この章では彼女が真の力を発揮する
「よう、ガキ。やはり生きていたか」
舞依があいつを憎しみのこもった目でにらみつける。その視線を受け取ると、ニヒルな笑みで
「……そうか。そんなにオニゴッコが好きなのかと思ったが、本物はお前だったか。ハハハ! それなら最初からそう言ってくんな!」
あいつが手を振りかざすと、俺の足元に落ちていた石が破裂する。想像通り、湿気で派手な爆発は起こすことができないようだ。
「女。お前が件の『メンヘラ』ちゃんだな? 一部界隈では結構有名なんだぜ。なんたって、お前がいると組織の権威が落ちるからな」
「そんなこと、知ったことじゃないわ。私はただ悟と居たいだけだから。お前、世界気象庁の雇われ能力者ね」
「そうだ。ダイランと呼べ。しかし、まさか獲物がこんなガキで、きてみりゃ恋愛ごっこしてるんだから笑っちまうぜ」
ダイランと名乗った男は、挑発するようにわざとらしく笑う。
「同じ能力者同士なかよく、と言いたいところだが、あいにくそれもできねぇ。こちとら名誉人類だ。俺は道なりに生きているが、お前は道から外れている。もはや同じ人類じゃねえ。別の種族同士は殺し合わなきゃならねえ」
「私は殺し合いはしない。お前は私の人生に必要ない」
「そうはいかないぜ! なぜなら俺はここでお前を殺さなくてはならないからだ。それが理不尽ってものだ。災害は待ってくれないぜ。お前は不条理な世界を知っているか? 村がジェノサイドにあった事実。家に帰ったら母親がレイプされている光景。学校に言った弟が蜂の巣のようになって川に捨てられている体験。知っているはずがないだろう。こんな、のどかで平和ボケした国家にはな、そんな世界なんて存在しないからだ。だが、お前は違う。お前は理不尽も不条理も存在する世界の住人だ。道から外れた哀れな存在だ」
「全然わからないし、私はそんな世界に興味ない。自分の世界は自分で選ぶまでよ」
「できるならやってみろ。俺は生き抜いた。自分の力で母親をレイプした奴を殺した。弟を蜂の巣にした連中を爆殺した。そして、われらを迫害していた民族と戦い、勝利したのだ」
ダイランは話しながら、段々と興奮していった。
「人は世界に適応できないと生きていけないのだ。単刀直入に言う。大人しく取り押さえられろ」
「素直に従わない場合は?」
「殺すまでだ……!」
舞依の意思を了解して、ダイランは手を振りかざす。
爆発が来る! しかし、それは先ほど見た通り、小規模な破裂で終わるはずだ。
だが、その予想は外れた。ダイランの腕からは、光の渦のようなものがまるで螺旋を描くように発射された。それは舞依にも想定外の攻撃だった。舞依は光の渦に包まれ、体の肉が焦げ付いたように硝煙が立ち上る。
「ぐああ……!」
苦悶の表情を浮かべながら、その場に膝をつく舞依。地面からも硝煙が立ち上っている。ダイランと舞依の間に落ちていた瓦礫は跡形もなく焼け焦げてしまった。その渦は非常に高温なのだ。
あの光の正体はおそらくプラズマである。プラズマとは気体が超高温になることで原子核と電子が分離した状態である。その温度は最低でも一万度以上に昇る。人間が食らえばひとたまりもない。あいつはそれを腕から発射したのだ。
爆発がダイランの能力ではなかったのか──!?
「熱いだろう。爆発だけじゃ分が悪いのでな、少しだけ戦い方を変えさせてもらうぜ。なにしろS級超能力者を相手にするのだからな」
S級。そう。それは舞依のことだ。
超能力者は基本的に、普通の人間とは一線を画す能力を有している。しかし、超能力者の中でも、その能力のポテンシャルによって階級付けがなされている。超能力者の平均はBだ。これは、中規模軍隊を相手に戦えるレベルであると言われる。Bの次に高い階級がAだ。Aの中でも段階が存在し、最低のA1でも大規模軍隊と渡り合えるほど。最高レベルのA5になると、国家が戦力を総動員してやっと互角の勝負になる。この段階でも十分バケモノである。
しかし、舞依はその上をいくS級だという。
正直言って、これは魔の領域だ。おそらく、本気で力を行使すると星を破壊しうるほどのポテンシャルを秘めている。舞依の天候操作能力はここに分類される。確かに、天候はこの星全体を巻き込んだ一大能力である。
プラズマを全身に浴びた舞依は、しかし死にはしない。それは舞依自身が規格外のバケモノだからだ。
「私は負けない!」
雨が強くなっていく。それは濁流となって、舞依の上空から降り注いだ。それに加えて七つもの竜巻が生成される。一つ一つが民家程度なら破壊できそうな威力を持っている。濁流と竜巻と瓦礫が混ざり合い、強大な暴力がただ一人、ダイランに向けられる。それはただの威力以上に、強い憎しみの奔流も混ざり合っている。場はまるで地獄だった。
しかし、ダイランは動じない。むしろ笑ってさえいる。まるでS級能力者と戦えるのが嬉しいのだというように。いや、実際そうなのだろう。身体からその気を感じる。
そこで俺は思い至る。二十年前にある民族の間で英雄と謳われた一人の男のささやかな伝説を。
ヴォイド・ダイラン。それは中南米に存在する、とある小国のとある民族を率いた男の名前だ。約二十年前、タヒミ族はアンス族に虐殺にあった。いわゆる発展途上国ではこういった事態はそれなりに起こることだ。ダイランはその民族の中でも特殊な力を持っていたらしく、周囲からの冷ややかな目におびえながら暮らしていたのだという。
しかしその力は、虐殺に対抗するのに大きく役に立った。ダイランの能力は敵の民族を破滅に追い込むのに十分な力を発揮した。やがてダイランはその活躍を讃えられ、民族のリーダーになったのだ。
以上のことは父親から渡されたデータベースに記述されていた。俺がもっとまじめに勉強していれば、もっと早く正体に至ることができたかもしれない。
ダイランはじっとしていたかと思うと、激流の到達の直前に姿を消した。いや、そうではない。あいつは超高速で移動したのだ。ダイランが立っていた場所に、もはやその虚空に、すさまじいエネルギーが打ち付けられた。
刹那、鈍い音が空気を振動させる。ダイランの蹴りが舞依の腹部に直撃したのだ。舞依は直線に吹き飛ばされ、濁流のクッションに飲み込まれた。
「舞依!」
俺が舞依のもとに駆け寄るよりも早く、ダイランは舞依に二発目を与える。今度は掌で。強大な力が舞依という一点に叩き込まれる。濁流が二人を中心に割れ、同心円状に巨大な津波が発生した。それは瞬時に周りの道路を飲み込んでいった。幸い人や車は既に消えていた。そして俺はというと、周りに立っていたビルの壁に打ち付けられ、気を失ってしまった。
次に俺が目を覚ました時、爆音と豪風のぶつかり合いの音が周囲の環境を独占していた。ここから二人の場所までは優に二〇〇メートルはある。それでも二人のぶつかり合いは見える。大きなエネルギーとエネルギーのぶつかり合いだ。
俺は二人の位置の近くまで寄っていった。舞依の姿のみが目に入った。
というのも、ダイランは動きが速すぎて見えないのだ。もはや人の運動能力を超越している。となれば、これも能力によるものだということか。
それに対し、舞依は守るのが精いっぱいだと言った感じだ。もちろん、あのダイランの怪物を捌いているという点でこちらも十分怪物である。しかし防戦一方で、数十発に一発は攻撃をまともに食らってしまっている。傷が増え、そのたびに苦痛の声を上げる舞依に、俺はいてもたってもいられなくなった。
「おい! ヴォイド・ダイラン! 舞依は殺すな! 俺を殺せ!」
ダイランの動きが止まる。舞依はこちらを見据える。その瞳には悲しみが宿っている。俺にはわかる。この目は「私では実力不足だということか」の意と、「自殺行為だ」の意と、そして……。だが、舞依が死ぬのを黙ってみているよりはずっといい。
「ハハハ。小僧。お前じゃ相手にならないぜ。笑わせるな」
「黙れよ」
俺の言葉に、ダイランは真顔になる。
「おい。これは真剣勝負だ。俺がせっかく身を削って戦ってんだ。邪魔をするな」
「悟くん、やめて……」
二人からやめろと言われる。でもやめない。俺は舞依を殺させはしない。
「ダイラン、お前が人間の能力をはるかに超越していることは分かる。お前の動力源は、高温プラズマに起因する原子力発電だろう。そんなもの、舞依には何の効果もないぜ」
「……なに?」
ダイランが舞依を見据える。何を言っているのかといった表情だ。それに対し、舞依の表情は虚ろだ。感情が読み取れない。
ダイランのおおもとの能力はプラズマを操る能力だろう。なぜなら、奴の超人的な身体能力と爆発攻撃を説明するには、プラズマによって引き起こされる核融合反応しか考えられないからだ。ダイランの技が一つの能力──すなわちプラズマのみに起因すると仮定した場合だが……。正直これは賭けだ。
「なに適当なこと言っていやがる坊主」
「事実だ。舞依がS級能力者なのは、お前がまだ見ぬ能力によるものだ。だから、舞依がその力を解放すればお前はたちまち死ぬ。その前に忠告してやっているのだ。命が惜しければ俺たちに関わるな。せいぜい地元でお山の大将を気取っていやがれ!」
とにかく挑発する。舞依には悪いが、この賭けが成功すればきっと勝てるだろう。
「おい坊主。もう一度言ってみろ。我がタヒミ族を侮辱するのか! 殺してくれる」
「殺せるものなら殺してみろ!」
「よく言った坊主、死ね!」
ダイランの手から光り輝くプラズマの光線が放たれる。亜光速で迫りくる黄金の槍! 摂氏一億度を優に超える。ダイランはまるで太陽の邪悪な部分のように、その圧倒的な暴力をこちらに向ける! 周りの大気は熱され、槍の軌跡は荒野になり果てる!
このままでは死ぬ! 普通ならばそうだ。しかし俺は死なないだろう。確信する。なぜなら舞依がいるからだ。死の刹那、俺は舞依を見据える。すべてがスローモーション。舞依は、悲しい顔を、している。とてつもない罪悪感。死んだ母親に似て、そんな悲しい顔をする──。
世界が凍り付いた。瞬時に絶対零度に飲み込まれる。分子は運動をやめ、時間は止まる。
俺を殺そうとしていたプラズマの槍は霧散した。世界が止まっていたのはわずか数瞬。ダイランは何が起きたかわからない様子だ。
「ワットハプン!? 何が起きたんだ!」
ダイランは何度も能力を使おうと試みる。しかし、何も起きない。
「ひどいよ、悟くん……」
舞依の絞り出すような悲しい声。俺はこの場を切り抜けるために、舞依の意向を無視して真の能力を発揮させた。
エントロピー操作。それが舞依がS級たる所以だ。
エントロピーとは、簡単に言えば物事の乱雑さ、もしくは秩序度合いを表す。よく例に挙げられるのが散らかった部屋だ。よく整理され、綺麗な部屋はエントロピーは低く、乱雑になった状態はエントロピーが高い。そして、エントロピーは自然に減少することはなく、常に増大する。これが万物に普遍の、熱力学における重要な法則である。
たとえば、ここに一〇〇度の熱湯と、〇度の氷水が同じ量だけあったとする。この二つを混ぜ合わせると五〇度のぬるま湯ができる。この場合のエントロピーは、二つの秩序だった状態から、混ざり合わさった状態になることで増大したことになる。
舞依は任意の現象において、エントロピー増減の方向を自由に操作することができる。
つまり、五〇度のぬるま湯から一〇〇度の熱湯と、〇度の氷水を生成することができる。もっと言うと、局所的に絶対零度の地点と、超高温の地点を生成することだってできるのだ。
舞依の気分によって世界のエントロピーは操作され、一番自然な形として天候に影響が現れる。
この自然法則を凌駕した能力こそが、俺が舞依と共にいる理由だ。
舞依は俺がプラズマの槍で殺される直前に、世界のエントロピーを減少させ、その分だけプラズマのエントロピーを増大させることで霧散させたのだ。
「クソッ! これじゃ何もできねえじゃねえか!」
ダイランは舞依のもとに走り、能力を用いない純粋な肉弾戦を仕掛けた。
舞依はその場で膝をつき、顔に手を当てる。指の隙間から見える目は瞑られている。そして
ブルーな心膨らんで
絞り出された
全てを洗って砕けても
しかしそれでもいいと知り
そばで漂うその存在に
ほのかに伝う温もりが
しだいに熱を伴って
私の心は雨模様
舞依の頭上にエネルギーが集う。太陽を再現するかのように一点に凝縮される。まばゆい神の光が降臨している。エントロピーを操作することで世界から強大なパワーを抽出したのである。
ダイランはもはや呆然としている。圧倒的な力を前にして怖気づいている。そして、その神々しくも禍々しい殺意の塊の対象が自分であることに、絶望している。
「冗談がすぎるぜ。ガール」
やがて周囲の音と光さえも失われた。舞依を特異点として、周囲のエネルギーは全て奪い去られている。もはやそれはブラックホールと言ってもいい。その空間に唯一在るものは太陽のみだった。
舞依の声だけが聞こえる。
「死ね」
太陽がダイランに──あわれな英雄に──直撃する。断末魔すら起きない。一瞬の出来事だった。爆発の衝撃さえ吸収された。そのエネルギーによってさらに威力を増し、ダイランは無限の地獄を味わったことだろう。
最初は光から戻ってきた。気づいたら視界は晴れ、次いで音が戻ってきた。はじめに耳にしたのは、やはり雨の音。身体が冷気を思い出した。
「舞依!」
倒れ込んだ舞依の元に駆け寄る。雨でびしょびしょである。よろけてその場に膝をついたのを見て、「大丈夫か?」と声を掛けたが、再び立ち上がった様子からして存外にピンピンとしているようだった。
