この章では俺と舞依と世界の秘密が明かされる

 俺が生まれるずっと前、人類は地球に住んでいたらしい。すなわち、この惑星は正確には地球ではない。太陽を挟んで元来の地球と全く同じ性質を持つ『新地球』、それこそがこの世界だ。

 新地球は天文学の発展によっていまから約五〇〇年前に発見され、わずか五〇年で、人類は未踏の地への第一歩を踏みしめた。『あの日』──俺たちは人類がこの星に降り立った日のことをそう呼ぶ──人類は歓喜に燃えた。資源枯渇により滅亡の道を歩んでいた人類に、救いの手が与えられたから。

 しかし、そんなにうまくいくものでもない。太陽の真反対に位置する惑星に移住するにはどうあがいても困難が生じる。まずは研究者や農工業者たちがここでの生活を始めた。そこには地球が失った原初の香り、原初の植物、原初の生物が存在していた。

 フロンティアは土地を切り開き、約一〇年かけて人類が生活できる環境を整えた。街は地球のものを再現していった。そのおかげで、すでに出来上がっているインフラを再現するだけで済んだそうだ。

 さて、ようやく移住の準備が整ったところで、移住可能な人類の選別が始まった。と言っても、ただ遺伝子解析を行い、優秀な遺伝子をもつ者を選ぶだけだ。そのようにしないと、再び地球の二の舞なってしまうからだ。

 やがて優秀な遺伝子を保有する人類は新地球への移住チケットを手に入れた。そこから四〇〇年程度、人類は『地球』となった新地球を何事もなく運営してきた。

 今から約六〇年前、アフリカ系移住民の中から、超能力者が生まれた。その子供はテレキネシスを持っていて、神のように崇められたのだという。その子供の話題は一度外部に広まると、瞬く間に地球上を駆け巡った。そして誘拐された。一人の優秀な科学者とそのグループによって。

 子供の遺伝子を解析した結果、普通の人類とは一線を画した遺伝子が見つかった。それがPCP0Aだ。そして、この遺伝子は原住生物のものと一致した。

 科学者はさらに禁断の実験に手を染めた。原初生物から摂取できるPCP0Aを、人間の受精卵に組み込んだ。PCP0Aは、人類のDNAの欠乏部分にピタリと鍵のように当てはまった。生まれた子供は見事に超能力を有しており、PCP0Aの特殊性はこれで証明された。

 こうして人類は潜在能力の新天地に踏み出したのだ。

 しかし、研究は世界には認められなかった。科学者は早まりすぎたのだ。人類には超能力は持て余しすぎる。全世界の国家は協力して、科学者が生み出した幾多の超能力者たちを排除する事に決めた。国が、世界が発展していく裏で、超能力者たちは大きな権力によって排除されていった。

 ただ、排除されると言ってもすぐ殺されるわけではない。捉えられた超能力者は二つの選択肢を与えられる。殺されるか、その国の奴隷になるかだ。

 ダイランは後者だった。中南米で英雄となった少年は国家に捕らえられ、世界の気象を管理する『世界気象庁WMA』に、名誉人類として雇われた。そして、超能力を用いて同じ超能力者を殺害する役割を与えられたのだ。同朋を殺し合う、なんてむごい世界だろうと、幼い頃の俺はそう思った。

 俺の祖父・吉田藤吉郎とうきちろうは、超能力者たちを保護し、育てる機関を立ち上げた。それがこの『保護機関』という、主に吉田家が運営する研究所だ。

 俺の家の話に移ろう。吉田家は『地球・日本・東京』にある一般的な一軒家であるが、その実、地下に研究所を有している。保護機関の研究所内では保護された超能力者たちの箱庭ガーデンが設置され、普通の子供たちの受けるような教育と自らの力についての積極的学習をうけている。もちろんそれらは本人たちの自由意志のもとに行われる。

 祖父は既に亡くなったが、研究所の運営は父・吉田大吾だいごが引き継いだ。親は自らが死んだ──寿命によって死ぬのが望ましいが、その限りではない──時に備え、子供に超能力研究の全てを叩き込む。

