妄想に生き、即席麺で死ぬ。
ゴードンは先程黒猫を描いたキャンバスに軽く指で触れる。そして周辺を適度に撫でると、さらにもう一匹、三毛猫が追加された。
「君も知っているだろう、『
「はい。この世界では、かなり知られている魔法のようですね」
「その通り。現在も画家は極めて少数だが、存在自体は古くからあるようだ」
三宅の会話を始めながら、ゴードンはキャンバスに絵を追加していく。黒猫と三毛猫の次は、笹を食べるパンダが描かれた。
「三宅はどこまで『
そう言われた三宅は椅子から立ち上がると、キャンバスを指で軽くサッ、サッと撫でた。浮かび上がってきたのは、茶色い馬だ。
「とりあえず、描きたい『物』に対して、平面的な絵を、自由に描いたり消したり出来ます。伺った話によると、ゴードンさんはこの力の達人だそうですね」
「なら、このまま話を進めよう。三宅の話を聞く限り、君はここまでがこの力の限界という認識のようだが、実際は色々な応用が出来る魔法なんだよ」
ゴードンは自分の口元を右手で覆い隠すと、そのまま下にスーッと下ろしていく。すると、彼の真っ黒い顎髭が変化し、真っ白でサンタクロースのような髭が完成した。
「……!」
「驚いただろう? しかし実際は、こうはなってないのさ、魔法の視覚的錯覚によって完成されるものでね。つまり
白い髭を作った右手は、すとん、とゴードンの膝上に落ちた。腕全体と指先がプルプル震え、彼は左手で撫でながら苦悶の表情を浮かべた。
「時間をかければ大した事はないが、無理矢理短時間で完成させようとすると、作業量と同等の疲労が腕に蓄積される……三宅はもう、体感したかい?」
「……はい。あの時の私を四文字で表すと、
「そうだね。つまりこの魔法は、特殊メイクの様な使い方も出来るし、人を迷わせる騙し絵も作れるし、絵を動かすアニメーションを一人で可能にするという訳だ。あくまで『錯覚』させる効果しか、生み出せないが」
「なるほど——つまりゴードンさんは、この魔法を活用して、正体を包み隠していた訳なんですね。街では高齢老人と言われていたのに、ナルちゃんからはおじさんと呼ばれていた理由がやっと分かりました」
三宅は『
「ふー……この力について、自分の知っている事は全て話したよ」
「とても面白い話が聞けました。この世界に来てから、娯楽が無くて退屈していたんですが、これなら一人で色々楽しめそうです」
「……。三宅は、この世界に来てから——どれぐらいになる?」
「私ですか? んー……一週間、と言った所でしょうかね」
ゴードンはそれを聞くと、再び賑やかなキャンバスを見つめた。馬、パンダ、猫が二匹。そして痛み続ける右腕を、左手で撫でながら言った。
「……時に三宅は、カップ麺は好きか?」
「え。カップ麺ですか? まあ……安値なので、下積み時代はかなりお世話になりましたし、嫌いではないですね」
「自分は——カップ麺の中でも、油揚げが入ったうどんが好きでね。日本で暮らしてる時に気に入ってしまって、スペインに帰ってからも、定期的に箱買いをしていたんだ」
何故今、そんな話をするんだ。と、三宅は疑問の表情を浮かべるが、ゴードンはただ真っ直ぐにアトリエの床を見つめ、記憶を辿る様に話を続ける。
「毎朝、きつねうどんのカップ麺にお湯を注いでは、大満足で食べていたよ。そして日中は、版画の仕事さ。毎日、それの繰り返し——これこそ、自分にしかない日常だと。作品だと……ずっと、そう確信して」
「……ゴードンさん?」
「自分には、教え子がいたんだよ。若くて健気な女の子でね、絵はお世話にも上手いとは言えなかったが、シルクスクリーンを手掛ける時だけは、楽しそうにするんだ。だから彼女に、自分の技術全てを叩き込んだよ——多少、乱暴だったかもしれない」
三宅は黙って話を傾聴していたが、どこか不穏な空気が、ゴードンの吐息から流れ出ていた。そんな彼女の視界には、少し離れて夢中で絵を眺めるナルがいる。
「自分はね、誰にも真似できない作品をたくさん世に出せたら、それで満足だった。評価されなくてもいい、お金にならなくてもいい。それを生きがいに、画家気取りで25年も夢中になって、シルクスクリーンを触ってきたんだ。でもある日——教え子がネットに上げた版画が、話題を呼んだ。下絵は自分だが、刷ったのは彼女でね。自分のだと主張出来なかったのは……同じ絵でも刷り方次第で、
「……」
「その翌朝に、食べたきつねうどんは……何故か、とても不味くてね。食べているうちに、版画はカップ麺と同じだと気付いて——コンプレックスが自分を追い詰めて、無気力な毎日が続いたかと思えば、いつの間にか護身用の拳銃を咥えていて……自分で、引き金を引いていたよ」
「…………」
三宅の沈黙。長々と話し続けるゴードン。対照的な二人を挟む、動物の絵が描かれているキャンバス。ゴードンは一回眉間を左手で揉むと、俯いていた顔をゆっくり上げて三宅を見た。
「君は死んだ日のことを、覚えているか?」
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