第2話
『店長!僕上がります!』
・・・いけないいけない、いつもは寝る時間だからついウトウトしてしまったわ。でも良かった。ちょうど終わったようね。
「・・・・・ぅん」
『・・・』
『お疲れさまでした!』
『・・・』
舞台のように煌煌と照らし出されているキッチンの中でダンゴムシは深々と頭を下げた。それにしてもあの店長腹立つわね!挨拶くらい返しなさいよ!後で覚えてなさいよ!
バタンっ!
調理場の裏口の隙間から、真っ暗で汚くて狭い路地裏が一瞬見えて、ダンゴムシはそこに吸い込まれて消えた。私も正面玄関を通って後を追う。
でも、あれ?もういない?反対側に出たのかしら?いや違うわ!
まだまだ燻るような賑わいを見せる街の様子に目を凝らすと、消えかけた街灯に照らされる歩道を颯爽と駆けていくダンゴムシの後姿を見つけた。
・・・たたたたたたたたー!
早っ!
くっ!ダンゴムシのくせに!!ダメだわ追いつけない!
「ヘイ!タクシー!」
「・・・どちらまで?」
「あのおとこ・・・・いえ、ユメカさんの所へ行きたいのですが」
「ふぅん。支払いは現金だけだけどいい?」
「ええ、問題ありませんよろしくお願いします」
「はいよ」
シートからスポンジが覗いていたり、窓の遮光フィルムが半分剥がれていたりと兎に角ボロボロのタクシーは、ふらつく人影を器用に躱しながら薄暗い路地をまるで船を渡すかのようにゆっくりと進んだ。
「今日はここだよ」
「ありがとう。帰りもお願いしたいの。これで。すぐに戻りますので少し待っててもらえるかしら」
私は、取り付けられたメーターに表示される金額のざっと3倍ほどの額を運転手へ渡した。
「ああ、いいよ」
不気味な男ね。この辺りはこんなのばっかなのかしらイヤだわ。
辿り着いた場所には、消えかけた赤いネオンサインの看板を掲げた小さな店があった。店と言っても、雑居ビルに押し詰められた無数の施設の一つと言った。暗く冴えない様子だ。
ガードマンも、メニューも置かれていない。薄汚れた外観からは一切の儲けてやろうという意気込みを感じない。私は冷たいドアノブに手を掛けた。
「おい」
運転手の男がわたしを呼び止める。
「気を付けなよ」
「ええ、どうもありがとうすぐに戻るわ」
ふん。余計なお世話よ。
扉の向こう側には怪しげな空間が広がっていた。ビジネスクラスほどの狭い通路といくつかの座席があって、星明りほどの照明で照らされるそれらと、申し訳程度に備え付けられた目隠し用のレースカーテンが原色のレーザーライトで所々照らされているのだ。粗末な場所ではあるが居合わせた客や接客をしている女たちは皆楽しそうである。飲酒とは常識から外れた行為であり、非常識を楽しむために敢えて彼等がこう言った場を選ぶことを私は否定しない。
私の視線は決して語られる事の無いドラマを沢山の男たちの背中に見ながら、自然と一つのテーブルへとたどり着く。カウンター近くの隅の席。ダンゴムシ、それと、恐らくはユメカと呼ばれる女だ。くっ!中々かわいいじゃない!!胸も大きいわ!くっ!!そして何より表情に優しさがあるッ!!勿論私にはそれが偽りの物だってわかるッ!でも馬鹿な男どもにはきっとわからない。それで、虫みたいに彼女に寄って来るんだわ!アアーいやらしい!アアー!ハレンチ!
二人は都合よくこちら側を向いて隣り合うように座っていた。騒々しく会話は聞こえないが、読唇(唇の動きで会話を読み取る事)する事は出来る。私得意だもの。独身じゃないわよ?いいわね?
