入道雲の彼方の戦争

森本 有樹

入道雲の彼方の戦争


 高度37000フィート。


 突き抜ける青のその先、一足先に自由になった兵士達の遥か上、天国の遥か外側。随分と低くなったダークブルーの天井。


 私の棲む、地獄。


 子供の頃、学校からの長い長い帰り道で眺めた入道雲

 虫の囁きも、鳥のさえずりも忘れて眺めていたあの雲の向こう側。

 そこまで飛んでいけたら、きっと何でもできるに違いない。

 その願いの向こうにあったのは、この底のない青い奈落と、入り乱れる白い雲。


 生きながらに地獄に降り立った私は、その青い狂気の中で静かに息をした。


『Malebolge,Stauros Bogey dope. (スタウロスよりマレーヴォルシェへ、最も近い敵の情報を伝えよ。)』

『Stauros Lead Group BRAA 130/70 Twenty-four Thousand, Hot.(スタウロスへ、敵機は貴機より130度、70マイル、高度24000フィート、接近中。)』


 心で印を切る。決して洗い流せない罪を背負い、主の憐れみを拒み、一切の希望を棄てた翼が翻る。東南東の方角。敵はすぐ見つかった。選択カーソルを動かして、これを捉える。


 どうしてこんなことになったのか。

 なぜこんなことになってしまったのか。

 人々は言う。

 私は知っている。

 鏡を見たことが、あるかい。


 誰かが言った。

 何故私が不幸なのか。

 誰かが返した。

 あいつらの、せいだ。

 そして言った。もう、一人で悲しまなくていいんだよ。

 一緒に戦おう。

 名誉、正義のために。

 誰が言ったか悪魔の囁き。

 言葉は伝播する。

 あいつを殺せ!

 僕たちから光を奪っているのはあいつらだ!

 私たちの未来を返せ。

 伝言ゲームは続く。

 どこから始まったのか、誰が言い始めたのか。それはもう歴史の、彼方であること以外、想像する事すらできない。

 私は弱き、虐げられたものである。私の絶望は善の指標であり、逆らうものは悪である。それはかくのごとし理由であるという言葉。

 我々は騙され、苦しみを受けたるもの、我の言葉を聞け、一切の抵抗と注釈は悪魔の手先のすることだ。ただ、我の望むまま全てを差し出せ。

 それは、長い時の流れの中、絶望から絶望を渡り歩く。

 悪はその威光に屈せよ。膝を追って己の罪を認めよ。我は主とともにあり、弱く、数多いがゆえに。

 その言葉は世界を渡り歩く。ある時は人を、ある時は国を、民族を渡り歩く。

 絶望。なんで、私だけ!!という絶望。

 光を見たことがない、頭蓋骨の中の小人の絶叫。感情に場当たり的に張り付けられた認知のテクスチャ。原因と結果を取りだし、理解し、対応するという行動。

 つまり、それは、人間。

 今日まで人間は命を、言葉を繋いできた。そして、無数に増え行く絶望と共に武器と、戦う理由を増やしてきた。博物館に行けばいい。片側には戦争の度に生み出される武器が並んでいる。石槍、大砲、ミサイル。もう片側にはそれを使うための理論、聖典、イデオロギー、反逆。つまりは、私がここにいる理由の全て。

 それは流行りのコマーシャルソングみたいに人々は次々口ずさむ。

 戦おう。私の名誉、栄光のために。

 言葉は、痛みを渡り歩く。

 様々な国の、民族の、性別の、職業の、ありとあらゆる認知のよって分類できる人々の間の傷、そこから言葉がまた生まれ、伝播する。終わりない因果だ。

 どこかの国の大統領が言った。

 何故、私たちは不幸なのか。誰かが言った。それは、あいつらのせいだ。

 大統領、戦いましょう。国家の栄誉と未来のために。

 私たちは一人じゃない。

 言葉は形を持つ。

 それは刃となり、砲弾となり。絶望となる。

 そうして戦争が始まった。

 誰もが言う。わたしは被害者だ。わたしこそ真に割りを喰らっているものだ。

 だが、「わたし」の足は彼が考慮するに足らないと思った誰かを踏みつけている。そして、踏みつけられている彼も、また、苦痛を誰かのせいだと叫び。誰かを踏みにじる。その中には本物のいるし、偽物もいる。だが、そうして痛みは連鎖するのは真実だ。

 誰がこの戦争を始めたか?答えを言おう。誰もが。

 世界を観測し、因果を理解し、問題を解決しようとする全てのものが。

 誰もが手元の小さな画面を通じて、無限の世界への憎悪を開陳出来るようになった。それによって人々は戦争を気軽に始めれる。そして、憎悪は増幅する。

 どこにむけての憎悪?そう、底など無く。果てなどない。丁度夏の入道雲の向こう側の空。どこか遠くで、あるいは、この下で、善なるものと悪なるものの関係の糸の幻影が繋がっているという妄想をこの空に見ている。


 私はそのどれもに賛同できない。だが、そのどれも止めようとする意思はない。

 誰もが認められないものだ。人間とは人の間に立つもの。その分子が互いに接触しあって互いに影響を及ぼす。この関連性の世界では小さく、そして無数に作用する。それはやがて嵐を生み出すこともある。しかも、蝶の翅の上下からでさえ、因果が始める。