 大吾は素晴らしく優秀な男だ。彼の代になってから、超能力研究は飛躍的に進歩した。それは母が敵の工作員に寄って殺された時からより顕著になった。母・めぐみが父とであったのは大学のバイオ系研究室での事だったらしい。父からこっそり聞いた超能力者保護研究に強く感銘を受けたののが始まりであった。母自身、高校生の時に超能力を有していた親友を殺害されていたからだ。

 家族三人で食卓を囲んだのはもう何年前か。父はろくに飯も食わずに研究に没頭しているから、食事はいつも俺一人である。

 しかし、幸いなことに今日は舞依も一緒である。ボロボロの身体なのを誤魔化して舞依は俺に元気よく話しかけてくる。

 舞依は吉田家にとって特別な存在だった。

 生まれた直後に病院を燃やし尽くした舞依は、研究員によって『回収』され、箱庭ガーデンに住まうことが決定された。

 他の超能力者と違うところは、その能力の制御があまりにも難しかったところだ。エントロピー制御はもはや神の領域に立っている。従って、幼いころから舞依はその能力の制御方法を徹底的に叩き込まれた。舞依が両親に会ったことは数回のみだったが、お互いに敬遠するような沈黙だったと記録には残っていた。

 彼女はあまりに不安定だ。その不安定さは、まるで旧時代の人間を思わせ、ゆえにこう呼ばれた。

『最も人間らしく最も露悪的な最高人類(Masochistic , Envious and Natural Human which Eliminates , Abandon and Lost.)』

 すなわち、『MENH-EALメンヘラ』と。

 しかし、彼女も人間である。健やかで安定な精神を持つためには、通常の人間が経験するのと同様の成長をする必要があった。そのため、中学生の年齢になるころには研究所を抜け出して、学校に通うことが許可されたのだ。さらには中学三年生になって、俺と同じ学校に通うことになった。俺が舞依を監視するためだ。

 だが、あろうことか舞依は俺に熱烈なアプローチを仕掛けてきたのだ。

 俺は、舞依は変わった、と思った。

 監視カメラ越しの箱庭ガーデンでの舞依は虚空を見つめる人形に過ぎなかった。痛々しいほどに彼女は哀れで、たまに感情を暴走させると、自らを傷つけ、災害となっていくつもの都市を水没させた。

 でも俺が大吾に連れられて初めて舞依の部屋に入ったとき、あいつは恥ずかしがって隠れていた。彼女は人形なんかじゃないと、その時初めて思えた。思えばその時から元気になった。元気すぎるくらい元気だ。そのせいで俺は舞依と付き合うことになったのだが、大吾からは『彼女の精神の均衡を保つためだ』と言われた。要するに、これは強制されているのだ。

 不本意で始まった交際だが、恐ろしいところまできたものだと、戦いでボロボロの体を見て改めて思った。

 しかし、俺のそんな気を知らずに舞依は明るい調子でこんなこっぱずかしいことを言い始めた。

「私が悟くんを好きになった理由を今から百個挙げるね。その一、優しいところ。その二、イケメンなところ……」

 結局、舞依はいつも通りの舞依である。そういえば、舞依と二人で自宅の食卓を囲んだことはあまりない。それでも最近は彼女に救われている気がする。食卓がにぎやかになるのは良いことだ。それは超能力者も一般人も変わらない普遍の事実な筈だ。

 俺はおそらく、人生で幾度も危険な目にあうだろう。それがいつかは誰にもわからない。しかし、今のこの瞬間は、少なくとも幸福な時ではあるのだと思った。

 窓の外を見ると遠くに浮かぶ旧時代の産物が華々しく花開いていた。

「今日は空が澄んでるな、花火が見えるぞ」


 ***


 誰だって人は孤独なんだ。

 人は意識と肉と骨の塊が、皮膚というわずか数ミリの薄っぺらい膜で隔てられているに過ぎない。それなのにこんなにも孤独を感じるのはなぜなんだろうって、あの頃は思っていた。

