第8話 兆しはソラより来たる

 

       ◇

 

 依然としてティアレナを抱えたまま、地下通路を駆けていく途中。

「流れてきた記憶を観て思った事なのだけど。抜けてるよね、ナナシさんって」

「藪から棒になんだ……」

「警戒心の落差が激しい。一歩も近寄ろうとしない時もあれば、間が抜けるくらい心を明け透けにしたり……。もしかして生前、特定の誰かにとことんまで依存してしまう系のダメ男だったとか?」

「知るか。ましてやそんな自分、知りたくもない。後ね、記憶を失くす前の事を生前と呼ばないでもらいたい。……普通に不謹慎だろう、それ」

 私は死んでなどいない。あくまで私の一部が、一時的な深い眠りに着いてしまっただけなのだから。それを叩き起こす事が私の至上命題であり、一つの人生の目標だ。……ティアレナの言う“ダメ男”でない事を切に願う。

「で、なぜ突然、私が抜けているという話を?」

「ナナシさんって結構人にほいほい着いていくでしょう? けど見るからに怪しい相手には全く近寄らない。それでも中には例外があって、自暴自棄になると警戒心を完全に絶ってしまう悪癖があなたにはある。記憶の扉を奪われてしまったのは、そういう部分に付け込まれた可能性があると思ったの」

「……なるほど」

 客観的にここまで分析されたのは今回で二度目だ。

 そこでふと思い出したのは、コズモメヌトーレに向かう切っ掛けを与えてくれた、人の好さそうな顔をした御老人。

「つまり君は、あの医者が怪しいというのか?」

「断言はできない。けれど共犯グルの可能性は高いよね」

「………。頭の隅にはとどめておこう」

「ええ、そうして」

 疑念はつうろを先行して、不安に孵る。ごわごわと細胞のように蠢く視界。地下通路の構造はティアレナの知識から大凡把握できていたが、恐怖が全くなくなる事はなかった。

 このまま直進すると十字路に出て、それぞれ三つの通路が外への抜け穴に繋がっている。その内の一つがこの都市を脈のように巡る下水道だ。ゆえに出口は無数に存在する。いずれみちへ辿り着ける。

「流石にそろそろ、歩けるまでには回復したか?」

「まだ。うまく力が入らない」

「……結構長引くんだな」

 私の場合はモノの数分で薬の作用など消えてなくなったが……。

「それはナナシさんがおかしいだけ。適応に長けた“生き物”呼ばわりされてるくらいなんだから。ようするに人間扱いされていないわけでしょう? 私が満足に動けるようになるまで、少なくとも一日は必要ね」

「一日も……。当然だが、それまで君に付きっきりというわけにもいかない。なにしろ君の他にも仲間が来ていると言うようだし、なによりセルフィも心配しているかもしれない」

「セルフィ、ね──」

 その囁きは不穏を孕む。気のせいか、熱力学の悪魔が逃げ出したような……。

 寒さに震える背筋を誤魔化し、逆流してくる感情も対岸に押しやり、私は努めて明るく話す。

「数少ない君の親しい友人、なんだろう?」

「───まあ、そう。忌々しい事にそう、あの放蕩娘」

 蒼い月の上半分を影で覆い、窺える色は嫉妬と杞憂だった事に対する怒り。

 自由気まぐれに生きられるその在り方を羨み、

 時にその気まぐれで命を落とさないかという心配と苛立ちを抱く。

 複雑な関係性。何物も持ち得ながら満たされなかった者と、何物も失いながら己の末路を決めつけた者。しかしそれは、外野があれこれと口を出す事ではない。ティアレナからセルフィに向けた思いは、世間知らずの妹にやきもきする姉のそれであった。

「セルフィ、あれ・・で今年十六になるのよ」

「確かに十六歳で成人という話らしいが、まあそういうものじゃないか?」

「私、今年で十九らしいの」

「………まあ君が特別遅れている、というわけでもないだろう」

 立ち昇る殺気がゆらりと形をなすように、私の周りを光弾が取り囲む。照りつく無数の太陽。あまりの光源に目が眩んでしまいそうだ。前方の数だけで軽く十は超えている。

「───何が気に障った?」

「───気休めを吐いた事」

「まあ待ってもらいたい」「待たない」

「君は私の話を聞くべきだ」「心は正直だった」

「………」


 ──ああ、うん。心まで見透かされてはお手上げだ。


 その後、男の情けない悲鳴がいつまでも残響した。

 しばらく、強烈な陽光の下を歩くとティアレナのその笑顔を想起するようになった。

 

       ◇

 

