ガリガリ君値上げしたんだってね

@Tanaka-Kakuzatou

ガリガリ君値上げしたんだってね

 右手にぶら下げた麦茶が沸騰するんじゃないかと思うほど暑い夏の日。

 そいつは俺の前に現れた。


「よぉ、坊主。俺とゲームしない?」


 空はいつになく高く、雲は嫌味ったらしいほどに白い。夕暮れ時だというのに衰えることを知らない太陽の光にあてられ、灰茶の歩道橋も今だけはと、白に染まっている。


 いつもの帰り道。

 目を瞑れば、この後の帰り道も鮮明に思い描けるほど通りなれた通学路。

 しかし、そこに立っているのは知らない男。

 そして告げられたのは、さらに訳の分からない台詞。


 草臥れたスーツに身を包み、無造作に撫で下ろした髪の隙間から、ただ黒いだけの瞳が淡く光っている。

 不健康そうなその見た目に合わない焼けた小麦の肌に、ぼんやりと、影法師みたいだなと思った。


「そう警戒するなよ。そうだな……お前が勝ったら、アイス奢ってやるよ」


 無言を否定と取ったのか、男は歩道橋下のコンビニを指差した。

 アイス……そう繰り返した思考は蝉の声に溶けていく。

 額に滲んだ汗がまつげに当たってくだけた。

 ……今日は、暑いから。

 知らない人に付いて行ってはいけないと口酸っぱく言っていた生活指導の先生を思い出しながら、そんな言い訳をした。


 ゲームの内容はシンプルであった。

 交互に質問して、互いの考えている言葉を当てるゲーム。

 ただし、質問は『はい』か『いいえ』または『関係ない』で答えられるもののみで、三回まで。

 いわゆる、ウミガメのスープと呼ばれるものの、対戦バージョンと言ったところか。


「……考えてる言葉って、アバウトすぎない?」


「まぁまぁ、そんな難しいもんじゃないからさ」


 男はそう受け流すと、先いいよと、先攻を譲った。

 とはいえ、譲られても困るわけで。

 こんなざっくりとしたウミガメのスープなんて初めてだ。何を質問すればいいのか、分からない。

 まぁ、当たるも八卦、当たらぬも八卦。別に負けても損はないのだと、口を開いた。


「それは、生き物?」


「まぁ、そうだな」


 ちっとも狭まらない。

 心のうちで文句を言いつつ、次は男の番だと横目で訴えた。

 男は考える素振りを見せてから、にっと笑った。

 その笑みに惚けていると、男の乾いた声が鼓膜を揺らした。


「じゃあ、お前、なんて名前?」


「……え?」


「『関係ない』なら、それでいいよ」


 男は真っ直ぐ見つめてくる。

 黒い瞳は不気味というより、寂しさを感じた。

 その視線から逃げながら、『はい』か『いいえ』で答えられねぇじゃんと舌を鳴らした。


「……相田爽」


 男からの返答はなかった。


 そんなやり取りを繰り返して、三回目。

 言わずもがな、勝ったのは爽であった。

 約束通りガリガリ君を買って貰い、日陰にて食べる。

 汗だくになりながら食べ終わるのを待つスーツ姿に、次からはパピコにしようと決めた。


 それからしばらく、歩道橋のゲームは続いた。

 爽はゲームを遂行し、男は爽のことについて質問する。

 それが終わったらパピコを二人で分けて、解散する。

 爽も男のことについて質問しようとしたこともあったが、


「それは、ゲームの質問か?」


 と聞かれ、アイス欲しさに取り下げた。


 あいつはきっと、リストラされたばかりなのだろう。家族はいないか、逃げられたか。

 一人が寂しくて、爽に声をかけてきた。

 なら深く聞くのも可哀想だと、そう思うことにした。


 なぁなぁな関係が日常になり、真っ黒なスーツにすら親近感を覚え始めるようになった頃。

 アクシデントが起こった。


「ご両親、迎えにこれないみたいねぇ」


「……あー……も、大丈夫です。熱も下がってきたんで……」


「そうねぇ。ずっとここにいる訳には行かないものね」


 冷えピタを片手に保健の先生はため息をついた。

