女神、修行の一日へ
その言葉を聞いたのは、ただの偶然だった。
―――― ここへ来る前、廊下で二人に会いました
米津元帥の私室。遥加はドアに背中を預けるように座り込んでいた。来たる危機に対抗するための神器の捜索。遥加は元帥から話を持ち掛けられてはいない。真由美には話がいったらしいが、遥加が戦線から外れるのであればと断ったらしい。だから遥加は彼女からこの話を聞いていた。
(私はもう、戦えない⋯⋯?)
この身を突き動かす情念は、すっかりその灯火を失っていた。魔法が使えない以上に、それが致命的だった。
「こんなにこそこそと、貴女らしくない⋯⋯」
「ひっどーい」
部屋の中からバレないように、遥加は声をひそめた。どうせ何人かにはバレているだろうが、それでも体裁というものがある。
何やら一皮剥けたらしい真由美は呆れた表情で遥加を見下ろしている。
「魔法が使えないし、大弓ももう出せない。バッドデイさんが買ってくれた大弓を引くのにもいっぱいいっぱいだよ」
「マギアの身体能力強化は働いてるようですけど?」
馬鹿正直に小首を傾げる従者に苦笑いを浮かべる。
「でも、戦うんですよね」
「うん、マルシャンスさんに弓術をちゃんと習うことになったの。あの人放っておくとどんどん自責に沈んでいくから」
「かつてないほどひどい理由を聞いた気がします⋯⋯」
「そう? そういうとこかわいいなぁって私は思うけど」
会議が締めに入り始めて、遥加は立ち上がった。
「プロローグのこと、伝えなくていいんですか?」
「必要ないよ。余計な寄り道させちゃ悪いからね。私の魔法が使えなくなるってイレギュラーに合わせてネガを生みまくるって偶然もないでしょ。それに、出くわしちゃってもあの人たちなら苦戦なんてしないよ? 『終演』ならともかく、ね」
「まあ、それはそうですけど⋯⋯」
まさに『チュートリアル』と『ラスボス』の関係。『チュートリアル』なんか目じゃないどころか、あの高月あやかに引けを取らない相手というだけで、真由美の中での強さ基準はもう天井だった。
「ほらほら、仕切ってるアルさんかっちょいいでしょーー?」
「アルさんてあの褐色の⋯⋯⋯⋯うん、まぁ」
「あーー、真由美ちゃん赤くなったぁー」
「やめてください、ほんとに」
虚ろな双眸で茶化している彼女を見るのは、無理が隠せていなくて痛々しい。真由美は彼女の手を引いてここから離脱する。盗み聞きしていた会議もちょうど終わったようだし、いい頃合いだろう。
そして、渡り廊下の先、階段の手前で。
「話があるんじゃなかろうかと思ってな」
「⋯⋯⋯⋯っ!」
真由美が干上がった悲鳴を上げた。
ついさっきまで会議の場にいたはずの米津元帥が待ち構えていた。
「もー失礼だよ、真由美ちゃん。米津さん、こんにちは!」
「ああ、こんにちは」
「あ、あの⋯⋯こんにちは、ですぅ⋯⋯?」
困惑のあまり面白いことになっている真由美に口元を緩ませながら、元帥は遥加に語りかける。
「身体は元気になったようでなによりじゃ」
「ええ、そうですね。素晴らしい治療環境をいただいて感謝してます」
愛想笑いを浮かべる遥加だったが、元帥の視線に十秒も保たなかった。恐ろしいほどにのっぺらとした無の表情で、百戦錬磨の元帥に頭を下げる。
「ちょっと、アリスっ」
「私は私を失いました。だからきちんと人として鍛え直す必要があります」
「それではまるで、そなたが人ならぬ身のように聞こえるがのう」
「私は――――身体を動かせないまま魔法の力を手にしました。まともに人としての力を知りません」
元帥は顎を摩りながら続きを促す。
「でも、その力は今はもうありません。だから、人としての戦う力が必要なんです」
遥加は、傍に控える真由美に目線を投げた。魔法の力を手にする前からままならぬ現実と戦ってきた健気な少女の姿を。
「そこまでして戦う必要もあるまいて」
「違います。私には必要があります」
「そなたの敵は、ワシらに任せい。子どもは大人が守るもんじゃよ?」
「そうじゃない」
遥加は、感情を感じさせない双眸のまま、強い言葉を発した。元帥は、その身をやや前のめりにする。
「私にとっては、この身体が動くこと自体が限りない奇跡なんです」
「ほう」
「動くものを動かさなくなったとき――――私の運命は終わる」
元帥は頷き一つで承諾した。通じるものがあったらしい。
「そちらの子はどうするんじゃ?」
「私は⋯⋯遠慮します。私は『剣鬼』の一番弟子ですから」
「⋯⋯あれ、意外だね? 私からどうやって引き剥がそうか考えていたのに」
「私に着いてきて欲しかったんですか?」
意地悪なことを言った従者の足を蹴って、遥加は元帥に作り笑いを浮かべた。
「言うておくが、病み上がりの身とて容赦するつもりはないぞ」
「多分、それが今の私に必要なものなんだと思います」
「では、何も言わないて。明日一日、みっちりしごいてやるからのぅ」
「一日⋯⋯?」
元帥はにかっと意地の悪い笑みを浮かべた。企みがある。余計な詮索をするのも無粋だろう。
そして、遥加はこの修行を経て――――
♪
「――――ということで、稽古は一日待ってね」
「いいけど、本当に大丈夫なの? なんならしばらくずっと休んでいてもいいのよ?」
「うーん⋯⋯肉体は完全回復してるから、個人的には動いていないと気持ち悪いかなー」
いけしゃあしゃあと言ってのける遥加を、真由美は白い目で見た。仮面の男、マルシャンスが遥加の身を案じていることを、真由美は有り難くすら思った。しかし、彼女は知っている。遥加は想いを妨げられることを何より忌避していた。
「⋯⋯分かったわ。でも、無茶だけはしないでちょうだい」
無言で作り笑いだけ浮かべる遥加に、真由美とマルシャンスは顔を覆った。言っても彼女は曇るだけで止まらないのを知っているので、止めることすら出来ない。二人は奇妙な連帯感に包まれた。
一方、そんなもの意に介さないバッドデイは笑って言ってのける。
「HAHAHA! お嬢は修行パートに突入ってわけか! お弓デートがお預けになって残念だったな、仮面野郎!」
「やだもうバッドデイさんったらぁ!」
ノリが良い遥加だけがきゃぴきゃぴはしゃぐものの、場の空気は氷点下に達している。
「ま、悪竜王とか黒竜王とか『完全者』の後ろに控えた『危機』だろうが、情報収集の基本は足だ。どうしたいのかはまだ定まってねえだろうが、どんな状況でも動けるように俺は情報を集めてやんよ!」
「⋯⋯ありがとうバッドデイさん」
「気にすんな。セントラルからは破格の臨時報酬が出してもらうよう交渉ずみだぜ!」
気を遣ってくれているのか、それとも単なる事実を告げているのか微妙なラインだった。判断に迷って愛想笑いだけ浮かべる遥加の頭に、バッドデイはポンと手を乗せた。
「よっしゃ、善は急げだ!」
「⋯⋯少しは待ちなさい。アタシも行くわ」
バッドデイが驚いたように口元を丸くした。だが、マルシャンスの声には淀みがない。
「明日中は暇になるでしょう? この状況で何もするなは拷問でしかないわ」
「りょ! 着いてきやがれ色男!」
「では、私は叶さんが修行から戻るのを待ってからセントラルに復帰します」
想い想いに定まる行動の指針に、遥加は口を挟むことができない。止めるだけの想いを、彼女は既に持ち合わせていなかったのだ。
<南木様ご執筆の【鉄血! 米津道場!】編に続く>
https://kakuyomu.jp/works/16817139557864090099/episodes/16817330652206666197
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