第12話




「……さて、僕からですね」


 賭けでボルテージが最大まで上げられた試合場は、ほとんど全校生徒が集まっている。


「行けよフーゴ! あんなヒョロガリ眼鏡生徒会長なんてぶちのめしてやれ!!」


「……」


「……」


「……」


「……」


「……僕のことじゃないですよね?」


 激励するコレロに全員黙ったが、いたたまれなくなったのかフーゴ本人が聞いた。


「そんなわけねぇだろ! ん……、そういえばお前もヒョロガリ眼鏡だな!」


 赤髪のバカは、気付けたことに笑顔になる。


「はぁ……、もういいですよ」


 悪気がないことはわかっているので、腹は立たない。


「が、頑張ってくださいね! フーゴ様!」


 フォローは出来なかったが激励はしようとしたのだろう。聖女リリィが両手を持ち上げて言う。


「はい……! 貴女に、この勝利を捧げます!」


 振り向きざまに、小さいが銀縁眼鏡の奥で笑顔を浮かべるフーゴは、他の四人には意外に映る。フーゴ自身も、己がこんな風に屈託なく笑えることが意外だった。


 正面を向き直ると、黒髪が揺れる。



 フーゴ・パントロンは、現宰相の嫡男である。


 父は当時宰相でこそなかったが、優秀な文官として期待されていた。己の嫡男にも、幼い頃から厳しく教育を施してきた。


 息子であるフーゴも、それに応えようとしてきた。確かな才もあり、厳しい家庭教師も鞭打ちつつ、太鼓判を押していた。


 そんな彼にとって、この学園の入学後に現れた公爵令嬢ヴェリート・ヴェロ・クオーレは壁だった。


 彼女は筆記試験で常にフーゴを越えて一位。魔力を失ってからもそれは落としていないどころか、満点の時さえある。


 しかし、それは有り得ないことだった。


 国政で働くためには、高位貴族であるだけでは足りない。学問の科挙、武門の武挙、魔法の魔挙のいずれかに合格しなければならない。どれも分野は違えど、あまりの難易度の高さという点は変わらない。しかしその難易度ゆえ、敷居は壁のように高いが平民にまで広く門戸を開かれている。


 科挙や武挙、魔挙に通らなかった貴族子弟は、それぞれの領地の運営をすることになる。


 結局は、合格者のほぼ全てが高い教育を受けている貴族になるのだが。


 学園の筆記試験では、一割は科挙の最高難易度の問題が出る。それは、国政の第一線で実際に働いてでもいなければ解けない問題だった。そんな試験で満点を取ることなど、有り得ないのだ。


 ――不正。ヴェリート・ヴェロ・クオーレが中等部一年次の頃から、大抵の生徒はそう思っていた。


 しかし、自他ともに生真面目と認められているフーゴは、そんなことは視界に入らなかった。不正だとすれば、有り得ない結果を出すことは雑である。


 幼少期から天才と言われていた己が負けたこと。見つめるのは、その一点だった。


 図書館にこもる時間が増え続けた。


 教師からの受けがよかったから、図書館は無制限に使えるようになった。一時期は、寝泊まりまでしていた。


 そんな愚直さにも関わらず、ヴェリート・ヴェロ・クオーレは越えられなかった。一度は、一つ順位を落としたことさえある。


 フーゴは苦悩した。悔しさから机に頭を打ち付けて出血したこともある。眼鏡の銀縁も歪んだ。


 そんな時だった。本棚の上から天使が落ちてきたのは。


 ふわふわとしたピンク色の髪。ただでさえ大きい目が、驚きでさらに見開かれていた。ゆるやかな白い服は、まさに天使のようだった。


 頭から落ちてくる天使の顔を支えようとしたが、華奢な己の腕では支えられず、結局潰されるように倒れ込んだ。


「お礼とお詫び、です!」


 そう言って、悪びれない屈託のない笑顔で渡されたのは、一冊の小説だった。


 小説なんて下らない、と思っていたフーゴは読んだこともなかった。父も無価値なものと断じていた。しかし、行き詰っていたフーゴは自嘲気味にページをめくってみた。


「……面白かった、です」


 翌日、むしろバツが悪そうに言ったのが己だったことに、釈然としない思いはあった。


「でしょー?」


 しかし、そう言って自慢げに後ろ手で腰を曲げて上目遣いで笑う彼女に、心は揺さぶられた。慌てて目は逸らして、眼鏡が飛んだ。


 成績が上がったのは、聖女リリィと、読んだ小説について語り合うようになってからだった。


 気持ちが楽になり、勉強時間が減っているのに理解が進んだ。


「フーゴ様は、視野が狭かったんですよ」


 人から指摘をされることが、受け入れられなかった己が、聖女の言葉だけは素直に受け入れていた。


 有り得ないことは、有り得ない。わからないことで確率の高い方があるならば、そちらを見込むのが自然だ。


 規律を無視している公爵令嬢。


 有り得ない成績を取っている公爵令嬢。


 条件が二つ揃っているのなら、不正に手を出して有り得ない成績にしているのだと考える方が、自然だ。


 勉強は継続しつつも、聖女リリィとの時間も、かけがえのないものになっていた。


 ――いつも明るい彼女が、僕を笑わせる彼女が、泣いていました。


 図書館、夕陽、俯きながら涙を流す聖女、ズタズタに切り裂かれた教科書とノート。ノートの切れ端には、彼女に勉強を教えた時に書いた、フーゴの字もあった。


「フーゴ様……! ごめんなさい、せっかく教えていただいたのに、読めなくなっちゃいました」


 フーゴに気付いて泣きながら無理に笑う彼女を、抱きしめた。華奢な己が恥ずかしいと、初めて思った。


 けれど、彼女は己の薄い胸の中で声を上げて泣きだした。


 許せない、という怒り。正直に言うならば、こんな自分でも胸を貸してあげられるという、淡い誇らしさもあった。


 しかし、破られたノートに水滴がいくつも落ちているのを見て、そんな気持ちは吹き飛び、怒り一色になった。


 ――一人で、泣かせてしまったのですね。



「貴方は、僕が守ります」



 格好付けた自覚は、ある。しかし、それは淡い思い。本音がほとんどだった。そう思える己が嬉しかった。


 計算もある。それも、己だと認める。高く上がった正方形の石床。対面の階段を上がってくる生徒会長を、観察する。データもすでにある。


 この男が相手ならば、勝てる。相手は自分と同じ『向かない』側の人間だった。


 観察結果を整理しながら集中していたが、途切れた。


 燕尾服の執事ディアーヴォ・ル・ヴォトムが生徒会長ノーマン・ネイルとフーゴの間に颯爽と跳んで現れた。



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