第5話
「姉さん……!」
思わずというように零れた言葉が、ざわめきの隙間を縫って思いのほか響いた。
いや、当人の想いが当人にとっても思いのほか大きく、それが零れたにしては大きな声になったのかもしれない。
「……エト」
ほとんど無言だった公爵令嬢ヴェリート・ヴェロ・クオーレも、思わず口を開いた。
最初の言葉は、壇上の青い髪の男子生徒。よく見れば、顔立ちはヴェリートに似ている。瞳の色は同じだが、弟の目は感情が豊かだった。
「どうして、こんなことになったんだろうね」
弟エトス・ヴェロ・クオーレは、悔やむように俯いて歯噛みする。自分に、何か出来たことがあったんじゃないかと。
「わからないわ……。私も、何でこんなことになっているのか、不思議だもの」
弟が姉と向かい合い、壇上から見下ろす。会場の荘厳なつくりも相まって、まるで演劇のラストシーン、それも死刑の前のようだった。
無表情で見上げながら言い放つ姉に、弟はまた端正な顔を歪ませる。
「姉さん!! リリィさんは、姉さんが心から反省して――、謝ってくれさえすれば! それ以上は問わないって言ってくれてるんだ!」
ねぇリリィさん、そう言ってくれたよね、と勢いよく振り返って特待生に問う。
「え、えぇ……。わたしは、意地悪をこれ以上ヴェリート様にされなければ、ほかに望みはないんです……」
鈴がそよ風で揺れるような声だった。ピンク色の瞳をきゅっと閉じて、大粒の涙をぼろぼろと流しながら頑張って話す。
頑張って、というのが周囲の生徒にも伝わっているようだった。リリィ・スワネルと話したことがない生徒からも同情心を買い、もはや会場はリリィの味方だった。
先にフォール王子が話していた、陰湿で悪質で犯罪的な嫌がらせを「意地悪」で済ませようとする優しさと健気さも胸を打つ。
「さぁ! 彼女はこう言ってくれている! 彼女の優しさに感謝して、謝ってよ!」
エトスの声は、必死だった。
本当には、この場に立つことを望んでいなかったのだろう。壇上に立ったのは、あくまで姉の最後の命綱にならんがため、姉を救いたい一心だった。
しかし、氷の姉はその手を払いのける。
「……駄目よエト。悪いことをしていないのに、謝ることはできないわ」
「――――――――ッ!!!!」
返答を聞いて弟は、声にならない叫びを上げた。悪びれもしない姉への失望か、怒りか、悲しみか。
すべてか。
無音の叫びとともに顔を悲痛に歪めながら、叫び終わると、すっと冷静になった。その無表情は、やはり姉弟なのだと周囲に思わせたが、決定的に違うところがあった。
「――わかったよ、姉さん。昔の明るくって、強かった姉さんに惹かれていた。その思いが僕の中に残っていたみたいだったけど、もうあなたは、姉さんではないんだね」
姉弟だから、奇しくもという言葉は合わないだろう。しかし、姉弟の絆を絶つ宣言をしたその顔は、皮肉にも姉と同じく氷を思わせるものだった。
「姉さんに、僕達が知らない事情があるのかと思った時もあったよ。でも、この執事があなたを見捨ててこっちに付いているようだと、本当に見下げた存在になり下がったんだね」
燕尾服の黒い執事に目線をやるが、執事は微笑みを貼り付けたまま振り向きもしなかった。
「決心が付いたよ。……殿下、僕の心は決まりました」
フォール王子は、一つ頷く。そのまま振り返って膝を曲げ、リリィ嬢に囁く。
「リリィ。心配しないで? 俺様たちは、学園最強なんだ」
その慈しみに満ちた声と、悪戯っぽい笑顔は、女性ならば誰でも心を奪われただろう。事実、リリィ嬢もそうだったようで、ピンク色の瞳を大きく開いてぽぅっとしていた。
数秒経ち、我に返ったように頭を振る。
「ですが……! わたしなんかのために、皆様に戦ってもらうだなんて」
すがりつくようなリリィ嬢の涙をたたえた上目遣いも、朝露に濡れた花のように可憐。男ならば、この涙を拭うために何でもするだろう。
「ふふ。俺様たちが、お前のためにしたいのさ! 御令嬢。私にあなたのために闘う栄誉をいただけませんか?」
フォール王子が、ダンスのお誘いの仕草でおどけてみせる。誰が見ても、はっきりと愛の囁きだった。初心な生徒たちは顔を隠し、壇上の他の男子生徒四人は苛立っている。
「うぅ……。そこまで言っていただけるなら……」
そう言って、気丈に涙を拭う。そして、五人の騎士の顔を見渡す。
「みな様。わたしのために、戦ってくださいますか?」
覚悟を決めたピンク髪の少女の声に、
「当然だ」
「任せてください!」
「オウ!」
「承知した」
「はい……!」
五人の騎士が応え、少女は正装の左手の手袋を外し、公爵令嬢ヴェリート・ヴェロ・クオーレに向かって投げた。
「ヴェリート様! わたしは、あなたに決闘を申し込みます!」
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