『ゆっユメカちゃん!ありがとう忙しいのに!』
『うふふいいのいいの!ユメカもお兄さんに会えるのずっと楽しみにしてたんだから!』
『ええ!ううう嬉しいなぁ・・・!』
『ふふお兄さんだーい好き!何か飲む?』
『うん・・・あっ!!ああ!そうだ!』
『?』
『これ、ユメカちゃん誕生日だってこの前言ってたから』
『ええ!いいの?!』
『うん。開けてみてよ』
『ふふ!なんだろう!うれしいっ!』
ダンゴムシの奴が手渡した包みから出てきたのはこの場にある意味似つかわしくないブランドのバッグだった。品のあるデザインに、きちんとした包装。そこそこの値段がしただろう。馬鹿なやつ。
ユメカは大げさに喜んでダンゴムシに抱き付いた。
ダンゴムシはまたビクッてなった。丸まりなさいよ全く腹立つわね。正確に測ったかのように5秒間。サービスタイムが終わるとユメカは離れ、口を開く。
『ありがとーこれずっと欲しかったのッ!汚したくないから、しまってきていーぃ?』
『う!うん!』
ユメカは立ち上がると足早にその場を後にした。
私は、ユメカを追ってバックヤードへと向かう。確かめる必要なんて無い。でも、もしかしてという事もある。箱の中の猫の生死を確かめるには蓋を開けてみるほか無いのである。
『お!ユメカ姉ぇ!どうだった?』
『これ』
『あはっ!やったね』
『いらないから売っといて』
『おっけー』
『あはっ!一回くらい使ってあげればいいのに』
『ええだって価値下がるじゃん』
ふむ。
まぁ、そんな事だろうと思ったわ。彼女たちは悪くない。贈られた物を贈った人間の気持ちや努力を踏みにじってどうしようと勝手だもの。悪いのは。
「あなた?こんなところで何をしてるんですか?」
「え!あれ!?あの時のお客さん!?なんでこんなところに・・・?」
「私はあなたが勤務するあの店のオーナーの孫です。あなたの勤務態度に問題があると伺い本部から査察に参りました。少しお話してもよろしいかしら?」
私は強引にダンゴムシを立たせて、テーブルに名刺と持ち合わせの現金すべてを叩きつけるように置いた。文句があるならかかってくればいいのよ。誰だろうと私は逃げも隠れもしないわ。
「わわっわわっ!」
「ここでは、騒がしいですから・・・!」
「・・・あのっ!」
「近年、SNSの普及に伴いまして、そう言った情報ツールを活用できない人たちに対する労働搾取が社会全体の問題として度々取り沙汰されています。我がグループでは、社員総ダイヤモンド化計画と銘打ちまして。オフィサークラスが直接現場に出向く事によって一人一人がこういった問題ときちんと向き合い、会社、社員双方により良い選択が取れるように尽くして行こうという取り組みを試験的にですが既に一部部署で開始しています」
「あ・・・あ!」
「ですから」
「ま!待ってください!!!」
ダンゴムシの声は、半分開いた扉の向こうで良く響いて、店の中ではすっかりかき消されていた。私は一層強くダンゴムシの手を引いたけど、見た目よりも頑健な体はそれ以上動こうとしなかった。
「なんでしょう?」
「こっ・・・!ここにはプライベートで来ているんです・・・どんなにあなたが偉くても、それを途中でやめさせる権利は無いはず・・・です・・・!」
ふむ。
ダンゴムシのくせに、一理あるわね。
「わかりました。言われてみればあなたのおっしゃる通りですね。大変申し訳ございませんでした。なにか、職場でのトラブルなどありましたらいつでもご連絡ください」
「あっあの!心配してくれてありがとうございます・・・ごめんなさい」
「・・・」
・・・バタン。
明日の仕事に備えて、急ぎ帰宅し、支度を整えなければならない。
外の様子は先ほどとほとんど変化していないようだった。それもそのはず、店内に居たのはほんの数分だったのだから。建物の丁度影に当たる場所にタクシーが停車しているのを見つけたので私は小走りでそこへと向かう。
「お待たせ致しました。持ち合わせが無くなってしまいましたので帰りは歩いていきます・・・」
「たったすげてっ!!」
「ッ!?」
「んんぁーなんだァーこの女ァー」
頭を金色のサルみたいに染め上げた暴漢が、運転席の窓から運転手の前歯を掴んでいた。いったいどういう状態?
「あなた一体何をしているんです?!」
べリっ!!
「アアアア!!!」
傷だらけの指が運転手の前歯を簡単に毟り取ってしまった。
意味が分からない!何故そんな事をするのよ!
「・・・!」
「わりぃのはこいつなンダヨ。金が必要だってのにくれねぇからこんな目にあうんだ。お前金持ってそうだな?全部出せ」
男が私をじっと見つめて車の前を周る。その間私は動けなかった。身長は2メートル近くある。見た事の無いファッションと身のこなし。加えて、暗闇でその両眼は刃物みたいに光っていた。
血の付いた男の手がこちらに伸びて私の体はようやく動いた。
「警察を!呼びますよ!」
男はニヤリと笑って、開いた口からはサメのような歯が覗いていた。
「それは困るな」
伸びた手がゆっくりと元に戻って、ポケットに差し込まれた。とても嫌な予感がする。そう思ったのはきっと私だけじゃなかった。夜の帳を引き裂くような音と共にタクシーが急発進する!勿論、男を車体前方にとらえたままでだ!