「さて、君たちの合流地点に着いたが……」

 幸いにも一番乗り。周囲に人の息遣いは聞こえない。あるのは都市の塵に薄汚れたネズミくらいのものだ。

 円形に開いた十字路。客入りがなくなった裏闘技場のような空間。空に輝く星から光を取り除いたら、このような寂れた岩の表面が姿を見せるだろう。

 ティアレナを床に下ろし、壁に身を預けさせた。

「今度は、あなたから去ってしまうのね」

「元よりそういう示し合わせだったろう。君たちが施設の人間を皆殺しにしなければならない以上、私がこの場に残っていては駄目だと言ったのはティアレナ──君自身だ」

「ええ、私はあなたを見逃す。あなたに見逃される。これはそういう話。だって結局、殺せなかったものね」

 息をするように伝わる殺意。なおも穏やかに見上げてくる瞳は、蒼く鮮やかに澄んでいる。思えばティアレナは、私と初めて対面した時も絶えず細剣を握り、涼しい顔をして会話に興じていたか。

 呼吸と殺意が同居した彼女。ゆえにそれは、形を持たなくなった感情だ。普段の会話から、それを感じ取れる事はない。獅子ケモノが常に飢えている事を人が悟れぬように。

「……私もそういう生き物だから。あなたが自分の記憶を彷徨い求める亡霊なら、私は目につく者全てを殺さずにはいられない殺人鬼」


 “欠けた人間というのは、どうしようもなく魔に落ちていく───”


 人らしい生活の営みから外れてしまう。

 なぜなら欠けたままでは過ごせない。手摺のロープがない吊り橋を渡りたがる者が誰もいないように。だから私は道を引き返して、渡れるように命綱を探し出す。

 しかし彼女の場合は、そこに第三者が割り込み強制的にレールを架けていった。彼女を掬い上げたその者の在り方は、紛れもなく開拓を冒す指導者だった。

「ひどく自分勝手なお願いを言うけれど、ナナシさんは人でいて。そうしたら私も少しは、人でいられるかもしれないから」


 “だからちゃんと記憶を取り戻して───”


 私はつい笑ってしまう。なんとも不器用な献身だと。

 どうもこれは最初から、励ましのつもりだったらしい。


 黒を満たす通路の彼方から、規則的な足音が聞こえてきた。

 男二名と女一名。ティアレナの部下の人数と一致する。それらの音は慎重を期しながらも大胆に進軍してきている。

「そろそろ時間だ。私は行く。──その…再三乱暴な真似をしてすまなかった。こちらは仇で返すばかりで、君には恩を貰ってばかりだ」

「いいよ、別に。ただ──」

 陽炎のように浮揚する光の弾。それは私の右肩までゆっくりと如何わしく浮遊し、じわじわと舐めるように焼いていく。

「───ッ」

「少しはわかりやすく傷を負って。こっちの立つ瀬がないし」

 やはりあの鬼ごっこの決着の仕方を根に持っていた。なにしろ私はほとんど彼女の攻撃を受けていない。身体に大して目立った傷はなく、裂傷も既に塞がってしまっていた。

 ティアレナは目を細めるように私を睨む。そしてぎこちなく左腕を持ち上げ人差し指を私に向け、凛々しく声を張り上げた。

「───リベンジ、いつか晴らさせてもらうから!」

「ああ、またいつか会おう、可憐な黒衣の姫よ!」

「─────…ふぇ」

 ティアレナの喉から気の抜けた声が漏れる。

 後腐れのないよう、私は即座に彼女に背を向け走り出した。

 右肩の火傷を庇うように押さえながら、下水道に繋がる通路へ直走る。

 これはそういうポーズ。その場限りの仇敵同士。

 背後では慌ただしい雰囲気。一人がティアレナの元に止まり、二人が私を追ってくる。重そうな筋肉の踏み締める振動から察するに、おそらくは両方とも男。

 ──問題ない。ティアレナよりは手強くない。

 二次元へいめん的に入り組んだ下水道。

 都市の真下に燻る迷宮。

 苦労もせず追手を撒き、私は下水道からも脱出した。

 

       ◇

 

 湿った風が汗に濡れた肌を吹き付ける。

 都市のざわめきが鼓膜を渋滞させていく。

「………はあ」


 ──ようやく、外に出られた。


 空き瓶や破れた紙袋、粗い塵などで散乱した路地裏。

 夕焼けに朱く染まる曇り空に、知らず手を伸ばす。

 届きはしない。糸は手繰れない。それでも、繋がりは残っている。


 生きる動機モチベーションが次々と補填されていく充実感。

 異なる目的同士が連結していく充足感。

 活力が胸の内より芽吹き、洞穴に光を照らす展望感。


 ああ──私は確かに、今を生きようとしている。


「お待ちしていました」

 そこへ水を差す、聞き覚えのある女の声。

 白いローブを纏った予言者紛いの占術師さぎし

 私は嫌悪を隠しもせず相手を睨んだ。

「私に付き纏っていたのか……?」

「いいえ、偶然です。私は気まぐれにも、曖昧が廃れたこの都市の中心で、その曖昧を生業とする占いをやっていた。それだけの事実が偶然を仕組まれたものとして見せているのです」

 お待ちしていました、というのは単なる戯言ホラなのですから──。そう白いローブの女は嘯く。

「とてもじゃないが、信じられないな」

「それも貴方の勝手でしょう。私はただ偶然なのだと、そう言い張るのみです」

「……ならば、私に用などないんだな」

「ええ」

 拍子抜けにも白いローブの女は頷いた。

 神出鬼没。唐突に言葉を発し現れたかと思えば、特に用はないと女は言った。それを事実問わずにこのまま放置してしまって、果たして本当にいいのだろうか。

「───しかし、私には見えてしまうものがあります」

「なに?」

「きっと嘆かわしき事です。貴方の不幸はここで終わらないでしょう。都市を揺るがす赤い閃光の後、今度は殺すためではなく、ただ絞り取る為でもなく、貴方という存在を連れ去る為に“仇敵”はやってくる」

「………」

 ──わからない。私には女が“視”えない。

 敵意も害意も殺意もなく、善意や悪意に寄る訳でもなく、淡々と女は言葉を連ねるのだ。しかしそれは同時に、私を試しているようにも思えた。表面の言葉だけを捉えて、貴方は正しい判断を下せるのかと。裏側の意思を問わずに、どこまでを嘘と詰り、どこまでを真実と置くのかと。

「あなたは私を、霞んだ道に迷わせたいのか……」

「いいえ。私はただ、確かめているだけなのです」

「確かめている……?」

 するとガタガタと重い物体の揺れる音がした。

 その音源を目で辿っていくと、そこには私が這い上がってきた下水道の蓋。

「どうやら、彼らが追いついたようですね」

「………」

 思わず感嘆の息が漏れてしまう。

 凄まじい執念だ。一体何が追手の彼ら二人を駆り立てるのか。

「逃げるとよいでしょう。遅いか早いかの違いですが、そうした方が心残りはなくなるかと」

「………」

 ギィィ、と聞くだけで重みがのしかかってくるような引き摺る音を立てながら、徐々に蓋が開いていく。

 私は釈然としない印象を白いローブの女に抱いたまま、その場を後にした。

 ただ女は最後に、こんな後味の悪い言葉をぶつけていった。

「自覚なさい。未だ死にかけの己自身を。貴方は奪われているのです。大事に抱え込んできた、この世界への執着を───」


 

 繁華街を走り抜ける。

 好奇の目に晒されている。他の者と比べ服装が見窄らしい私は、一心に周囲の注目を引いた。

 人波を縫う。

 脚を止めずに飛ばし続ける。

 煌びやかな看板、黄色い呼び声、色彩鮮やかな種族の群れ、空を飛ぶヒューマンとトカゲ、打ち上がる字幕、壁を這い上る多腕の集団旅行、彷徨き回る険しい表情の浮浪者、ごくありふれた家族連れ──遍く都市の風景。

 私の日常にはなり得ていない幸福の一片。

 私はいつになったらこの景色に入れるのだろう。背景として溶け込んでしまうのではなく、確固たる星の輝きとして、ここにあるのだと自覚できるのだろう。

 永遠に続かぬものだと知りながらも、結局のところはそういうものとして錯覚する。


 ──ティアレナも、そういう寂しさを抱き続けていた。


 記憶を取り戻す。その願いはもはや、私のモノだけではなくなっていた。望まれたのだ。望まれてまた背中を押された。

 世界を見に行け、とパベルも私の背を見送った。

 旅立つ前の駅。人混みでごった返した列車のホームを思い出す。イニカリアの景色も、発展具合に関してはこちらに軍配は上がるが、この繁華街と雰囲気くらいは似ていた。


 ──帰りたい……。

 ふと、そう思ってしまった。


 そんな思いからも逃げ込むように。

 裏路地の角に曲がり、ゴミ捨て場の影に走り寄った。

 情けないと空笑う。目的はまだ達してないのだと空を仰ぐ。

 黒灰の曇天。陽はとうに傾き、自重に崩れてきそうな重苦しさにごろごろと黒雲が息巻いている。

 奥へ奥へと進んでいくほどに、生臭さは濃くなっていった。

「雨の匂いも濃くなってきた……」

 大雨が降る。きっと長く続く大それた土砂降りが。

 煤けた壁に背を押しつけて、硬い地面に座り込む。

 すると地響きが起きた。

 しかしそれは涙を零し始めた雨空から轟く悲鳴のようで。

 

 遠い空の下で、劈くように赫い爆発が起きた───。

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