2人きりの帰り道~SIDE:片岡景

「すいません、通ります! すいません……!」


 俺は大通りを人の間を縫いながら突っ走っていた。

 『ミナヅキ・アクション・ヴィレッジ』に到着すると、飛び込んだ。


「杏樹!」

「……先輩」


 杏樹がはっとしたように顔を上げる。

 彼女は両脚を投げ出すような格好で座っていた。右足首のテーピングが痛々しい。


「平気か!?」

「……来てもらっちゃって、すみません……」

「肩を貸すっ。立てるか?」

「……すいません。久しぶりのメッセージがこんなことで」

「そんなこと気にするな。それにメッセージもらえて、嬉しかった。本当は俺のほうから送るべき、だったのに」


 バイト中に、『先輩、捻挫しちゃいました。迎えに来てくれますか?』そう、メッセージが入ってきた。

 いてもたってもいられず、店長に早退すると言って、返事も聞かずに飛び出したのだ。

 クビになるかもと思ったけど、そんなことどうでもいいくらい、杏樹のところに駆けつけることしか頭になかった。


「先輩、その格好、コンビニの制服、ですよね」

「飛び出して来たんだ。目立つのは許してくれ」

「……はい、許して上げます」


 杏樹が目を細め、微笑んでくれる。

 久しぶりの笑顔に、ぐっとこみあげるものがあって、俺は慌てて唇を真一文字に引き締めた。

 俺は杏樹の心地いい重みを意識しながら『ミナヅキ・アクション・ヴィレッジ』を出ると、人混みを縫うように歩き出す。

 見た目からして杏樹がケガしてるのが分かったのか、通行人が道を譲ってくれたお陰で、歩きやすかった。


「親御さんに連絡は?」

「共働きなんで連絡は……」

「分かった。なら、そこのタクシー乗り場まで送る」

「すいません。こんなことで呼び出しちゃって……おまけに、お仕事中だったのに」

「言っただろ。嬉しかったんだ。俺に頼ってくれて……」


 タクシー乗り場に到着するが、かなり長い行列が出来ていた。

 最低でも三十分は待ちそうだ。


「私、そこのベンチで待ちますから。先輩はお帰り下さい」

「杏樹を一人にさせられるわけないだろ。家はここから遠いのか?」

「……二十分くらいです、けど」

「それなら、俺が責任をもって連れて行く」

「……ありがとうございます」


 俺は杏樹が痛みを感じないよう細心の注意を払って、いつも別れていた道を、杏樹の家の方面に向かった。

 住宅街になると大通りの喧噪が遠くなり、しんっと静まりかえる。


「――足の痛みはどうだ?」

「アイシングしましたし、加藤先生がケガの応急措置に詳しかったので、しっかり対処してくれたお陰で痛みはだいぶマシです」


 また加藤か。

 腐りそうになる気持ちに、喝を入れる。

 そんなこと今はどうでもいいだろ。大切なのは、杏樹のケガのことなんだから。


「それなら安心だ。でも、何があったんだ? かなり激しいアクションでもしたのか?」

「……鉄棒をしたんです」

「あれだけすごい技ができる杏樹でも、ケガをすることもあるんだな。ま、猿も木から落ちるって言うしな」

「私、最近たるんじゃってて……。それで、鉄棒をうまく飛べたら先輩にメッセージを送るって願掛けのつもりだったんですけど……あはは、こんなことになっちゃいました」

「悪い」

「先輩は何も悪くないじゃないですか……」

「いや、俺が悪い。悪いんだ。俺が杏樹のこと、妙に意識しすぎたせいで……」

「? 意識? 私を……?」

「その挙げ句、一人で勝手に気まずくなって。そのせいで、杏樹と顔を合わせにくくなって……。それからどんどん悪い方向に転がっちまって。でも今日のことで、俺にとって何が一番大切かが分かったんだ」


 肩を貸しているせいか、俺たちはの距離はゼロ。

 杏樹の華奢な身体を、少し高めの体温を、強く意識すれば、俺の体温まで上がって、心臓が痛いくらいバクバク鳴った。


「杏樹。こんな時に言うようなことじゃないかもしれない。でも言わなきゃいけないことがあるんだ」

「先輩……?」


 杏樹の顔をしっかりと見る。眼鏡を外した、幼げな顔立ち。


「――俺、杏樹のことが好きだ」

「え……」

「杏樹が、加藤のことが好きなのは分かってる。でも俺、杏樹のことを諦められないんだ。今は俺を恋愛対象として見られないのも分かってる。でも絶対、お前に相応しい男になってみせる。だから……っ」

「……え、待って、待ってください。どうして加藤先生が出てくるんですか?」

「杏樹は、加藤のことが好きなんじゃないのか?」

「好き……? はい、尊敬してますけど」

「そうじゃなくって。男として意識してるんじゃないかって――」

「ぷっ」

「なんで笑うんだよ……っ」

「まさか、先輩……本当に? もしかして、それで様子がおかしかったんですか? 嫉妬? 嫉妬してたんですか? 先生に? あははは!」

「わ、笑うな。俺にとっては笑いごとじゃないんだぞ!」

「す、すいません。でも……ふふ、加藤先生、結婚してるんですよ? 歳だってかなり離れてるし」

「結婚のことは知らなかったけど、年の差は恋愛に関係ないだろ……。ってか、この間、杏樹、俺と距離とってただろ。あれ、加藤に俺と親しくしてるところを見られたくなかったからじゃ、ないのか?」

