異世界で描く意味を、ここで証明しろ。

 真っ暗な部屋の中、三宅は椅子に顔を埋めるマイアの背後についた。勢いで来た反動が今になって追い付き、かける言葉を見失いそうになる。


「マイアさん……あの——」


 三宅の言葉が、マイアの背中に押し戻される。給仕の言う通り、何も言わない方が絶望に飲み込まれている彼女の為になるのかもしれない。目が慣れて薄暗くなった部屋の中で笑い続けるアレックスを見て、三宅はある事を伝えようとした。


「……アレックスさんは、セノーテを出発する前に——ナルちゃんに怖い思いをさせた事を、自ら謝罪していました。最後の最後に……あれ程憎んでいた獣人を、一人許そうとしたのは、不幸中の幸いと、言えるのではないでしょうか——」


 暫く待ったが、マイアから返事はない。三宅は息が詰まって、脳が酸欠を起こしそうだった。気の利いた事も言えず、彼女にとって腹心の友でもなんでもない。ここに来た事を、今更後悔した。


「……」


 三宅は完全にかける言葉を失った。マイアとアレックスだけが存在していいこの場所で、自分がここに居る意味を、薄暗い中で必死に探る。


「今の私を四文字で表すなら、無為無能むいむのうそのものですね。アレックスさん……」


 全てを遮断したその空間にいるマイアですら聞こえない程の声量で、三宅は自身の無力さを呪った。唯一持っているのは『絵を描く』力だけ。こんな時に、何の役に立つんだ。と、三宅は広げた右手を睨んだ。


「……」


 あまりの静けさに、三宅は今までの事を振り返る。前の世界で出来ず、この世界で出来る事は一体何か。正直これでは、前の世界と何も変わらない。ファンタジーな建物が立ち並ぶ外国に、右も左も分からず来て、自分の描きたい絵柄を守るだけ。それなら、



「こんな、夢の無い魔法……」


 その言葉を呟いて、三宅の脳内に浮かんできたのは、この世界の者が語る現実的な夢の数々。

 ——画家に肖像画を描いてもらうのが夢のシャルロット。庭にリンゴの木を植えるのが夢のナル。そしてアレックスは、花畑で結婚式を挙げるのが夢だった——


「貴方が憧れたあの花畑は、こっちの世界には存在しない……どう足掻いても、叶わない夢……」


 ——お互い、誰かに夢を与えられる者に、なれたらいいな——


「……どう、夢を与えたらいいんですか。ゴードンさん……」


 愛する人を失った女性の背中、キャンパスの中にいる笑顔の騎士。それを見つめる似顔絵師の三宅は、薄暗い空間の中で、二度と戻らない旅に出たゴードンに問いを求めた。


「夢は……追いかけてこそ、輝く——」


 その言葉を口にして、切り絵を追いかけるナルを思い浮かべた瞬間、三宅に一つの閃きが貫いた。そして、無力だったはずの右手を見つめる。


「……ッ!」


 次に三宅は薄暗い中で唯一、明るく笑うアレックスのスケッチを見た。もう二度と動かず、永遠に言葉を交わせなくなってしまった。それなのに、語りかけてくる。託してくる。三宅に対して。


 ——俺の夢は、マイアと色鮮やかな花畑で結婚式を挙げる事でな——


「私なら、その夢を描きうつせる……!」


 三宅は飛び付く様に、全てを拒絶するマイアの背中に手を添えた。そして、彼女に呼びかける。これは三宅だけでは、実現出来ない事だからだ。


「マイアさん、私ならアレックスさんに……会わせてあげられます」

「……」


 希望を求めて、マイアは三宅に向かって顔を上げた。彼女の目は涙をいっぱい溜めて、心が痛むあまり泣いている顔をしていた。


「ですけど——私に出来る事は『二人の夢をえがく』事だけです。それを叶えたら、あなたは夢から覚めてしまうでしょう。声が届かなくても、それを背負って前に進む覚悟が、どうしても必要です」

「……」

「それでも……アレックスさんとの夢を叶えたいのであれば、私は二人の為に全力を尽くします。出来れば……私の記憶が鮮明な内に、希望して下さい」


 マイアは涙を静かにポロポロ流しながら、三宅の提案を傾聴する。彼女には、なんとなく三宅がやろうとしている事が何か分かった。しかし、それは儚い夢である事には変わらない。


「これは貴女が決める事です。マイアさん」

「今すぐ会わせて……アレックスに——」


 マイアは願いを振り絞って声に変えた。それを聞き入れた三宅は、ギュッと彼女を抱擁する。この夢を叶えるには、お互いに乗り越えなければならない、現実がある。それでも夢を追いかけると二人で決心して、三宅はマイアから離れた。


「その椅子に、腰掛けて下さい」


 その指示にマイアは無言で頷いて、ゆっくり椅子に座った。三宅はそれを見届けると、アレックスの似顔絵が描かれたキャンバスを隣に置いた。そして薄暗い部屋の中、二人の顔をもう一度目に焼き付ける。


「ふ——ッ……」


 三宅は肺にある空気を吐き出して、深呼吸する。今からやろうとしている事は、今までやった事のない描写だ。上手くいく確証は無いが、描き切る自信はあった。


「私にとっても、最初で最後の……人物画と背景画です。では、いきます……マイアさん、目を閉じていて下さい」


 それを聞いたマイアは、言う通りに目をゆっくり閉じた。三宅はスッと彼女に歩み寄ると、右手で目を覆い隠す様に触れた。そしてイメージする。アンダルシアのヒマワリ畑を。自身の中にいるアレックスの面影を。


「四文字で表すなら……これは、鏡花水月きょうかすいげつ

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