第11話 (6)インターハイ
おれは県の教育委員会が用意したバスに乗って、東京へと向かった。
一緒に乗っているのは、剣道部の顧問である小野先生と団体戦で県代表になった私立T大学付属高校の面々、それと県教育委員会の人たちだ。
東京に来たのは三回目のことだった。小学生の時に遠足で上野動物園と浅草寺へ、中学三年の時には修学旅行で東京タワーなどを見て周った。あの時はわくわくした気持ちだったが、今回ばかりはさすがに緊張感で張り裂けてしまいそうだった。
インターハイとなると選手たちの気合いも違っていた。
ただ素振りをしているだけでも、その選手から気合いがびんびんと伝わってくる。苛烈な練習をしてきたのは、お前だけじゃないんだぞとおれにいってきているような気がして、おれは内心焦っていた。
試合前、おれは三度もトイレに行った。さすがに出るものは何も無かったが、それでも何となくトイレに行きたいという衝動に駆られてしまうのだ。
トイレの洗面台で顔を洗い、鏡に映る自分へ気合いを入れた。
一回戦の相手は、北海道代表だという長身の男だった。身長が高い上に、上段で構えてこちらを威圧してくる。
おれはじりじりと押されてながらも、一瞬の隙が出来るのを待っていた。
面の隙間から見える相手の目は、じっとおれの顔を見据えていた。
気合いの声だけが、場内に響き渡る。
左手を少しだけ浮かした。わざと、わかるような隙を作る。誘いだ。
その誘いに相手は乗ってきた。
相手が面に対して竹刀を振り下ろそうとした瞬間、おれは床を蹴っていた。
抜き胴。おれが得意としている技のひとつだった。
一本、見事に決まった。
そのあとも攻防は続いたが、おれはその一本を守り抜いて、一回戦を勝利した。
一回戦が終わると、とてつもない疲労感におれは襲われた。
これをあと何回戦えば、優勝なんだ。正直、嫌気が差しつつあった。
おれは、この日のために全てを犠牲にしてきたんだ。ここで負けてしまえば、いままでの努力は全て水の泡となる。ここで負けるわけにはいかない。優勝して、佐竹先輩と付き合うんだ。そう心の中で呟いて、自分を奮い立たせた。
二回戦の相手は、広島県代表だった。
大きい声の気合いで威圧し、荒い剣筋で勢いで攻め立ててくるタイプの相手だ。
何度か小手を打たれたが、どれも入りが浅かったため一本にはならなかった。
おれは相手が攻めてくるのを待って、飛び込んできたところをカウンターで面打ちを狙い、一本奪った。
一本を取られた後の相手は、お粗末だといわざる得ないような、ただ竹刀を振り回すだけの剣道を仕掛けてきたが、おれは相手にせず冷静に動きを見て、抜き胴を決めた。
その後、三回戦、四回戦、準決勝とおれは順調すぎるぐらいに駒を進め、ついに待ち望んでいた決勝の舞台へと辿り着いた。
決勝戦の相手は、東京代表であり、おれと同じく一年生だった。
名前は、
おれの神崎に対する第一印象。それはいけ好かない野郎だった。
その印象は、試合をするために向かい合っても、変わらなかった。
面の向こう側に見える切れ長の目。その目には熱く燃えたぎる情熱などはどこにも無く、冷静にこちらのことを分析しようとしているように見えた。
「はじめっ」
審判の声に場内が地響きのような歓声を上げた。
気合いと共に、竹刀を正眼に構えて、剣先を神崎の喉下へと向ける。
その瞬間、おれは完全に神崎に飲み込まれていた。
最初に抱いた感想は「動けない」だった。
まるで脳が発する命令を体が無視するかのように、体が動かせなかったのだ。
くそ、こんなんじゃ優勝はできないぞ。おれはこんなところで終わる人間じゃないんだ。優勝して佐竹先輩と付き合うんだ。
おれの活動源はその一つだけだった。
おれはその活動源によって、神崎の呪縛から抜け出すことが出来た。
歯を食いしばるようにして竹刀を振り上げる。
しかし、世界はスローモーションで動いていた。
相手の動きがスローモーションで見えるのならばいいのだが、自分の動きまでスローモーションになってしまっているのだ。
数十秒の時間が、何分間にも感じられる。
汗がゆっくりと額から垂れ、目の脇を通り抜けて行く。
神崎の竹刀の先端が、かすかに動いた。そんな気がした。
次の瞬間、風を感じた。
無意識のうちに体が動いていた。
神崎の面打ちを、何とか竹刀で受け止めていた。
鍔迫り合いになる。
華奢な体のどこに、こんな力があるんだ。そう思うぐらいに、神崎の押しは力強かった。
すぐそばで、神崎と目が合った。冷たい目がこちらを見据えている。
バランスを崩し、体が後ろに飛ばされた。
追い討ちが来ると思って、竹刀を構える。
しかし、神崎は一歩後ろに下がっただけで、追い討ちを掛けてはこなかった。
再び、対峙に入る。
今度は、こちらから仕掛けに入る。
竹刀を下段に構えなおして、面打ちを誘う。
しかし、神崎はなかなか乗っては来ない。
神崎への黄色い声援が飛ぶ。
おれに対する声援は、後援会と名乗っているS高校がある地域の商店街のおっさんたちの野太い声で、神崎に対する声援に負けじと飛んできていた。
下段から正眼に構えを直す。
その瞬間、神崎が動いた。
ついつい、おれは口もとを緩ませてしまった。構えを直したのは、誘いだったからだ。
動きを変化させての横面打ち。
決まった。
そう思った瞬間、面に横からの衝撃が加わる。
神崎も同じように、横面打ちを狙ってきていたのだ。
主審の旗は、おれ。副審のひとりもおれ。ただ、もう一人の副審は神崎の旗を揚げている。
主審と副審の二本の旗がおれだったこともあり、最初の一本はおれがいただいた。
これでおれの調子は上がってきた。このまま逃げ切るべきか、それとももう一本とって勝ちに行くべきか。
佐竹先輩、もう少しです。待っていてください。
そんなことを考えていた矢先、おれは電光石火の速さで、神崎に小手で一本取られてしまった。
一対一。次の一本で、インターハイの優勝者が決まる。
今度は、二人とも対峙したまま、動かなかった。
誘いで、小手に隙を作る。
しかし、神崎は乗ってこない。それどころか、逆に隙を見せて、誘いを掛けてくる。
面白いじゃないか。その誘い乗ってやるよ。
おれは一気に踏み込んで、神崎の面を目掛けて竹刀を振り下ろした。
その瞬間、何かが切れるような音がした。
続いて足に激痛が襲い掛かってくる。
床に足を着いたが、そのまま、体重を支えきれずに、おれは床の上に崩れ落ちた。
おれの聞いた音は、左足の靭帯が切れた音だった。
審判たちが駆け寄ってくる。
おれは担架で試合場の外へと連れ出され、救急車に乗せられた。
試合は、神崎の勝ちだった。
おれの面打ちが神崎に届くよりも先に、神崎の面打ちが入っていたのだ。
こうして、おれのインターハイは終わった。
準優勝じゃ、付き合ってくれないよな。
おれは東京の病院で治療を受けながら、涙を流した。
治療に当たってくれた看護師のお姉さんは「そんなに痛いの?」などと心配をしてくれたが、おれは涙のわけも言えずに、ただただ歯を食いしばるだけだった。
こうして、おれの夏は終わった。
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