Autumn
第12話 (1)拗ねる者
蒸し暑く寝苦しい日々が終わり、つい先日までは蝉が鳴いていた木々も、ほのかに葉の色を変えはじめていた。
高校一年の秋、おれは拗ねていた。
松葉杖をつきながらの登校にも慣れてきた、九月下旬。おれは松葉杖を抱えるようにしてパイプ椅子に腰掛けながら、体育館の端で体育の授業を見学していた。
切れた靭帯は順調に回復へ向かっていた。このままいけば、来月には松葉杖での生活ともおさらばできると医者からのお墨付きをもらっている。
剣道部にはインターハイ以来ほとんど顔を出していなかった。練習に参加することが出来ないということもあるが、それ以上に、おれの中にあった剣道魂が燃え尽きていた。
インターハイが終わってからは、一度も竹刀には触れてもいない。
この前、学校帰りにクラスメイトたちと駅前のハンバーガーショップでくだらない話に花を咲かせていると、ハンバーガーショップの前を通り過ぎようとする佐竹先輩の姿を発見した。
こんな偶然ってあるのか。もしかして、これって運命ってやつじゃないのか。そんなことを思いながら、おれは佐竹先輩に声を掛けようと席を立ち上がった。
しかし、おれは佐竹先輩に声を掛けることはできなかった。
佐竹先輩の隣には、あのサッカー部の稲垣がいた。二人は手を繋ぎ、なにやら楽しげに会話をしながら歩いている。
おれは強烈な嫉妬を覚えると同時に、自分の情けなさに涙が出そうになった。
インターハイで優勝していれば、おれが佐竹先輩と手を繋ぎながら帰っていたはずなのに。
足元にボールが転がってきたことで、我に返った。
どうして嫌なことばかりを思い出してしまうのだろうとネガティブになっている自分に苦笑いをした。
体育の授業では、体育館をネットで二つに分けて、男子はバスケットボール、女子はバレーボールをやっていた。転がってきたボールはバレーボールだったので、女子側から来たボールのようだ。
身を屈めてバレーボールを手に取ると、こちらに向かってくる女子にボールを投げ返してやった。
ボールを取りにきたのは、
おれの投げたボールを上手く胸元で受け取った高瀬は、二、三秒間おれの顔をじっと見つめてから口を開いた。
「サンキュー、花岡」
ボールを抱えるようにして持った高瀬は、おれに手を振ってコートへと戻っていく。
おれの顔に何かついていたのだろうか。おれはそんなことを思いながら、掌で自分の顔を拭ってみたが、何もついてはいなかった。
体育の授業が終わると、昼休みになった。
家から弁当を持ってきていない生徒たちは、制服に着替える時間を惜しんでジャージ姿のまま、購買部へと走っていった。
購買部での人気商品はパンだった。その中でも、焼きそばパンとカレーパンは一番人気で、昼休みに入ってから五分も経たないうちに売切れてしまうほどだ。
おれも体育の授業が終わると同時に、松葉杖をつきながら購買部へと急いだが、おれが購買部についた頃にはすでに、人気のパンは売り切れになってしまっているという状態だった。
走ることができないから仕方がないことだと諦めて、売れ残っているパンやオニギリなどを買おうと品定めをしていると、背後から声を掛けられた。
「ねえ、お兄さん。人気のパンがここにあるんだけれども、買わない?」
振り返ると、そこにはジャージ姿の高瀬がいたずらな笑みを浮かべて立っていた。
「花岡、焼きそばパン好きだろ。わたしがいくつかキープしてあるから、それを買わない?」
「なんだよ、そのキープって」
「パンを食べる気がなくても、取っておくんだよ。花岡みたいに買いそびれた奴がいるから、そういう奴に少し高値で売ってやるっていう慈善事業さ」
「そんなの買う奴がいるのかよ」
「いまのところ買った奴はいないけれども、これから買おうとしている奴は目の前にいるよ」
なにが楽しいのかわからないが、高岡はけらけらと笑った。
「買わないって」
「なんだよ、ケチ」
「ケチって。こんな悪徳商法をやっている高瀬にいわれたくないって」
