第13話 人は連続性を保つ
───また、夢を見た。
私に由来しない夢。ティアレナが新生して間もない頃の記憶。
点々と木漏れ日が差す
静穏な風景。人里から離れ、人波の騒々しさを知らない世界が一本道に繋がっている。
この先を、おそらく私は知っている。全体像は朧げだが、それも先を進めば自ずと晴れるだろう。
「───ずかずかと遠慮ない。その積極性をセルフィにも発揮すればいいのに」
進もうとする先には微笑を浮かべるティアレナ。物音ひとつもなしに忽然と五歩ほど離れた場所に現れた。
「事情が違うだろう。私と君は密接に繋がっていて、もはや二人の人間ではなく、ひとつの
「それは理性による制動でしょうね。そこまで繋がっちゃうと日常で困っちゃうし。──けれどだからといって、セルフィにも遠慮する事はないと思う。あの子、お互いに心を踏み躙り合う事を望んでいるんでしょう?」
「……そうしたいのは山々だが、私には探られても痛む事情とやらがない。何だか不公平だろう、それ」
「繊細ね、恥ずかしいくらいに気にし過ぎ」
ばっさりと切り捨てられた。痛快な言口だった。
「とんでもないくらいマゾヒスト。責められて痛むような欠点を求めてるんだ?」
「そうすれば対等だろう。心置きなく腑を探り合える」
「───うわ、やだ。その趣向、私と同じだ。……こういうのを弊害と言うのね」
「私の自我は元より希薄だ。人格の土台をティアレナ依存に変異してきているんだろう」
「ということはなに、これから私は私自身の欠点を客観的に見せられ続けるっていうの?」
「……まあ、そういう事にもなるんだろう」
ティアレナは糸が切れた人形のようにしゃがみ込んだ。
「はやく記憶を全部取り戻してよね。疑似的な双子なんて求めてないの。約束の事もそうだけど、記憶を失う前のナナシさんがどういう人だったのか知りたくもあるのだから」
「ああ、努力する」
無駄話はここまで。私ははやく夢の先を知るため、途中で止められていた足を動かす。この急かされるような感覚は何なのだろうとふと考えてみると、なんだかんだで私は好奇心を刺激されているのだと自覚する。
遠慮がないとはそういう事。誰かの知らない面を改めて知るというのは娯楽足り得る。つまるところこの行動は、日々の欲求不満を晴らそうという身も蓋もない動機にあるのかもしれない。
すると知らない間に立ち直ったティアレナが、私の隣まで駆け寄ってきた。
「ナナシさんって乱暴よね、意外と」
「乱暴、か。そうだな、言い得て妙かもしれない。……以前聞いた話によると、私は別の世界から渡ってきた可能性のある存在らしい。仮にそれが真実だとしたら、私は相当乱暴な手段で世界に渡ってきたことになるだろうな」
「ああ、知ってるそれ。精神科医の下に訪れた時の話でしょう? “かくせいそう”がどうのっていう」
ジリリ、と
今まで存在を霞も確立できていなかった“意識”が一時的に目を覚ました。
「そうだ。異なる世界と世界を隔てる、幾重にも重なった層状をとる次元の壁。それが隔世層と呼ばれる概念の混合を防ぐ仕切りだ」
───
架空の触覚を拵えて、光さえも通過できない空間を歩く。
「層の間隔は疎であり、されど膨大な宇宙空間とそう大差のない距離を誇る。しかしそれは相対的に変動し続ける量子の同期であり、つまるところ非規則的に間隔は拡張と縮小を繰り返す」
───
架空の人格を想定して、虚数の海に沈む記憶を再生する。
「その壁間を最短最速の無茶な強行で通過した結果が別世界における“──────”の観測
「───その、大丈夫? なにか、私にもよく理解できない言葉を呟いてるみたいだけど……」
「──────」
明るい緑。草木が微風に揺られ、その視覚的刺激が、風に優しく包まれ、撫でられるような感覚を同時に呼び覚ます。しかしそれは私の経験ではなく、ティアレナが過去に感じ取った感覚を追体験しているに過ぎない。
「───……ああ、すまない。何の話をしていたんだったか……」
「いえだから、あなたって意外と乱暴よねって話。それなのに急におかしな方向に話の舵を取り始めて、ナナシさんも混乱しちゃってる。おかしな言葉を発し出すんだから。まったく聞き取れなかった」
「そうか。そうだったか。しかし乱暴というのは心外だ。普段から言動に気を遣っている方なんだ、これでも」
「ふふ、知ってる。だから気を許した相手には容赦がなくなるのよね、ナナシさんって。ますますダメ男っぽい」
「………まだその話を引き摺るか」
「ええ、いつまでも」
小悪魔のような悪戯を愉しむ笑み。
今度ばかりは笑えなかった。現実味を帯びると人は笑えなくなるものだ。
木々のヴェールを抜けて、贋物の太陽に晒される。
抜けた先はミニチュアめいた庭園だった。
小振りの
木影に切り取られた箱庭。
