第3話 殿と鬼獅子と金棒と


「しかしまぁ、なんで鬼染が俺を?」

深い霧の中進む小舟の上で、殿はぽつりとつぶやいた。

「どんな恨みを買ったんですか」

細いかいで小舟を進ませながら孤丁は細い眉を顰めた。

「天下泰平の世になってからも追われるなんて、相当深い恨みですよ」

「ねぇよ。そもそも戦乱なんか敵味方入り乱れての戦いだ。深い恨みを買いようがねぇよ」

「まぁ確かに。殿と鬼染軍が接敵した記録はありませんしねぇ」

櫂の上に両手を置いた孤丁を小舟に座らせ、殿は櫂を手に取った。

「だろ?俺鬼染と会ったこともないんだよ」

「…ただ、非常にまずいことになりました」

置いておいた羽扇を拾いあげ、孤丁は霧の先に眉を絞る。

「あ?なんで?」

「鬼染獅子といえば一騎当千の大軍神ですが、それを支えた軍略家がいます」

「軍略家か」

「はい。鬼染金古オニゾメ カネコ、百年も二百年も生きていると噂される軍略の鬼です」

「はぁ?」

殿は素っ頓狂な声を出したが、孤丁は霧の先に視線を送ったままだった。

「もちろんそのような長寿ではないのですが、それほど長く生きたかのような圧倒的戦略で鬼染獅子を大軍神にした立役者です」

仄暗い霧の先を見て、孤丁は羽扇を膝に置いた。

「超武神獅子と、軍略鬼金古、武に秀でた鬼染家の中でも抜きん出た二人の強さに、ついた渾名は鬼獅子に金棒」

「それはそれは」

老獪な声が、殿と孤丁の耳に届いた。

「お褒めに預かり光栄じゃのう」

その瞬間、川が前に傾き小舟は圧倒的な速さで流された。辺りが急に暗くなる。

「なんだ!?」

舟のへりがゴンっと音を立てる。小さな蝋燭灯りが幾つも灯る中、浮かぶように白髭の翁が笑っていた。

「ようこそ、我が鬼染軍船へ」

翁は手に持った杖で舟の先を押さえている。

「誰だ?」

「今お前さんらが話しておったじゃないか。鬼染の軍略家、金古カネコじゃよ」

「…やはりそうですか」

目を丸くする殿の横で、孤丁は羽扇で口元を隠した。

「思えばずっと、一方通行のような気がしていました」

「どういうことだ孤丁」

孤丁は黄金の瞳に炎の色を灯していた。

「茶屋の主人に迷惑をかけたのも、優しい殿が炙り出されるだろうとのこと。殿の超人的な身体能力があれば、追手の入れぬ暗闇の森に逃げ込むだろうということ、森の川上から襲ってきたのも、霧に紛れ、小舟で川下に向かうだろうとのこと」

孤丁はギリっと鳴るほど奥歯を噛んだ。

「どこかで殿を捉えられればそれでよし、捉えられなくても逃げ道をどんどん細くしていくことで、小舟を軍船に飲み込むことが目的だったのですね」

「軍船?」

「ええ」

羽扇で舟の後ろを指した。見上げるほどに聳り立つ壁があった。

「霧の中、川の先で待ち受けていた軍船に、我らは舟ごと飲み込まれたんですよ」

金古はニィっと口の端を引き上げ、殿と孤丁の乗る小舟の先に杖をドンと打ち付けた。

「フホホ、計略がまだまだ青いんじゃないかのぅ孤丁?」

金古が杖を引き抜くと、小舟に穴が開き水が染み入った。

「ほれほれ、早う降りんと沈むぞい」

杖でコンコンと水の染み出す舟を叩き、金古は孤丁を見つめた。眉間に皺を寄せる狐丁に殿は視線を送った。

「え、知り合い?」

「…その昔、西の城下町で軍略指南を受けたことがあります」

孤丁は口の先を尖らせた。

「フホホ、ワシは才能ある若者にはいつでも門戸を開いておったからのう。孤丁は天才じゃが性格に難が多い」

「ほっといてください」

「いいや、力を発したいと思える主人が見つかってよかったということじゃよ」

腕を組んで頷く金古に殿は手のひらを向けた。

「ちょっと待ってくれ爺さん、俺とは初めて会うよな」

「ああ、ワシはお主には会ったことがない」

「ということは、鬼染が探してたのは俺じゃなくて孤丁だったのか?」

金古は眉を寄せ、ゆっくりと首を横に振った。

「いいや、お主を探しておったよ」

「は、なんで?」

「我が主、鬼染獅子様にその身を捧げさせるためになぁ」

金古はばっと目を見開き、床を蹴って飛び上がった。

「殿!回避転脱遁逃です!」

「ああ?」

金古の杖が殿の心臓を狙う。

「回避!」

殿は身を捩って避けた。

「転脱!」

殿は捩った体の勢いを殺さず身を転がして孤丁の元へいき、袍を掴んだ。

「遁逃!」

孤丁を抱え羽扇の指す先に走る。小舟を蹴って軍船の床に着地し、蝋燭灯を頼りに船内へと進む。

金古はその背に杖を向けた。

「良き策、良き動きじゃ。じゃがの」

走る殿の目の前、抜けるように何もなかった廊下に、瞬時に壁が現れた。

「ワシの策の内のこと」

壁にぶつかり殿は尻餅をつく。見上げると、ぶつかったのは壁ではなく、燃えるような緋色の甲冑だった。

「お待たせしました獅子様。ご所望の男ですぞ」

全身を覆う緋色の甲冑の隙間から、火のような瞳が殿を見下ろした。

「お前が…鬼染獅子か?」

道を塞ぐように立つ甲冑を前に、殿はどっかりとあぐらをかいて座った。

「殿!」

隣で声を発する孤丁の前に手のひらを開き、殿は緋色の甲冑を見上げる。

「俺に用があるんだろ?どんな恨みを買ったか覚えちゃいないが、ひとつ話を聞かせてもらおうじゃねぇか」

黒く生命力に溢れた瞳で殿は火のような瞳を見つめ返した。甲冑はピクリとも動かなかった。

「俺はもう誰とも争わねぇと決めた。お前さんの話に納得がいきゃあ、俺の命持っていってもいいぜ」

「殿っ!」

「さぁ話を聞かせてくれよ。俺にどんな恨みがあるってんだ?」

蝋燭灯に照らされて不敵に笑う殿に、甲冑は小さく震え始めた。

「…あ」

「あ?」

震える甲冑に殿は眉を顰める。

「…い」

「い?」

「ううううううううううううううううう!!!!」

緋色の甲冑はガタガタ震えた。

「いかん!」

金古が素早く甲冑に駆け寄り、頭武具を外した。

甲冑の中から顔をぐしゃぐしゃにして泣いている女が現れた。

「えええええええ!」

殿と孤丁は顎をがっくりと開いた。

「おおおおおいたわしや、獅子様。口下手な獅子様に「話してみろ」など難題を言いおってからに!」

鋭い杖でぽこぽこと殿を殴りながら、金古は獅子の背中をさすってやった。

「もう大丈夫ですぞ獅子様。金古がそばにおります。金古に話をしてくだされ」

「うっぅう…」

獅子は金古に耳打ちをした。

「ふむふむなるほど、おい男!」

金古はぴっと殿を指差す。

「あまりに麗しくご成長されていて感銘を受けた、と獅子様は言っている!」

「はぁあ?」

口をへの字に開く殿を見て、獅子は金古に耳打ちをする。

「貴方様を讃える言葉は幾億もあるが、私では言葉にすることができない、と獅子様は言っている!」

