火と空の祭

鯰屋

ハレヨ

 いま草原のなかに立つ。

 いたいけな素足で踏み締める——少し前に雨が降ったのか、あるいは夜気によるものなのか——青棘にも似た草には水滴を感じた。鎖が揺れる。彼女を探さなくてはならない。


 少し歩く。

 少年の背後で何かが燃えていた。振り返ることはなかった。火を放った人間の心に思いを馳せようとして、吊り橋の崩れる残響で諦めがついた。

 腕には千切れた鎖をぶら下げ、歩くたび少し揺れる。黒々と痣の残る手首、伸びた爪には泥が入り込んで長かった。硬い地面の街から柔い道の樹林を歩いて、歩いて、はぐれた。


 また少し歩く。

 まだ誰も踏んでいない草を踏んだ。一歩、二歩、数千歩。数えるべきは歩幅であって歩数ではない。しかし、嵐を壁にし林の中で獣から身を隠した夜はそのどちらもがゼロであった。何もかも数える意味がない。

 赤い目の蠍が頭上にあった。その光が届くころに蠍は死んでいるであろう。月光もまた同じ。

 彼女もまた自分を探しているだろうか——何度も流れ着いては沖に投げ返した思考、また漂着したのでまた遠くへ投げる。


 足が疲れてきたかもしれない。

 脚が四本の電子蜘蛛にまたがって、幾人かの子供が通りすぎていった。少年の進路から六十度ほど右へ進んでいく。後につづいて、笛と太鼓を鳴らす男たちが歩幅を揃え、整列して明るい方へと向かっていった。

 長い長い列をなして、多くの動物たちと共に戦慄わななきながらの行進。少年は見ないようにと努めたが、ついに立ち止まり首を右に向けた。


 空虚な気持だった。

 空には墨色の出目金と黄金赤の鯉が一対になって、時に交差しながら飛んでいた。遠い記憶、小池に映る星々、その中を泳ぐ魚は背を見せていたが、上空の巨魚は腹を見せてどうどうと泳いでいた。えらを開くたび旋風ツムジカゼが吹きつけて、少年の髪は逆立ち、青草は一斉に寝そべる。

 神輿を担いだ屈強な男たちは、ときに羊を踏みそうになりながら大袈裟に揺らし歩く。子供は蹴飛ばされ、蛇は踏まれて息絶えた。神輿はつづく。笛の音はひっくり返される。



 いま己れは修羅に成る。

 初めて自ら背を向けた。男は風で横薙ぎにされた草原を歩く。蠍の光が消えた。歩幅は広く、怒りに任せて草を踏みにじって歩く。天の川は消灯し、星座が崩れ始めた。

 男の背を押し修羅に堕とした最後の撃鉄は絶やさぬ笑みであった。顎の骨から青白い火が昇る。耳腔の奥でがなる呪詛のままに、指先が指の付け根へ伸びる。


 背後で何かが燃えている。

 刹那の間に星が降った。鬼神が到着し、膝をついて侍り、巨魚は静かに修羅を見た。言葉が足りない。腕が足りない。あなたを見据える目が足りない。密かに燃えるからこそ火は育つ。

 顎から漏れ出す熱い蒸気、鬼の頭を数える。笛と太鼓の音はもう聞こえず、星に打たれたのかは判らない。いまはオリオンと蠍が共に居る。


 息を吐いて、少し歩く。

 口の中に真夏を飼い慣らしたような声を張り上げ、後方に続く者どもが言葉を繰り返した。振り返ることなく歩く。踏み締めるたびに何かが燃えた。

 涙は枯れ、声は枯れ、やがて草原が枯れた。ただ修羅は吠えた。


 訥々と言葉を千切っては継いで、また捨てながら歩く。

 そろそろ足が動かない。もう足が動かない。立ち上がることができない。仮定された幽霊を見つめ、交響するままに足を捨てて歩く。心が折れても痛みは続く。立てなくなっても、使命という名の仮定された怨霊の複合体は唸りをやめない。

 砂漠であれ、海であれ、彼女の骨が息をしていればそれでよかった。


 いま己れは修羅に成る。

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火と空の祭 鯰屋 @zem

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