子供が元気よく駆け回るだけで満ち足りてしまいそうなその狭い世界には、二人の少女がいた。背丈の合わない純白の椅子に腰掛け、一人は椅子と同じ風のテーブルに頬杖をつき、もう一人は読書に勤しんでいる。
「六年前の記憶、ティアレナという
誘拐という旨の脅迫文が屋敷に届いた。それを憂慮して“力”を持った貴族であるセルフィの父親は国に娘の護衛を依頼した。そうして送られてきたのが娘と歳が近いティアレナ。鮮明に思い出せる。上に失望した男の顔を。
「……なんというか」
無愛想な二人組だった。空はあんなにも晴れているというのに、少女二人の視界は曇りのように思えた。仕方ないから一緒にいましょう、といううんざり気味な空気を互いに隠そうともしていない。
「趣味とかは、君たちの場合は合わないか……」
「そう。全く合わない」
ティアレナは身体を動かす事が好みで、対してセルフィは本を読む事が趣味と来た。今では少々活発気味に思えるセルフィは、この頃は部屋に閉じ籠ってばかりな事を周囲から心配されているほどに内気なのだ。
そう、何度も恨めしそうに晴々とした青空を睨む彼女にとって、木影で涼んでいる事さえ耐え難い
「───ね、困りものでしょう?」
「………」
せめてもの抵抗としてぶらぶらと苛立たしげに脚を遊ばせているティアレナの方は、傍らに大人しく座るセルフィより幼く見えた。
事実、癇癪を抑え切れない子供そのもの。しかし忘れてはならない。この頃のティアレナは知識も記憶もほとんどリセットされてより一年。生まれて間もない赤子として見れば、まだ分別を持っている方と言えるだろう。
「……しかしこれは、見ていて落ち着かない」
喧嘩を起こすことはないだろう。しかしそれでもいつ起こってもおかしくない空気感が常に纏わりついているこの様子は、周りの大人たちにとっては気性の荒い子犬同士を共に行動させているようなもので、心労は絶えなかっただろうに思えた。
「それこそ心外。気に食わなかったのはその通りだけど、あくまで任務として来た事は片時も忘れなかったんだから」
「……ああ、理解しているとも」
万人が夢に思う理想的な環境にいながら絶えず不満げな表情のセルフィに良い感情を抱けなかった事には頷いておく。それはそれとして露骨にも程がある。飽きもせず目の色が険しいのだ。嫉妬と逆恨みに心が溺れている。
致命的に噛み合わない二人。
ある者とない者のすれ違った渇望。
そのような二人が四六時中行動を──寝食をも共にし、いずれ心を開くようになる。信じられない話だ。とてつもない速度で空中分解していくのが関の山に思えて仕方がない。
──ああ、彼女の考える事が、手に取るようにわかる。
「君が考えているほど、そう上手くは運ばれないだろう。なにより私は、この頃の君たちより若くはないのだから」
勢いに任せて心の内を曝け出す事はできない。前提からして、曝け出せるほどの心も持ち合わせていないのだ。
途端、ティアレナが小さく吹き出した。
「こうも繋がっていながら、どうしても意図を読み違えてしまうものなのね。私が言いたいのはそういう事じゃない。──単純にね、あの子も“人”なの。私はそれが言いたいだけ」
「───……ああ、そういうことか」
私は心のどこか奥底でセルフィを畏れていた。それを当然のように見透かされて、こうして諭されたのだ。
普通に今まで通り話せばいいじゃない、と。
「私もあんなセルフィを初めて知った。けれどそれは同時に、あの子が初めて剥き出しにしたありのままの感情。誰もが例外なく、心に獣性を宿している。あの子にとって、あなたへの執着はその一つだった。きっとそれだけの話。なら後は、あの子が隠している事情を丸裸にしてやればいいだけって気がしない?」
「──────」
──なるほど。私は一生をかけても、彼女に敵わないと知った。
ティアレナは難なく壁を取っ払った。
私の抱える欠点とか、そういうちっぽけな問題に触れずして、前に進み続ければいいと言葉を与えてくれた。
「確かに、そうだな……」
幼い頃のセルフィが立ち上がり、それに釣られて過去のティアレナも席をたつ。
二人揃ってとても小さな庭園を出て行く。
……そろそろ、今回の夢も終わりを告げるのだ。
「またね、ナナシさん。今度は私の悩みも聞いてよね」
「ああ、また夢の中で」
夢から覚めていく。その様は水に溶ける絵の具のようだ。最後には透明のような白に還元される。
列車の振動が、寝起きの私を出迎えた──。
愚者が往く、アナタの許へ 九葉ハフリ @hakuritabai
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。愚者が往く、アナタの許への最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます