リングに咲くサクラ

夕陽 八雲

プロローグ

恐怖で震えていた体が落ち着いた代わりに、胸の奥が熱くなるのを少女は感じていた。

目の前で繰り広げられる実戦。場所はいつも通う学校の校内。リングもなく、審判レフェリーもいない。

しかも、一人は刃物を持っているのに対し、もう一人は素手。


少女…青木 さくらは床に座り込み、少し乱れた制服を直すことも忘れて、ただ目の前の光景に目を離せずにいた。


「うっ、ぐああっ!!?」


武器を持った相手に素手で勝つなんて、そんなの漫画やアクション映画などのフィクションの話…さくらはそう思っていた。


しかし…、


「え…、ちょ、ちょ、待っ――ぐはっ!」


武器を持ち、明らかに有利なはずの不審者が素手の男の動きに翻弄され、その体に打撃がめり込む。


フィクションの様な現実に、目を奪われるさくら。


鼻や口から血を流し、余裕が無くなっている不審者が刃物を振り回す。

その凶器を素手の男は紙一重で躱し続け、不審者の動きが止まった一瞬のタイミングで刃物を持った手を払いながら、数発打撃を当てる。


僅かなステップによる回避、不審者の間合いと動き終わりを測る洞察力、そして…—

烈火の如く凄まじく、流水の如く滑らかなパンチとキックの連撃技。


その無駄のない格闘技の理想ともいえる様な男の動きに、さくらは自分が危険な所にいる事を忘れて感動すら覚えていた。


素手の男が不審者の持っていた刃物を叩き落とし 、顎に強力な打撃を当てる。

頭が前を見たまま左右に揺れ、白目を向いてその場で膝から崩れ落ちる不審者。

糸が切れた人形の様に不審者が倒れるその間、素手の男は自分の前に両腕で十字を切って残心を取る。


バタンッ…と体の前面を床に打ち付けてうつ伏せに倒れた不審者の体がピクリとも動かない事を確認すると、男はさくらの元へと駆け寄った。


「おい、大丈夫か!?ケガはないか?」


先程まで勇ましく戦ってた男は、心配そうにさくらを見ていた。


「はい、大丈…夫で…す」


さくらは、突然自分の身に降りかかった危機的状況から解放されて安堵すると、男の質問に応えつつ、そのまま意識を失った。



……………………………………——。

……………………………——。

……—。


微睡む意識の中で、さくらは少女の声を思い出していた。


『あんたのせいだからねっ!』


(ちがうの…)


『あんたが、弱いから!』


(ごめんなさい…)


『もう…っ、絶交よ!』


(……………ごめん)


意識が暗闇へと落ちていく。

申し訳ない気持ちと悲しい気持ちが溢れてくる。


(私が、あの時強かったなら…)


強い後悔の念に苛まれる。

己れの弱さを何度も呪った。


(今だって…私は、弱い…)


つい先程見た、刃物を持った不審者を素手で倒した男の動きを思い出す。

そして、溢れていた鉛の様な重く冷たい感情を押し退けて、新たな熱い感情がさくらの内に湧き上がった。


(私も、あんな風に強くなりたい。そしたら、必ず…もう一度…)


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