第3話

熱いシャワーを浴びて、私はいつものようにグラスに注いだボトルウォーターを飲み干す。それから居場所をリビングへと移すと、システム化された優秀な家電が主に悟られぬようにそっと動き出して、薄い衣を軽く持ち上げて、火照った肌に涼しい風を届けてくれた。


「取り乱してしまって。申し訳ございませんでした。今日はもう遅いですし、私も少し不安なので何もないところですけれど、是非とも泊っていって下さい」


「・・・」


「ただし、明日の昼には仕事に行かなければなりませんので。それまでにはご退出をお願いいたします」


私は眼鏡をはずして、ベッドへと向かう。すると音も無く涼しい風が付いてくる。大胆に切り取られた夜景は美しかった。ダンゴムシは無言のまま椅子の上でこっちを向いたまま置物みたいになっていた。目は開いているのかしら?


「なにか?」


「・・・その」


「おっしゃってください」


「・・でも」


「今日、申しあげたとおりです。遠慮なさらず」


「は、はい」


ダンゴムシは、椅子に座りなおして呼吸を整えてから口を開いた。


「・・・大切に飼育された子山羊や、水揚げされたばかりの鱧、それから、ギリシャの彫刻みたいに綺麗だなって。思ったんです」


大切に飼育された子山羊。水揚げされたばかりの鱧。それからギリシャの彫刻?私の事?ふむ。なかなか悪くないわね。私は内心とても上機嫌になってエアコンの風を指先で捕まえるとどことなくそれらしく振舞った。


「それは、褒めていただいているのかしら?」


「もっもちろんですっ!」


ふふ。


「どうもありがとう。冷蔵庫の飲み物とシャワーとトイレは好きに使っていただいて結構ですので。僭越ながら今日お世話になった僅かばかりのお礼だと思ってください」


「はい、ありがとうございます」


「ではおやすみなさい」


「はい」


横になり、敢えて向こう側を向いて寝た。そうしているとたまに車のクラクションが遠くでなっているのが聞こえた。それから間もなく、ガタ・・・ガタ。と押し殺したような物音が聞こえてくる。ダンゴムシだ。きっと、水を飲もうとしてコップに手が届かなくて椅子を使ったのだろう。それらがひと段落すると、今度はバスルームからシャワーの音が聞こえた。

私は。もし、この部屋に幽霊が居たのなら、私がシャワーを浴びて居る時は、いつも、きっとこの音を聞いているのだ。と、まるで子供のような事を考え、そんな自分に少しだけ驚いた。


ダンゴムシがリビングへと戻る。何となく腰のあたりに視線が気になった。


そしてダンゴムシが。



「・・・」

「・・・」






・・・どきどき。






「・・・」

「・・・」







「・・・・すぴー・・・・すぴー・・・・」


寝た。


ちょっとぉ!散々誉めといてそれなの?ほんっと信じられない!


・・・もういいわ、寝よ寝よ。


・・・。


と思ったけど、やはりどうしても、本当に寝ているのかどうかが気になった。ダンゴムシのくせに狸寝入りと言う可能性もありうるのだ。


私はそっとベットから起きて、抜き足差し足でダンゴムシへと近づいて顔をのぞき込んだ。


すぴー・・・すぴー・・・。


「本当に眠っているのですか?」


安らかな寝顔を見ていると、私の心のどこからか見た事も無い憎しみがひょいと顔をのぞかせた。


今日あんなことがあったというのによく眠れるものだ。


「・・・・むにゃ、ゆめかちゃん・・・」

「・・・!」


・・・・つねッ!


「・・・ッ!」


もう片方も・・・つねッ!


「・・・ぅぅ・・・」


「あなた。あの男を投げ飛ばしましたね?とても素敵でしたよ?」


苦悶の表情を浮かべるダンゴムシを観察していると、ふと、祖母の事を思い出した。

あれは祖父の葬式の時だった。祖父の愛人たちがさめざめと泣く中で祖母は一人、毅然とした様子だった。私は子供ながら、不安に駆られ。おばあちゃんは、おじいちゃんのどこがすきだったのか?と尋ねた。すると祖母は、やはり毅然とした様子で、なぜ惚れたのかそれはそいつの寝顔を見ればだいたいわかる。と、言った。その時、何となく、祖父が笑ったような気がしたのだ。


すこし。静かだった。そして。


「起きなさいよ。ダンゴムシ」


「・・・」


「好き」









 あれから少しして、私は結婚した。

勿論相手はダンゴムシではない。イギリス帰りのクオーター、元フットボール部のエースだったという、太一君だ。


太一君は、先日仕事で訪れた大英博物館での出来事を穏やかな様子で語った。


「それでね?僕は本当に助かったんだよ?」


「ふぅん、太一君大変だったのね?」


私がそう言って微笑むと、太一君も嬉しそうにほほ笑んだ。


『失礼します!』


シャー!(ふすまを開ける音)


「生ビールと天ぷらの盛り合わせです」


「あら、どうもありがとう」


私たちの前にそれぞれ料理が配られる。私は早速揚げたての天ぷらを一つ頬張った。

その様子を眺めてニコニコしながら太一君が言う。


「うゎぁ。春妃はるひさんの天ぷら山盛りですね!」


私は揚げたてのサクサクの衣の天ぷらをゆっくりと味わって、飲み込んだ。酷く誇らしい気分である。私はニコニコしたままの太一君に向かって


「そうよ?私はダイヤモンドなんですから」


と、言った。



                                おしまい

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社長令嬢とダンゴムシ男 うなぎの @unaginoryuusei

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