき氷を食べた。


 夏の思い出。


 ほんの少し二人の距離がまた縮まった。

 19の夏。自分たちはまだ大人ではないのだろう。

 ビーチで遊ぶ中高生を子供だなと感じながら、仲の良さそうな大人のカップルを意識して背伸びをしていた。

 肩まである髪の毛から雫を滴らせる異性を間近に感じ、冷たい氷を並んで口にしている。

 青い海がきらめく。同じ景色が目の前にあって、砂粒を肌のあちこちに付けて同じ時間を過ごしている。


 時間が止まればいい。


 人は生きている間に何度かそう思う瞬間があるのだろう。

 鮮やかな緑色のかき氷のシロップ。この甘さはこの先きっと記憶に残るのだ。

 食べ終わったかき氷の容器を彼女は手に取る。


「捨ててくるね。ついでにお手洗いに行ってくる」


 気の利く子だ。いつか自分はきっとこの子と結婚するのだろう。

 砂浜を歩きにくそうにしている背中を見ながらそんなことを考えていた時だった。


「いい子だね」


 いつの間にかすぐ近くに知らない男が立っていた。

 少し年上だろうか、日焼けした顔に白い歯。Tシャツから覗く二の腕が逞しい。

 どこかで会った事のある人か?

 頭の中を読んでいるかのように、男は絶妙なタイミングで自分のことを簡単に紹介した。


「この海の監視員だよ。と言ってもバイトだけどね。ちょっと気になって話しかけただけ」

「そうですか」

「まだ人もそこまで多くないし、君達はいい時期に来たな」


 少しなれなれしい男だと思い、返事を返さなかった。


「見ての通り今日は風が強い。波も今よりこれからの方が高くなってくるだろう。さっきビーチボールを飛ばされてたみたいだし、砂浜付近で遊ぶことをお勧めするよ」

「ご親切にどうも……」


 ずっと自分たちを見ていたのか。心配して警告してくれているだけかもしれないが、そろそろどこかへ行って欲しかった。

 しかし男は立ち去る気配を見せない。


「実はさ俺、去年もここで海の家のバイトをしてたんだ」

「へえ、そうですか」


 だから何だって言うんだ。苛立ちを隠し相槌を打つと、聞きもしないのに男は淡々と身の上話を聞かせた。


「八月の中旬、遠くで台風が発生した日、急に波が高くなり始めた」


 なんだろう。男の雰囲気が変わった気がした。


「浮き輪で遊んでいた子供が沖に流されてさ。俺はちょっとは泳ぎに自信があったんだ。同じ海の家でバイトしてる女の子にいいとこ見せたくって助けに行ったんだ。丁度あのあたりだったかな」


 男は波の高くなってきた海を指さす。


「気が付いたら俺が知らない奴に助けられてた。あの溺れてた子は助からなかったらしい」


 何なんだいったい。


「すみません。そういう話はちょっと」

「ああすまない、脅かす気はなかったんだ。とにかく波が高くなったら気をつけてくれよ。それと……」


 男は意味ありげなひと言を口にした。


「余計なところへは行かないように」


 念を押すようなひと言を残して男は去って行った。


 気味の悪い奴だ。


 しばらくして眩しい陽射しの中を、戻ってくる彼女が遠目に見えた。


「お待たせ。なんだかお手洗い込んでて」

「どう? もう一度海に入る?」

「うん。折角だもんね」


 風がまた少し強くなった。

 手を繋いで海に入った彼女の確かな存在。

 男が言っていた事に引っ掛かりながらも、彼女のはしゃぐ姿が眩しくてくぎ付けになった。


 数人配置されていた監視員の中にあの男の姿を探してみたが見当たらなかった。

 別にもう話をしたかった訳ではなかった。

 ただ少し気になってしまっていた。

 余計なところへは行かないようにと男は言っていた。

 何故、今になって木下の事が頭に浮かんでくるのだろうか。

 あのあと姿を見せなくなった友人。

 決して観客の入る事の無い舞台裏の話をしていた。

 木下はひょっとすると舞台裏に足を踏み入れてしまったのではないか。

 監視員の男が警告していた言葉。

 あいつも昨年死にかけたのだと話していた。

 木下の様にさっきの男も舞台裏の事に気が付いていたのだとしたら。

 あの男が警告した様にすぐ近くに舞台裏があって。その気になれば覗くことが出来るのだとしたら。

 今自分が舞台裏に踏み込んで、すべてを台無しにするか最後まで舞台を観続けるか選べるのだとしたら。

 考えに耽り過ぎていたのだろう。

 日焼けして熱を持った肩に、意外と冷たい彼女の手がそっと触れた。


「ねえどうしたの」

「え? ああ、何でもないよ」

「ヘンなの」

「ちょっと俺もお手洗いに行ってくるね」

「あ、じゃあ戻る時ジュース買ってきて」


 お手洗いを済ませ、海の家でペットボトルのジュースを二本買う。

 三件ある海の家の中にも、さっきの監視員の男は見当たらなかった。

 やはり仲良さげなカップルを妬んで、怖い話で冷やかしに来たのだろうか。

 両手にペットボトルを持って砂浜を戻っていると、また少し風が強くなった。

 潮風にあおられたビーチボールが、脚をかすめて転がっていく。

 さっき自分たちも拾ってもらった。

 急ぎ足で奥の松林の方に向かって転がって行くボールを追いかけた。

 松の木陰に入ると、足裏にひやりとした感覚。

 ボールが転がって行った先の松林は何故だか色褪せて見えた。

 一度足を止めて振り返る。

 明るい熱砂のビーチが遠く感じられた。

 再び松林に目を移すと、カラフルなビーチボールは松の木の根元で止まっていた。


 何故だろう。脚が動かない。

 そこにビーチボールがあるというのに。

 あんな色だったかな。


 カラフルだと思っていたビーチボールが色褪せて見える。


 そしてまた風が吹いた。


 潮風に押され、ビーチボールは松林の奥に転がって行った。


 決して観客の踏み込む事のない舞台裏。

 そこに踏み込んでしまったら何を見てしまうのだろうか。

 

 あの事故の後に目にした無残に変形した自転車。

 本当にあれは自転車だったのだろうか。

 もしかすると……。


 ゴクリと生唾を呑み込んで足を踏みだそうとした。

 すると唐突に、手首に冷たい何かが絡みついてきた感触に襲われた。


「ひっ!」


 思わず声を上げていた。

 振り返ると砂浜にいる筈の彼女がこちらの腕を強く握っていた。

 逆光で少し顔が見づらい。


「どこへ行くの」

「いや、誰かのビーチボールが転がって行っちゃってさ」


 彼女は腕を掴んだまま色あせた松林の奥に目を向ける。


「そっちには行かない方がいいわよ」


 風のある眩しい砂浜を背景にそう口にした彼女。

 逆光のその姿に得体の知れない何かを見たような気がした。

 


 完                         

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