 両親は私を嫌ってた。たった数回しかあったことがないのに、私の能力を知って、私を見るその目は恐れを孕んだ冷たいものだった。

 歌舞伎街で会った女の子たちは、超能力こそ持っていないものの、境遇は私と似たようなものだった。みんな孤独だったから、皮膚が隔てた肉体を持っていても精神は繋がっていた。要するに飢えていたということだ。

 研究所で過ごした十数年間は、ただただ虚ろな時間だった。だって、あの人たちったら私の能力を調べるのに夢中で、誰一人遊び相手になんてなってくれなかった。両親も彼らも、私の中の私には興味がないのだと思った。

たった一度だけ、吉田悟を見たことがあった。

 もう何千回もそこで遊んで飽きていた箱庭ガーデンに、一度だけ吉田悟が父に連れられて来たことがあった。私は人見知りだったから遊具の影に隠れていたけれど。

 そうだ……。悟くんとはそこで、恥ずかしがって姿を見せない私を見つけようとしてかくれんぼみたくなったんだ。

 それで、ついに私を見つけた悟くんは私の腕を掴み、

「お前、恥ずかしがり過ぎ!」

 と言って、元気に去っていったんだ。

 それだけのことだった。

 あの薄汚いオルゴールの音が鳴った部屋が、私の原風景だ……。


 中学生になって一人暮らしを始めた。お金は研究所からもらっていたので心配はなかったけれど、たびたび研究者が私の血を採ったり、脳波の測定をしに家に上がり込んでくるのが嫌だった。

 中学三年生のときに転校して再び悟くんと会ってから、しばらく隠していたけれど、私の──言うならば神の持つ力の──エントロピー操作能力は、少なからず私の人間性を削ぎ落す。人間性とはすなわち感情の事だ。

 人間だけが心に持っている醜く渦巻くなにか。余分なものは旧時代に置いてきたはずだったのに、いつの間にかまた獲得されてしまったそれは、再び人間の脳内に住み着いて支配することに成功した。そして、人類はその感情こそが美しいものだと信じることにした。

 醜さこそが人間らしい。

 人間らしいからこそ美しい。

 私が能力を行使することは、神と等しい。神は人間性など持ってはいない。究極に中立の立場を取る存在だ。

 だから、私はあの力を絶対に使いたくない。少しでも人間らしくあって、大事な人と繋がっていたい。

 私がダイランと戦った時、あいつが私に言った言葉──「道から外れた哀れな存在だ」──。

 この言葉を聞いた時、私は怖かった。私は道から外れてなんていない。だって、普通に学校に通って、普通の友達がいて、普通の恋をしてるのに。  

 でも、悟くんは私にあの力を使わせた。嫌だったのに、悟くんに言われたら使わざるを得なかった。

 だって、好きだから。

 悟くんが「舞依は殺すな。俺を殺せ」と言った時からこうなることは分かっていた。天秤にかけるまでもなく、私は私を少し殺した。

 悟くんのそういうトコロはちょっと嫌い。

 でも、その後モイメロちゃんとクノミちゃんのマスコットをもらったのは嬉しかった。

 なんて優しい悟くん……。

 それを思い出して、私はうっとりとした顔をしているに違いなかった。

 時々悟くんのことが分からなくなるけれど、やっぱり私は彼のことが好きなのだった。

 悟くんの家で食卓を囲むのはいつ以来だろう。久しぶりに彼のお宅でご飯を食べている。普段は「うっとおしいから自分ちで食べろ」というけれど、今日は二人で食卓を囲んでいる。

 ああ、私は幸せなんだ。

 だから、この幸せを守るために戦おう。

 そう思ってしまった。

 人間性の消失?

 私の中の私を殺すこと?

 そんなコト、なんの問題もない。

 私はひたすらに吉田悟が好きなのだから、

 愛があればそれでいいのだ。

「今日は空が澄んでるな、花火が見えるぞ」

 悟くんは窓の外を指さして言った。

「うん」

 なぜだか涙が溢れる自分を見つめる私がいた。


(了)

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S級異能のメンヘラ彼女、世界と戦う ゆんちゃん @weakmathchart

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