殉職。

 信じられない知らせを耳にした三宅とウォルドーは、急いでマイアのいる宿屋に向かった。現状、ウォルドーの又聞きでしかない、何かの冗談だと信じて、二人は息を切らす。

 曲がり角を抜けて宿屋が視界に入ると、たくさんの人だかりが店の入り口出来ていた。噂の事実確認をする為に、集まったのだろう。宿屋前にやっと到着した三宅とウォルドーは、膝に手をついて息を整える。酒飲みと絵描きは、運動に不慣れなのだ。そこに男達の話し声が乱入してくる。


「本当に……あのアレックスが、死んじまったのか? 一体どうして……」

「……シャルロットの護衛任務途中の事だ。ピエトロ派の残党が、奇襲を仕掛けたんだとよ」

「通せ……ッ、通してくれ!」


 その事実を跳ね除けようとするかの様に、ウォルドーは人混みをかき分けて、宿屋の入り口を目指す。三宅は彼が無理矢理作った道に続くが、人々の話し声が至近距離から入ってくる。


「どこで襲われたんだ? シャルロット様はご無事なのか?」

「グンワイア渓谷だよ。幸いにも、シャルロット様は怪我一つ無かったが……奇襲の崩落で、たくさんの騎士が巻き込まれて、崖の底に落下したそうだ」

「そんな……あそこは、溶岩の川だろ。じゃあ——アレックスの死体も、戻らないじゃないか……」

「でも、危険な護衛だってのは誰もが予想出来てた事だろ。……騎士は、いつ死んだっておかしくない仕事だ、仕方ねぇよ」

「マイアちゃんも……気の毒だよなあ……」


 三宅は人にぶつかりながら、現実を耳にして痛感する。アレックスの言っていた通り、この世界はだったのだ。その片鱗は何回も耳にしていたのに、獣人差別を目にしていたのに、危険だと分かった上で旅をする人を何人も目にしたのに、三宅は動揺で息が整わない。平和ボケで頭痛がした。


「はぁ……ッはあぁ……ッ」


 人混みを抜けたウォルドーは、入り口まで来て、荒れた息で呼吸する。後に続いた三宅と共に宿屋に入って受付を見るが、そこにも人集りが出来ていた。


「ばあさんッ! マイアは……マイアはどこだ!」


 ウォルドーは強引に人を押し退けて、受付前で呆然とする、給仕の中年女性の所に詰め寄った。


「ウォルドー……マイアちゃんは、この奥で一人閉じ籠っちゃって。なんて声をかけたら、いいのか……」

「聞いちゃったのか……アレックスの事——」

「ええ……。本当に、かわいそうで……見ていられないわ……」


 中年女性は、顔を覆って静かに泣き出す。受付前にいる人々からの同情の声と、アレックスの死を悼む声が、まだ信じていない三宅とウォルドーの耳に現実を突き付けてくる。


「本当に、アレックスさんは……」

「……ざけるな」

「ウォルドーさん……?」

「ふざけるなあぁああ——ッ!」


 体内に蓄積された酒が蒸発する程、ウォルドーの感情が爆発した。突如大声を上げた事に困惑する三宅の前に、大きい体格の男が彼の肩を掴んだ。


「おい! ウォルドー落ち着け!」

「……どいてくれ。昼寝しているあいつを、叩き起こしに行く」

「渓谷に行く気か⁉︎ 地盤が緩んでいて、あそこに行くのは危険だ。気持ちは分かるが……アレックスが死んだのは、事実なんだよ!」

「そんなの認められる訳ないだろ! 僕が何の為に……マイアを譲って……二人の幸せを、本気で願って——」


 ウォルドーの本音を聞いて、三宅の目にやっと真実の姿が映った。どこか裏切りを予感させる掴み所が無い男だったが、夫婦の幸せを誰よりも心から望んでいたのだ。


「離してくれ! こんなの、絶対認めない……アレックスが死ぬ訳な」


 ドゴォッと鈍い音が受付前に響き、頭に血が上っていたウォルドーは倒れ込んだ。彼の頬を殴った大きい体格の男は、悲痛な目で見下げる。


「頭を冷やせ! マイアちゃんの、前だぞ」


 華奢なウォルドーは、そのまま気絶してしまった。残された三宅は頭の整理が追いつかないまま、奥のドアを見つめる。


「マイアさん……」


 心が痛む三宅は、どうしたらいいか分からなかった。結婚式の為に用意した、ウェルカムボードの構想が白紙化していく。周りの悲しみに暮れる声に包まれながら、三宅は視界の中にある『微かな変化』に気付いた。


「似顔絵が、なくなってる……」


 それは、ナルがつまみ出されそうになった時に描いた、アレックスの似顔絵スケッチ。あれから記念に飾って、多くの宿泊客をもて成していた笑顔のキャンバスが姿を消している。


「……」


 三宅はグッと、何かを決心して一歩踏み出した。姿を消した絵の行方を確信した彼女は、孤立していくマイアの元に行こうと、閉じられたドアに手を伸ばすが、給仕の女性に腕を掴まれて止められる。


「ちょっと待って……今は、そっとしてあげるべきよ」

「……分かってます。正直、なんて言ってあげたらいいか、思い付きません」

「何を言っても慰めにすらならないわ。お願い、今は一人に——」

「一人じゃありません」


 その一言に、給仕の掴む力が緩んだ。三宅は眼鏡の奥から真剣な瞳を給仕に向け、わがままを固く閉ざされた扉の奥まで通そうとする。


「すみません。今の私を四文字で表すなら、被髪纓冠ひはつえいかんなんです……お願いします」

「……分かったわ。マイアを、お願い」


 給仕は独特な気迫に押し負け、ゆっくりと腕を解きその場を譲った。その先に進む事を許された三宅は、一回深呼吸する。喉の奥に入っていく空気は悲しみに満ちていて、摂り込んだ者の沈黙を誘い、思考を停止させる。


「マイアさん、三宅です。……入りますよ」


 三宅はガチャ……と、重く苦しい扉を開けた。顔を覗かせて中を見ると、昼にも関わらず部屋は真っ暗だった。しかしその先に、アレックスの似顔絵が描かれたキャンバスが見えた。


「……」


 三宅は無言でゆっくり扉を閉じて、孤独の世界に入り込む。視線の先には、アレックスのキャンバスを前にマイアが椅子に顔を埋めて、静かに泣いていた。


 ギィ……、ギィ……と床を踏みしめて進む度に、マイアの泣き声が反発して聞こえてくる。彼女は今、他人の介入を拒絶している状態だった。……すぐ目の前で、動かず笑い続ける——アレックスを除いて。

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