「もう、悟くんひどいんだから! あの技は使わせないでって言ったでしょ!」
「ごめんな。でも、ああするくらいしか俺には勝算はないと思ったんだ。それに、傷つく舞依を見たくなかったしな」
「エッ!!! ほんと?」
「本当だよ」
「嬉しい!」
ぴょんぴょんはねる舞依を見て、やはり俺は舞依が好きなのだと思った。
「そうそう、さっき──」
その時、舞依は形容しがたい厭そうな顔をした。足元を見ると、戦慄した。
ダイラン! なんと、身体を焼かれ、ドロドロに皮膚を溶かしながらも舞依への執着が消えず、足首を掴んでいる。
顔の半分はもうない。喉と思わしき部分から、かすれたような、声にならない怨嗟が空気を伝う。
「や、やだっ! 気持ち悪いっ……!」
舞依は足をすくめてしまった。俺はダイランの残骸を蹴りつける。しかしよほど力が強いのか、足首をつかんで離さない。
ダイランの肉が溶け落ちる。舞依が後ずさるごとにダイランは前進する。その通り道には肉塊が散乱していった。
「こいつ……!」
突然、腰のあたりを光線が横切り、ダイランに命中した。瞬間的に熱され、もはや動かない肉塊そのものになり果てた。
武装した人間が俺たちを取り囲む。そのうち二人が、トランクケースを手にしてダイランだった肉塊のそばにしゃがみ込む。ナイフのようなものを取り出して肉を切除すると、トランクケースにしまい込み、厳重に締めて立ち去っていった。手際が良かった。
「悟」
周囲に響き渡る、ずっしりとした声。俺の父親、吉田
「災難だったな。家に帰って手当を受けろ。そして、愛川舞依こと実験体『MENH-EAL』、君はあの能力を使ったことによって消耗しているだろう。施設に立ち寄ることだ」
「ダイランは?」
「既に遺伝子情報は採取した。残りは処理班に任せる」
おそらくこの周辺のあまりにも大きい爪痕はガス爆発とでもされるのだろう。
「もう日も短い。早く帰りなさい」
「はぁい、お義父さん」
舞依は呑気にそう返事し、いつものように俺に腕を巻きつかせてきた。
「悟くん、疲れたね」
「あぁ。あ、そうだ。さっき渡しそびれたんだけど、これ」
俺は内ポケットから、ザンオンピューロランドで購入したモイメロとクノミちゃんのマスコットキーホルダーを取り出す。アトラクションの川に落ちた時に濡れてしまった。
「あ!! もしかして、私のために買ってくれたの……?」
「まあ、そういうことだよ」
「ありがとう! 好き!」
濡れたことなど気にしないといった表情。沢山のキスの嵐! 俺は甘んじて受け入れる。が、疲れるのでやめてほしいと思う気持ちも少しはある。
そういえば──。
「なんで俺の場所がわかったんだ?」
「なんのこと?」
「ほら、俺が二階の裏口から出てきて、ダイランに爆破されて落下したのを受け止めてくれただろ」
「そんなの、スマホにGPSが入ってるからに決まってるじゃん!」
「え……」
「そうそう、悟くん、ぜーんぜん返信してくれないから、なにかあったのかなぁって思ってたら、スマホが動かなくなっちゃったし、なんか爆発音が聞こえてくるから、非常事態だと思って、スマホが動かなくなった地点から一番近い非常口で待ってたの! 何回もピューロランドに来てるから非常口の場所まで場所すっかり覚えちゃったんだ。あ、そうだ。スマホなくなっちゃったってことは、新しいスマホにもまたGPS機能を入れないとね」
♪が付いた声色で言う舞依に、俺は天を仰がざるを得なかった。こんな恐ろしい女がいていいものか。
俺たちは道路に待たせてあった車に乗り込む。とにかく今日は大変な一日だった。舞依も疲れこんで、後部座席に乗った瞬間に電源が切れたように眠りに落ちた。
雨は既に上がっていた。
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