水琴窟のメンター。
セノーテの街の路地裏にある梯子を降りると、そこには広めの地下水道が広がっていた。太陽が届かず、湿った空気が充満するその場所でも、獣人によって立てられた松明や設置された魔法石による光に照らされて、見通しが良い程度には明るい。
「こんな所に繋がっているとは……」
三宅が息を呑んで辺りを見回しているとここはもう安全なのか、黒いローブのフードを外して顔を晒したナルが手を引っ張ってくる。
「こっちだよ、ついてきて!」
元気なナルに行先を任せて、三宅は地下水道を歩く。どこまでも続きそうなトンネル状の道は、声が反響するが、流れる水の音と足音以外なにも存在しない。
「四文字で表すと、ここは正に
「うん! ゴードンおじさんって、すごく優しいんだよ〜。会う度に、パンくれたりするの!」
「そうなんですね。……獣人差別はしてないようで、良かったです」
これ以上、世界の歪みを見たくない三宅は一安心した。そのまま二人はトンネル状だった道から複雑な通路に出て、元来た道を忘れしまうくらい右へ左へ歩いて行く。
「ナルちゃん、私……帰り道が分からなくなりそうなんだけど、平気かな?」
「大丈夫だよ〜。慣れっこだからまかせて!」
ナルの自信満々な顔を見て、三宅はそのまま任せる事にする。二人で色々な雑談をしたり、絵の話をしている内に、地下水道の倉庫と思われる鉄製の扉の前に来た。
「ここだよ! ゴードンおじさんの家!」
「ここが……」
いつ、何の為に、誰によって作られたか分からない地下水道に、ぽつんと存在する黒く四角い扉。辺りの壁は湿気でカビたり、劣化で煉瓦が欠けたりしているが、扉だけは今でも役割があるかのように綺麗な状態を保っている。
「おじさんいるかな〜」
ナルはダンダンと扉を叩いてみる。固い音がいつまでもその場に残って響く。しばらく二人は、大人しく待ってみた。
しばらく待つと、扉から何かしらの気配が主張してきた。しかし、返事や扉の開く様子はない。
「ゴードンおじさん。わたしだよ、ナル!」
獣人の嗅覚か、ナルはそこに人がいるのを確信しているかの様に元気よく声を出した。すると、ギイィィと錆を擦るような音を上げ、鉄の扉がゆっくり開いていく。
三宅がごくりと張り詰めた顔で待ち構えると、扉の隙間から顔を覗かせたのはスペイン系の顔立ちをした、黒くて濃い口髭が特徴の男性である。アレックスの言っていた、ヨボヨボお爺さんという特徴は何一つない。
「おや、ナル……この人は?」
「ミャーケお姉ちゃんだよ! ゴードンおじさんみたいに、絵がじょうずなの〜!」
自慢気に話すナルを横目に、ゴードンは三宅の全体像をじっくり観察する。この世界観に合わない服装、時代を一歩先にいったようなデザインの眼鏡。
「……なるほど。ほら、入りなさい」
ゴードンは何かを確信して、鉄の扉を広く開けると二人を招き入れようとする。今までと違う雰囲気に少し腰が引ける三宅だが、ナルが強引に引っ張ってくれた為、なんとか奥まで進む事が出来た。
「……すごいですね」
三宅は鉄の扉の奥にあるゴードンのアトリエに圧倒された。様々な魔法石によって昼のように明るい室内には、数多くのキャンバスが並んでいる。壁には羊皮紙に描かれた風景画や人物像。数々の絵画が存在するのに、そこには画材が一切無いのだ。
「ゴードンおじさん、まだ見てない絵、見ていーい?」
「構わないよ。好きなだけ眺めるといい」
わあいとナルは、新しい絵を見にアトリエ内を自由に動き回る。するとゴードンは後ろで棒立ちする三宅の前に、小さな木の椅子をコツンと置いた。
「座ってどうぞ」
「失礼、致します」
三宅は言われるまま、椅子に腰を落とした。ゴードンはいつも愛用している背もたれのある椅子を近くに寄せて、彼女と見合わせるように足を開いて座った。
「……画家に会うのは、久々だな——」
「あなたが、ゴードンさん……ですか?」
「ああ。自分はゴードン……いや、ゴードン・K・マクラウドだよ。君は?」
「……三宅です」
「
ゴードンが近い境遇の人間であると、決定付ける一言。三宅は思わず立ち上がりそうになったが、それを抑えて冷静に言葉を選ぶ。
「私が知る限り、この街でミドルネームを持つ人はいませんでした……」
「それもそうだろう、この世界ではあり得ない名前だ。——お互いにね」
「……正直——今の気分を四文字で表すと、
「ほう、
ゴードンはフッと口元で笑う。そしてゆっくりと、足を組んで座る姿勢を変えた。
「改めて自己紹介をしよう、自分の名はゴードン・K・マクラウド。生まれはスペインだが、孔版画を学ぶ為に、八年くらい日本で暮らしていた事がある。……前の世界では、シルクスクリーンを用いた自作品を売って、生活していた。さて、君の事も聞かせて貰おうか」
「……私は、新潟県の生まれです。成人してからは上京して、埼玉を拠点に似顔絵師をやっていました。一応、似顔絵検定はクリアしてます……公認似顔絵師には、なれませんでしたが……」
「似顔絵師か——人の思い出を切り取って熱与える、素敵な仕事だね」
「——恐縮です」
話が噛み合う事に三宅は困惑しながらも、やっと心置き無く話せる相手に出会えた事で、張り詰め続けていた肩の力が抜けていく。彼女の様子を見たゴードンは、お互いの事を知った安心感がある内に話を進めた。
「三宅がここに来るきっかけは、
「……そうですね。まさか、ゴードンさんも同じ世界から来た人とは、思いませんでしたが。——お恥ずかしながら、現状私は……分からない事だらけで、何から聞いたらいいかすら、今は思いつきません……」
「そうか……と、なると。君はここに来たばかり——という事か。きっと、長い話になる」
「大丈夫です。やるべき事が、今はないので」
「ならば、まず……この世界に馴染む事から始めよう。恐らく三宅も、何となく使っているだろう、この力——」
ゴードンは近くにあった真っ白なキャンバスに手を伸ばし、それを軽く指で撫でた。すると、浮き出るようにパステルタッチの丸まって眠る黒猫の絵が完成した。
「僕ら画家だけが持つ魔法、『
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