タイヤが不自然な段差を踏みつぶして2度浮いて車はそのまま走り去った。
人身事故だ!私は咄嗟に車のナンバーを記憶して轢かれた男の元へと向かう。
「あなた!大丈夫ですか?きゅっ救急車!救急車・・・!あれっ・・・なんで?電話・・・操作が・・・」
手が思ったように動かない!なんで?!スマホ、持ってるだけで精一杯!
「さっきの話の続きだけンヨ。おめぇの鼻だって取れたら困ンだろ?」
轢かれたはずの男が何事もなく起き上がる、同時にポケットからゆっくりと現れた手にはいっぱいに押し出されたカッターナイフの刃が見えた。尖った先端が私の眼鏡に向かって真っすぐ近づいてくる!こういう時は大声を出さないと!でもどうして!声なんて出なかった!
「人にやられてイヤな事は、自分でやられてみねェとな。当たり前の事、ダロ?」
「・・・!」
カッターナイフが目の前で止まる。
「んあ・・・なんだァおめぇ・・・イっイっってぇっ!」
まるで壁が崩れるみたいに、男がぐにゃりと体の重心を歪めた。どうやら脛を怪我したみたい。でもどうして?
「・・・ダンゴムシ」
次の瞬間、男の体はふわりと浮かんで硬いコンクリートの地面に叩きつけらて物凄い音を立てた。それらは一瞬の出来事で、私はきっと口を開けたままでそれを見ていた。男はうめき声一つ上げずに地面に横たわったままピクリとも動かなくなった。
「大丈夫ですか?ケガを・・・しませんでしたか?」
ダンゴムシが心配そうに私に触れてくれた。知らないうちに私の体はカタカタと震えていたのだ。
ケガ?怪我・・・?多分大丈夫・・・?わからない。でも、コンクリートに伸びていた影がゆっくりと動いたのは見えた。
「・・・危ない!」
私はそう声をあげたけど、遅かった。彼の体は軽々と持ち上げられて、棒でも折るみたいに酷く野蛮な勢いで膝にめり込んだ。
「逃げて、下さい」
ああ。ああ。
「こいつ、目どこにあんだロ?ハハッ」
もろもろの力を受けて押し込まれたカッターナイフの刃がカチカチと音を立てて伸びる。
やめて、やめてよ!
「やめなさい・・っ乱暴は・・・!」
あれが振り回されるのは怖い、それが当たるのはもっと怖い。
声が出てしまった事を私はすぐに後悔した。男は瞼から薄刃の先を放してこちらに近づけた。腕が長いからそれは簡単に目の前まで運ばれる。
「気の強い女は嫌いじゃねェ。そう言う女を静かにシロってぶん殴るのが好きなんだ。爪とか剥いでヨ。だから、やっぱり気の強い女が好きってことで良いよなァ?」
男の両目は冷徹だった。私は痛感する。この人物にとって私は石ころのように何の価値も無いのだと。
スーツのボタンがはじけ飛んで、その下でワイシャツの繊維が何本か切れる音がした。ものすごい力で引き寄せられて、カッターナイフの刃がすぐそこに見えていた。奇妙な事に、私は明日の仕事の事を考えていたのだ。馬鹿みたい。私ったら本当に馬鹿みたいだわ。
「ごーちゃん?!わぁっ!ごーちゃんじゃん!!おーい!」
様々な思惑が収束する時、辺りは静寂だった。それを引き裂いて、ある女の声が高らかに響いた。奇しくも私はこの声を知っていた。あの性悪女の声である。
と、同時に、男の興味の一切が私から失せるのを感じた。
「おおッ?!オマエ!ゆめかじゃんか!今日はここに居たのかヨ!」
「ごーちゃんこそ!刑期は終わったの?」
「マァナじきにまた始まるけどよ!ハハッ!そうだユメカ金いるか?おまえ好きだろ?」
男は私とカッターナイフを手放して、ポケットから皺だらけの金を取り出した。
「わぁー嬉しいッ!でもユメカね・・・明日の昼まで暇なんだ・・・だからぁ。お金よりももっとすごいものが欲しいな?」
「ま!まじ!?」
「まじまじ。とりあえずぅいっぱいのもーよ!出所パーティーしないとね!」
「おう!スルスル!俺するゾ!」
ユメカに背中を押されて、男は店の中へと姿を消した。
「じゃぁね。お姉さん」
・・・バタン。
私はしばらく何も考えられずに茫然と地面に座っている事しかできなかった。
「・・・あの」
ダンゴムシだ。
「怖かったよおおおおおおおおおぉ!!!!!!」
演技演技。演技だもの。
その後、私は何かに理由をつけて、ダンゴムシを自分の部屋へと連れ込むことに成功した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます