命がもったいない精神。

 三宅は溺れそうな量の唾を一回飲み込んだ。自分が死んだ時の事を覚えているか——そんな事を誰かに尋ねられたら普通なら答えられず、記憶していたとしても思い出したくもないものだ。


「よく——覚えていますよ」


 しかし三宅はゴードンの問いに対して、普通に答えた。創造エイルクの次に知らなくてはいけないのは、この世界に存在する前の、自身の死に様についてだ。


「……流石に話したくは、ないか」

「いいえ。この世界に来たばかりの頃、私はぼんやりと……理不尽な事故で転生したか、なんかだろうと思っていました。でも、今ならハッキリ言えます。私は、死に際をしているだけでした」


 三宅はゴードンを静かに見つめながら、自身の記憶を再度描き起こす。それは、何気ない日常の中にある、


「稼ぎを増やしたかった私は——日曜日の繁華街に設営して、似顔絵師の営業をやっていました。よく晴れた日で、人通りも多い。ですが、結局一枚も似顔絵を描けず、収入0で終わりました」

「災難……だったな」

「それぐらい、似顔絵師であればよくある事です。ですが、その日の私は妙に苛ついていて。日ごろの疲れか、理想と現実のギャップか——多分、大した事では無かったと思います」


 三宅の目はぼんやりとしていき、次第にどこを見ているか不明になってきた。そのまま彼女は、今からそれを再現するかの様に、状況説明をしていく


「帰りの夜道——とにかく私は、社会から孤立したかったんです。暇な時にしかやらないスマホゲームに集中し、ワイヤレスイヤホンから、音楽を大音量で流して……。そうやって全てを遮断したせいで、私は気が付きませんでした。——横断歩道の信号が、赤だった事に」

「それが、三宅の……最期という訳か」

「ええ。音もなく、ダンプカーが突っ込んで来たと思います。ですが悪いのは明らかに、歩きスマホをしていた私です」


 迷子になっていた目の焦点が、やっとゴードンと合う。そして二人はお互いに認め合う、同類の画家である事に。


「やはり……君も、自業自得じごうじとくなのか」

「そうですね。四文字で表すなら——いえ、それ以外に、言いようがないです」

「——自分が出会ってきた画家達も、自殺や不注意……自身が招いたトラブルや病気が元で亡くなったと、口を揃えて言っている」

「つまり、創造エイルクを持ってこの世界に飛ばされて来るのは、をした絵心のある人間、という事ですね?」


 ゴードンは両手を口元で合わせ、何も言わずに床を見つめる。その沈黙は、三宅の指摘した事の答え合わせになってしまった。


「どうやら神という存在は、創造力のある人間を、簡単に死なせてはくれないようだ」

「不服ですが、少々納得してしまいました」

「経緯はどうあれ、一度命を粗末にしてしまった自分は、ここでやり直す道を選んでみた。だが結局、他人の為に力を使わず、こうして身を潜めている」

「……なぜですか?」

「元々独りよがりな性格なのもあるが、一番はこの世界の被写体に魅力がない事だと、自分は思っている」


 創作者特有のわがまま。しかし三宅は、それに納得してしまっていた。ふと、脳裏に根拠が浮かび上がる。肖像画を描いてもらうのが夢、花畑で結婚式を挙げるのが夢、リンゴの木を庭に植えるのが夢——どれも安直で、すぐにでも叶えられそうなものばかり。


「この世界の者は、現実的な夢しかいだかないのだ。地味で変わり映えのない、まるで『版画』のような夢を——」

「……」

「だからこそ、浮世離れした我々には、到底叶わない幻想を描きうつす力——『絵心』があるのだろうな」


 ゴードンは立ち上がって、近くにあるキャンバスに描かれている馬以外の絵を、まだ痛む右手でサッと消し去った。


「長話に付き合わせてすまない。あとは自由にするといい——これ以上話しても、我々は何も変わらないだろう」

「……色々知れて、良かったです」


 三宅は立ち上がって、深々と頭を下げた。話しかける言葉が浮かばない彼女は、まずは一歩踏み出し、ゴードンの独立美術展を見て回る事にした。


 アトリエに置かれたキャンバスには、彼の人生を象徴するシルクスクリーンの版画やグラフィティアートと、色と形が作り出す印象派美術作品が並んでいる。しかしどれも、世界に無い存在しないと思われる風景や人物ばかりだ。


「……」


 長年刷り続けた芸術力は確かなもので、ゴードンの作品を褒め称えようとした三宅だったが、つかえたように出てこない。彼の死に様を知った今、『言葉』の責任を彼女はとても背負いきれなかった。


向日葵ヒマワリ……」


 ようやく言葉を誘い出したのは、何処かにある広大なヒマワリ畑を刷った風景画である。美しいコントラストに、もはや写真と見紛う程のクオリティ。三宅はキャンバスに広がる『青』と『黄』の調和に釘付けだった。


「ゴードンさん。この花畑は、どこに存在するものなんですか?」

「……ああ。それは自分の故郷、アンダルシアのヒマワリ畑だよ。綺麗だろう、スペインで一番好きな場所だったんだ」


 ゴードンは懐かしむ様に、並んでキャンバスを眺める。しかしそれは、この世界に存在しない花畑。つまり見た者に夢を与える、一枚絵なのだ。


「四文字で表すなら——鴛鴦之契えんおうのちぎり……」


 今出た言葉は絵に対する賞賛ではない。その花畑に並べたい言葉だと思ったのだ。アレックスとマイアという、この世界に存在する夫婦をこの場所に添えたい。その願いが三宅から、お世辞の無い言葉を形にしていく。


「……確かにこの世界は、夢が無くて退屈かもしれません、美術的価値も無いのかもしれません」

「……」

「でも『芸術』って……受動的な時より、能動的に見た時が、意外と面白かったりするんですよね」


 若き三宅はその言葉をスッと先輩画家のゴードンに図々しく添えると、軽く頭を下げて自由に見て回るナルの元に向かった。キャンバスと一対一になったゴードンは、自身が忠実に一瞬を刷った絵と見つめ合う。


「……ああ。そうだったね——」


 花畑を散歩するように、ゴードンは様々な視点からキャンバスを眺めた。同じ絵が刷れてしまう版画は光の当たり方、絵の角度で『色の変わる瞬間』が見れる絵である事を、彼は今更思い出したのだ。


「まさか今になって……無性に、カップ麺が食べたくなるとは」

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