「この間?」

「俺と一緒に帰った時あっただろ。気まずいっていうか、なにを話しても盛り上がらなかった時……」

「あ、あれは……だって」


 杏樹はいきなり落ち着かない様子でモジモジして、唇をとがらせた。


「だって、なんだよ……」

「いきなり、来るんだもん」

「やっぱり加藤に――」

「違いますっ! 私、あの時、すごく汗かいてたんですけど、先輩を待たせたくなくって、シャワーも浴びなかったんですっ! だから消臭スプレーで適当に誤魔化して……。あの時、私、すごく汗臭かったんですから! 汗臭い、不潔な女だなんて、先輩に思われたくなかったから……っ!」

「……へ?」

「こんなこと女に言わせないで下さい。そういうのは、さ、察して下さいよぉ……」

「でも、加藤、妙に俺たちのこと気にしてる感じだったぞ。杏樹は何でもなくても、もしかしたらあいつが杏樹のこと」

「加藤先生がご執心なのは、私じゃなくって、先輩のことです」

「は? 俺? なんでだよ」

「加藤さんって名伯楽で、業界では有名なんです。先輩の体付きを見て、磨けば絶対にいいスタントが出来るって気に入っちゃって……。どうにか教室に通うようにそれとなく話してくれないかって頼まれたんです」

「そ、そうだったのか。はは……。マジかよ……。そうことだったのか。良かったぁ」

「良くありません! ぜんぜん、良くない、です……っ!」


 杏樹の目尻に光るものを見て、俺は言葉を失ってしまう。


「先輩、まさかそんなことで、私のこと、避けてたんですか? 私に聞いてくれれば誤解だって分かることなのに? 図書室にだって来なくなったし、メッセージだって……」

「ごめん……。加藤みたいにたくましい男になれたら、杏樹ともちゃんと話せる自信がつくかと思って。毎日、筋トレしてた」


 杏樹は泣き笑いの顔になった。


「なんですかそれ。それで先生みたいになるのに何年かかると思ってるんですか!?」

「だよな。ごめん……」

「――先輩、責任とってください」

「責任?」

「先輩のせいで、私、ぐちゃぐちゃだったんですから。先輩が、私のことを避けて、それがずっと気になって、気になって気になって……ぜんっぜん練習に集中できなくって。楽しみにしてた特撮の映像を見ても、ぜんぜん集中できないし、楽しくなくし! だから、だから……っ」

「杏樹……。ごめん」

「だから、謝らないで――」


 抱きしめると、杏樹は身体を預けてくれる。

 右の肩口に、杏樹が顔をうずめる。熱い息遣いを感じた。

 こんなにびっくりするくらい軽くて、華奢だったんだと今さらながらに思う。

 これで、桜の木に飛び移ったり出来るんだから、やっぱ杏樹はすごい。


「……先輩、好きです。私、先輩のこと、好きです……!」


 そう消え入りそうな、震える声で杏樹は、俺の告白に応えてくれた。


「俺も、好きだ。杏樹のこと、好きだ……」

「はい……っ! はい……っ!」


 しばらく抱き合ったままじっとしている。


「落ち着いた、か?」

「……はいっ」


 杏樹ははにかんで、笑ってくれる。俺に向けてくれる笑顔。

 

「……そういや、ナイトウジャー、20話まで見たぞ。ゴモラ将軍との最終決戦、かなり熱かった」

「――実は、レディ・ライオネルが真の黒幕なんです.将軍はライオネルに精神を操られて、自分が結社のボスだって思い込まされてるんです」

「おい! それ、盛大なネタバレ!」

「ふふ。人をやきもきさせたお返しです、先輩♪」

「……反省してる」

「それから、気にしなくていいですよ。筋肉つけようとか、別に。私は、先輩をフった中学時代の陰険な同級生じゃないんで♪」

「あはは。助かるよ……。正直、ここんところササミばっか食い過ぎて、うんざりしてたところなんだ」

「でも、ぶくぶく太ったら、捨てよっかな」

「う! そ、それはならないよう、努力する……」

「あはは、冗談です♪ 先輩なら、どれだけ太ってもいいですよ♪ なんなら、私も一緒に太って……」

「いや、駄目だ! それは駄目! 杏樹を太らせるわけにはいかないな、今後も体型維持に務める!」

「ふふ、先輩ってば。マジになりすぎですよ♪」

「ははは、そ、そうだな」

「ふふ……あははは!」


 俺たちは何がそんなにおかしいのかよく分からなかったけど、いつまでも笑っていた。

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ウラの顔をもつ後輩は恋を知る 魚谷 @URYO

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