 昼休みに熱を出した爽は、放課後まで、両親の迎えを待っていた。

 だが、繁忙期の最中の両親は、部活が終わる時間まで待っても、迎えにくることはなかった。


 先生に鞄をもって貰い、重い足を引きずりながら校門へ向かう。

 長い帰路が脳裏に浮かび、ため息をついた。

 熱というのは厄介だ。体だけでなく、心までダルくなってしまう。

 ぼうっとした思考の底に、ほんの一瞬、あの男の姿も浮かんだような気がした。


「爽!」


 不意に、聞き覚えのある掠れた声が聞こえた。

 痛む頭をあげると、頭のなかに描いたまんまのスーツが駆け寄ってきた。


「……あ」


「あら、相田くんの……お兄さん?」


「へ、あ、あの、いや。えぇと、爽の! 父さんの……えー、知り合いで。その、代りに」


「あぁ、そうでしたか。お父さんもお母さんも連絡繋がらなくって……」


 先生にワタワタと事情を説明する姿は、いつも余裕なこいつらしくなくて、思わず笑ってしまった。

 結局、男は警備室に連れていかれ、色々と面倒な手続きをしてきたらしい。

 疲れたと愚痴る男を見て、何故だか、涙が溢れた。


「……なぁ、ゲームしよ」


「熱だろ。アイス、買わねぇよ」


 二人並んで歩く帰り道。

 男が投げやりに吐いた言葉は、オレンジの街灯に消えた。


「それでも良い」


 駄々をこねるように袖を引けば、男は大きなため息を一つついて、学生鞄を背負い直した。


「……仕方ねぇ奴」


 差し出された右手を握る。

 こんなに焼けているのに、手は冷たくって、心地好かった。

 ゲームは家に着くまで続いた。

 いつものゲーム。

 当然勝者も、爽だった。


「……ありがと」


「ゆっくり寝ろよ」


 そう言って、男は爽に鞄を渡した。

 男は一歩後ろに下がって、爽のことを見つめている。どうやら、中に入るのを見届けるつもりらしい。

 爽は前ポケットから鍵を取り出すと、少し錆びている鍵穴に差し込む。

 鈍い音がして、鍵が開く。


「……なぁ」


「ん?」


「ゲーム勝ったから、一つ、答えろ」


 あとはドアノブを回すだけ。

 そう思うと、少し寂しかった。

 男はその気持ちに勘づいていたのか、困ったと言いつつ了承した。


「なんで、迎えにきてくれたの……?」


 せっかくの質問は、結局ありきたりなものだった。

 色々聞きたいことはあったのだが、一つと言ってしまった手前、選ぶしかなかったのだ。

 名前や歳、仕事なんかを聞いちゃいけないと思っていたのも、少しある。


「なんで……か。そりゃ、一人じゃ寂しいだろ」


 男はそう言うと、歯を見せて笑った。

 隙間から見える舌は真っ赤に充血していた。


 一日寝込んですっかり元気になった爽は、次の日、そわそわしながら一日を過ごした。

 たった一日会えなかっただけでも、また会うとなると、妙に緊張してしまう。

 ホームルームの終わりを告げるチャイムと同時に、爽は学校を飛び出した。


「よ、よお」


「よぉ」


 歩道橋。

 真っ白い日差しを受けてもちっとも揺るがない真っ黒なスーツ。

 不思議と安心して、爽は男に近付いた。


「元気か?」


「うん。……その、ありがと」


 礼を言えば、思ったよりも澄んだ瞳と目が合った。


「……よせよ」


 男はふいと目を反らす。

 それが照れ隠しであることは、赤くなった頬からよく分かった。

 不格好な笑みと、汗の滲む焼けた肌。

 爽は思わず口を開いていた。


「なぁ、あんたの名前、なに?」


 肩が揺れる。

 見開かれた目は、混ざり気のない驚きを映し出していた。


「……ゲームの質問か?」


「うん」


「なら……関係ない」


「あるよ。教えろ」


「『はい』でも『いいえ』でも答えられねぇじゃねぇか」


 お前だって同じ質問をしていたのに。

 そう睨むと、男はあからさまに目を反らした。


「じゃあ、変える。俺のこと、知ってんの?」