 始まりも終わりもない、因果。だが、そんな言葉を聞かせても、虐げられた人々は誰も救われない。第一原因は目に見える程大きくなければならず、世界はそれに従って白黒分かれていなければならない。そう、真実そう在るべきだと人々は語っている。そして、そう望む限り実際そうなるのだ。その集合体が望むものが真実となる。だから、私や私の敵は飛ぶのだ。

あなたはあなたらしく在るべきだ。

あなたはあなたらしく在らねばならない。

だからこそ敵と味方と、どちらでもないもののその信任を揚力とし、私は飛んでいく。

この揚力こそ、私の生まれた所。青空の下の世界。

大地。


 敵を捕らえる。ミサイルを発射。おじいさんの古時計と同じぐらい古めかしいセミアクティブ空対空ミサイル。


『Stauros FOX1 East Group. BRAA 130/70 Twenty-four Thousand.(スタウロス、FOX1、東の敵、自機より130度、70マイル、高度24000フィート)』


 性質上、このミサイルは命中まで敵を捕らえていなければならない。つまりは、確実な意思を持って、人を殺そうとする。

殺せ!殺せの熱意を載せたレーダービームが敵の位置を照射し続ける。

 お願いです。死んでください。

 貴方が死ねば私たちは私たちでいられます。

 誘導時に相手を真正面に捉えているとどうしても優秀な新型を持っている敵の方が早く命中する。それでは困るのだ。撃墜するためにはこちらのミサイルが命中するまで時間を稼がなければならない。蛇行する。左に舵を切って、次に右、それから、上、最後の下。

 お願いですから死んでください。

 もがき苦しんで死んでください。

 貴方が腸を抑えて苦しんで死ねば、私たちは私たちであり続けれる。

 だからお願いです。死んでください。

 それから、同型の赤外線誘導ミサイル。

 熱を帯びて逃げ続ける敵。

 そこにいるのを確認しました。死んでください。

――いやだ、死にたくない。

 その生への熱意を追う。

 死んでください。死んでください。

――助けて、母さん。

 そこにいるのを確認しました。死んでください。

 そこにいるのを確認しました。死んでください。

 絶叫する敵の脳内には、友の名前。尊敬できる上官、少年の日の思い出。熱を恐れて力を失った機械の心臓。

 だからお願いです。死んでください。

 私たちの世界は、私たちの物です。私たちの決めた事、決める事、それに立ち入る事は許されません。

 だからお願いです。死んでください。

 私は照射を続けながら、問う。

――あなたは誰ですか。

――どこで生まれましたか。

――大切な人は居ますか?家族は?友人は?恋人は?

 射撃レーダーの警報。

――だからお願いです。死んでください。

 レーダー画面に表示されるミサイルの飛翔。

――だからお願いです。死んでください。

 コンピュータがはじき出した命中までの残り時間が減っていく。死刑執行までの時間。

 だからお願いです。死んでください。

 数える。5,4、3

――もがき苦しんで死んでください。

 2,1

――貴方が死ねば私たちは私たちでいられます。

 ゼロ

――お願いです。死んでください。

死刑執行。

 留まることが出来ない青では、その罪状すら読み込まれることはない。

 存在し、干渉することの罪。

 命あるものが持つ。原罪。

 知恵の実より出でた。人を人たらしめる。悪夢。

 その瞬間彼は何を思ったのか。それは分からない。走馬灯、幼子を抱える祖父の顔。あるいは、違うもの。

 価値というものの無いイデアからそれを見た場合、それはどう見えるか。スプラッシュ、ワン。ただ、構造体が崩壊し、乗組員の盛んな脳反応回路が損壊し、停止したという事象がそこにあるだけだ。

 それが世界の真実。

 人は、その真実の前に踵を返し続ける。

 底に意味がある筈だと信じて。

 そしてまた、争いの種を撒く。


 爆炎を確認する間もなく、翼は青い地面を目指して登っていく。

 高度計の数字は、地獄の深みを示すカルマの値。

 誰かを愛することは、誰かを愛しないことだと気付かなかった罪の重さ。何かの善を成し遂げようとすれば、何かの悪を押しのける。ただ、その単純な構造に気付けないまま人は人と関わり、愛と断絶を生み、喜びと憎しみを生み出す。対称性の破れ。対消滅では決して消すことが出来ない絶望。

 ロール。水平に。遥か頭上には戦乱の中で耕作される事が無かった茶と緑の荒地。戦車の履帯による傷、ロケット砲の斉射のオルガン。現世のありのままの姿。


 私は、神に祈る。

――ああ、神よ、今も善を信じ、悪を認識し、決して許さぬという言葉で、子供たちの未来のために抗い、そしていつかその余波で誰かを巡り巡って殺す私を罰したまえ。

祈りは、届かない。そして、祈ったところで、余波で死ぬ誰かより私に近しいものが死ぬのだ。迎撃を止めることは出来ない。侵略者を放り投げておくことは出来ない

 水平に戻す。足元には、どこまでも深い青

 上を向けば限りがなく、下を見れば、限りがない。

 突き抜ける青さと白い雲。

 空の底、我が住処にして、我が地獄。

 ここに来るもの、ここに守られるもの、今ここを見ている、そしてこれから私という蝶の羽ばたきの苦しみを受けるもの、一切の希望を棄てよ。

――地獄は、ここにある。

 そして我は、今日も地獄におれり。

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