「悪徳商法じゃないだろ。これは慈善事業だって。それに悪徳商法だったとしても、まだ未遂じゃんか」
「そういう問題じゃないだろ」
「あーあ、つまんないの。じゃあ、やめた。キープしておいたパンは棚に戻しちゃお」
高瀬は唇を尖らせて子供みたいに拗ねた表情を浮かべると、購買部用のカゴに入れてあった焼きそばパンとカレーパンを元あった棚へと戻しはじめた。
おれはその隙をついてやった。高瀬が棚へ戻したばかりの焼きそばパンとカレーパンを素早く手に取り、レジへと並ぶ。
「あっ、ちょっと何しているんだよ」
おれがにやりとしてみせると、高瀬はやられたという顔をした。
「酷いな詐欺じゃんか」
「何とでもいえよ。高瀬になんといわれようとも、おれはパンを買うからさ」
おれはレジでパンの購入を済ませると、昼食を取るために第二校舎へと繋がる渡り廊下へ向かった。この渡り廊下は、おれのお気に入りスポットだった。暖かな陽射しと心地よい風を受けながらゆっくりと昼食の取れる穴場であり、他の生徒たちもほとんど来なくて静かな場所だ。
おれが廊下を松葉杖をつきながら廊下を歩いていると、高瀬が追いかけてきた。
「なんだよ、金を払えっていうんじゃないだろうな」
おれが振り返ってそういうと、高瀬は驚いたように急停止した。
「そ、そんなんじゃないって」
「じゃあ、なんだよ」
「お昼ご飯、これからなんでしょ?」
「そりゃあ、見ての通り。これからだよ」
おれはパンの入ったビニール袋を高瀬に振ってみせた。
「わたしも、これからなんだ」
「それで?」
「一緒に……一緒に食べようかと思って、追いかけてきたんだ」
高瀬が拗ねた子供のように口を尖らせていう。
おれが返答に困っていると、高瀬は上目遣いでおれのことを見上げて言葉を続けた。
「もしかして、誰かとお昼を食べるとか約束があるとか?」
「いや、それはないけれど」
「じゃあ、いいじゃんか。一緒に食べよう」
断る理由もなかったので、おれは高瀬と一緒に渡り廊下へ向かい、渡り廊下の端に置かれている木製のベンチに腰を下ろして、昼食を取ることにした。
昼食を食べている間、おれは高瀬からの質問責めにあった。
どうして、剣道をはじめたのか。
インターハイはどうだったのか。
仲の良い友だちは誰なのか。
足はいつになったら治るのか。
おれは高瀬からの質問をひとつひとつ答えながら、どうして高瀬はこんなにおれのことを知りたがるのだろうかと疑問に思っていた。
昼食を終えて、教室に戻るために廊下を歩いていると、佐竹先輩とばったり出会った。
運よく、その時は佐竹先輩ひとりであり、あの稲垣は一緒にいなかった。
「あら、花岡くん。久しぶりね。足の方は良くなってきた?」
佐竹先輩は爽やかな笑みを浮かべながら、おれに話しかけてきてくれた。
「ええ。来月には松葉杖なしでも歩けるようになる見込みです」
「そう、それは良かったわね。剣道部のみんなも、花岡くんがいないと寂しいっていっているわよ。早く、部活に復帰できるといいわね」
「そうですね」
「それじゃあ、お大事にね」
佐竹先輩はそういって、おれの前を去っていった。
くそ、やっぱり可愛い。おれは去って行く佐竹先輩の後ろ姿を見つめながら、そんなことを思っていた。
「ねえ、いまの人、だれ?」
突然、高瀬がおれの視界に入ってきた。
「部活の先輩だよ。女子剣道部の主将」
「へえ、そうなんだ。花岡って、あの先輩のことが好きなんでしょ?」
「な、なんでだよ」
「見ていれば、そのぐらいはわかる」
高瀬はちょっと怒ったような口調でいうと、おれの怪我をしていない方の足の脛を上履きの爪先で蹴っ飛ばしてきた。
「なにするんだよ」
おれの抗議も虚しく、高瀬はおれにあっかんべーをすると廊下を走って行ってしまった。
なんなんだよ、一体。
おれはわけのわからぬまま、松葉杖をつきながら高瀬の去っていった廊下をゆっくりと歩き出した。
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