「なんだよ。え、なに?俺褒められてるってことでいいの?」

獅子はコクコクとうなづいて金古に耳打ちをする。

「手荒なことをしてすみません。でも、どうして?と獅子様は言っている!」

「あ?どうしてってなんだよ」

ガチャガチャと甲冑を鳴らしながら獅子は胸の前で手を組み、金古に耳打ちをする。

「どうして、迎えにきてくださらなかったんですか?と、獅子様は言っている!」

「はあ?」

殿は頭を掻いて立ち上がると、獅子の顔をじっと見つめた。

「どういうことだよ。ちゃんと話せ」

「こら貴様!獅子様に無礼じゃぞ!」

「うるせぇ俺に言いたいことがあるのはこの女なんだろ?ちゃんと話聞かせろ!」

金古は唇を噛み獅子を見上げた。獅子は眉尻を下げていたが、きゅっと拳を握った後、長い髪から朱色の紐を外した。

「…これ」

針のような細い声を絞り、殿に紐を見せる。

「…覚えて…いますか?」

「寝所に奇襲をかけられた時、百人屠った紐ですか?」

孤丁の横槍に殿はかぶりを振った。その髷にも同じ朱紐が括られていた。

「お前、桜か?」

殿の言葉に獅子は息を呑んでうなづいた。

「どういうことですか?殿」

眉を顰める孤丁に、殿は髷から朱紐を外した。

「これな、親父の兜についてた紐なんだよ。ガキの頃、親父が紐を付け替えるってんで、西の城下町の武具屋について行って貰ったんだ」

殿は獅子に視線を送った。

「親父が町で酒飲んでる間、川で遊ぼうと思ったら女の子が泣いててよ。話聞いてみりゃ戦乱の世でオヤジを失ったっていうじゃねぇか」

ぎゅっと握られている朱紐の横に、殿は朱紐を並べた。

「だから俺、親父の兜紐半分に切ってよ、そいつにやったんだ。いつか戦乱の世は終わる。天下泰平の世が必ずくる。…だから、その時は…」

並んだ二つの朱紐は多少のほつれはあれど全く同じものだった。殿は手のひらが真っ赤に成る程朱紐を握りしめている獅子に視線を移した。

「共に世の中を見て回ろうぞ…」

ガシャガシャガシャと音を立てて獅子は何度もうなづいた。

「はぁ成る程」

孤丁は眉を引き上げ、殿を見る。

「幼い頃の約束を果たす為、鬼染獅子様は戦乱の世を駆け巡り天下泰平の世を作ることに貢献した。だというに?一向に?殿は迎えにきてくれなかった。だから今回追いかけてきた」

決まりが悪そうに肩をすくめる殿に、孤丁は羽扇を突きつけた。

「全部殿が悪いじゃないですか!」

「いやだって!子供の時、そいつに名前は?って聞いたら桜の木指したんだよ!だから俺は桜って女の子と約束したと思ってて」

獅子は顔を手のひらで覆って金古に耳打ちした。

「…獅子なんて名前じゃ嫌われると、咄嗟に嘘をつきました。ごめんなさい、っと獅子様は言っている」

「おいおい…」

獅子はガチャガチャ甲冑を鳴らし、金古と孤丁はじっとりとした視線で、殿を見つめた。

「わぁったよ!全部俺が悪かったよ!」

ガシガシと頭を掻いた後、殿は獅子に手を差し出した。

「迎えにいかず、迎えにきてもらったような格好になってすまねぇが、獅子、天下泰平の世だ。共に世の中を見て回ろう」

柔く笑う殿に、獅子は何度もうなづいた。涙の溜まった瞳で差し出された手を見つめている。

「よかったですなぁ獅子様」

金古は鼻をすすった。

「もちろん我ら鬼染一族総員、獅子様について行きますからな」

殿はパッと手を引っ込めた。

「…何?」

「何とはもちろん」

金古は殿を見上げた。

「獅子様には金古をはじめ三万の軍勢がついておる。総員お主についていくからな?男よ」

殿はぎゅうっと眉間に皺を寄せた。

「…孤丁」

「はい殿。ご命令を」

膝をついた孤丁に殿は胸を張って大きく息を吸った。

「…よし、撤退だ!」



殿と孤丁は逃げ出した。

獅子も金古も後を追ったが、殿と孤丁は逃げて、逃げて、また逃げた。

三十六個の逃げ方を披露し続けながら、天下泰平の世を駆け巡っていった。

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殿は、超戦略的⭐︎撤退中! 山下若菜 @sonnawakana

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