 男はぐうと喉を鳴らすと、手で顔を覆った。

 そして、熟考したのち、


「……はい」


 とだけ呟いた。


「俺は、お前のこと知ってんの?」


「いいえ」


「そっか。じゃあ、俺たち、仲良くなれた?」


 最後の質問。

 返答はなかった。

 男は目を覆ったまま、空を見上げる。

 じっとりと汗が張り付いているのは、暑さのせいだけではないのだろう。


 「……三日後、死ぬんだよ。お前」


 男はそう言った。

 蝉の声に掻き消されかけた微かな声が、じんわりと鼓膜に侵蝕する。

 三日、死ぬ、お前……断片的な言葉が頭の中で文を成す。


「……そっか」


 驚こうにも、男があまりにも震えるもんで、そんな言葉しか出てこなかった。

 自分が死ぬことにも、それを見知らぬ男が知っていることにも、驚けなかった。

 そっと、背中に腕を回す。

 丸まった背骨を伸ばすように撫でた。


「……俺は、何度も"この10日"を繰り返した」


 男が口を開く。

 歯の隙間から漏れる息は生気がない。

 俺より先にお前が死ぬんじゃねぇかなんて質の悪い冗談が、頭の隅に浮かんだ。


「最初は、よく分かんなかった」


 目の前で、お前が死んだ。

 歩道橋の階段から落ちて、叫んで、真っ赤になって。

 それで、気が付いたら10日前に戻ってた。


 10日目に、またお前は死んだ。

 その次の10日も。

 またその次の10日も。

 さらに次も、そのまた次も。

 どんなに助けようとしても、お前は必ず十日目に死んだ。


 繰り返す日々にノイローゼ。

 ある時感じた違和感は、大きくなっていく。


 背が伸びた。

 声が低くなった。

 連絡先に増えた知らない名前。

 老けた両親に死んだペット、変わる制服。


「俺はな、成長してたんだよ」


 この10日間を10回繰り返せば100日。

 36回繰り返せば360日。

 73回で2年。109回で3年。146回で4年。


 何度もループしているうちに、親も友人も、自分の姿形ですら、変わった。

 道も、学校も、家も、何もかも変わって、俺はなにも知らない。


「だから……お前だけなんだよ」


 雫が男の頬を伝う。

 縋るような声だった。


「何年も、ずっと変わらないでいてくれたのは、お前だけなんだ……」


 男は情けなくその場にしゃがみこんだ。

 爽は男の背に手を回したまま、喉の奥から漏れる嗚咽が収まるまで待った。


「アイス、食う?」


 泣き疲れたのか、男が顔を上げることはなかった。


「食いたきゃ、一人で買いに行け」


「そんなこと言うなよ」


 爽は笑うと、通学鞄を開き、レジ袋を取り出した。

 中には、学校近くのコンビニで買ったパピコが一つ。

 熱に溶かされて、ぬるくなっていた。


「一緒に飲も」


 袋を破ると、パタパタと水が垂れた。

 割った余りを無理やり握らせ、蓋を剥がす。蓋に付いた分は、爽が貰った。


「なぁ」


 ぬるくなったパピコを流し込む。

 不思議なことに、いつものパピコより甘く感じた。


「お前さ、名前、何て言うの?」


 男はのっそりと顔を上げて、それからパピコと爽を交互に見た。

 そして、なにも言わず、パピコを口に運んだ。


「……中須、実」


 パピコを飲み終えたあと、男はそう呟いた。


「へぇ、なんだ。普通の名前じゃん」


「どういう意味だ」


 爽が笑うと、男は自棄になって笑った。

 それから二人は他愛もない話をした。

 学校のあるあるとか、両親の話とか、昔話とか。まるで、同年代の友人のように。


「なぁ、ループ、終わりたい?」


 帰り際、爽はそんなことを聞いた。

 男は少しためらいがちに目を伏せると、こう答えた。


「……そうだな。せっかく仲良くなれたんだし」


 その日の夜。

 俺は、自分の部屋で首を吊った。

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