終章 のぞみは叶わなくても

その日も、児童クラブネバーランドは営業を続いていた。もちろん利用者である武井くんや加藤くんも来訪していたのであるが。

「ねえ杉ちゃん。」

と、加藤くんが言った。

「どうしたの?」

杉ちゃんが聞くと、

「もうネバーランドも取り壊しになるんでしょ?」

加藤くんは寂しそうに言った。

「どうしてそのことを知ってるの?」

杉ちゃんがそう言うと、

「だって僕のママが言ってたの。もうこの施設は取り壊しになって、歯医者さんの一部になるんだって。僕はそんなのは嫌だといったけど、仕方ないから諦めろってママが言ってた。」

加藤くんがそういった。

「はあ、まだ正式に決まったわけでは無いよ。」

杉ちゃんが言うと、

「ううん。僕わかるの。なんとなくそうなんだなって気がしてたの。僕みたいにできない子は、こういうところをたらい回しにされるんだなって。だって僕らは必要のない人間だもんね。どうせ、日雇いとかそういう仕事しかできないってママが言ってた。だからそういうことはわかるんだ。もう僕達がいらないってことをね。」

と加藤くんは言った。そんな事加藤くんたちに知らせて置くのは、できるだけ先送りにしたいことでもあった。でも、そういうことに敏感な加藤くんたちは、直ぐわかってしまうのだろう。

「いいんだよ。どうせ僕たちは、これで終わりだよ。手がかかる子とか、親を困らせる子とか、そういう目で見られるんだ。どうせそれくらいしか見てもらえないだ。もっと言っちゃえば、僕らは生きていても仕方ないよ。」

武井くんまでそういう事を言っている。きっと二人は、そういう気持ちを何度も経験しているのだろう。だからもうなれているという言葉を使ったのだろうが、それを乗り越えさせるのは、あるいみ大変むずかしい問題でもあった。

「そうだねえ。確かにお前さんのような人は、必要とされるのが難しいだろうな。」

杉ちゃんは正直に言った。

「もう僕達は、いらないってことだよね。どうせ頭も悪いし、勉強もできないし、運動だってできない。そんな人間、ここにいないほうがいいんだ。大人はそういう事ばっかり考えるから。」

加藤くんは当たり前のように言った。

「そうだねえ。確かにそうなんだけど、でも、自分の好きなものだけはわすれないで持っててほしいなあ。それは、僕も水穂さんも、そうしてきたんだから。」

杉ちゃんがそう言うと、

「そうだね。でもきっと、僕達は、要らないぞんざいだから、きっと、どこかで点数が悪いとか、そういうことで、晒し者にされちゃうんだと思う。学校の先生だってみんな言ってるよ。今年は間が悪いってさ。それに、ここに預けても、どうせこうやって直ぐ取り壊しになるしね。僕達は、どうせ、要らない存在なんだ。だから、こういうふうにすぐに消されちゃうんだ。」

加藤くんは、心のそこから思っていたことを言った。

「そんな事ありません。」

いつの間にか、杉ちゃんたちの話を聞いていたフックが、突然そんな事をいった。

「はあ、それはどういうことなんかな?」

と、杉ちゃんがいうと、

「僕もはっきり意味は知りません。でも、人間は、自ら生きることを捨ててはいけないと思います。きっとなにかの縁があって、この世に生かされているんでしょうし、それを、自ら要らないというのは、やってはいけないことだと思います。」

フックは、急いで言った。

「それって、どうなんかな。僕もまあ、そういうことは思うんだけどさ。でも、加藤くんや武井くんのような、いかにもこの世に適応できないままで居る子供や大人を生み出して居るということは、どういうことだと思うんだ?」

杉ちゃんがそう言うと、

「ええ、でも、それだって、適応できなくさせているのは誰なんでしょうね?もし、自然界なら、欠陥があってもうまく適応しようとするでしょう。でも、それを邪魔させているのは、人間のやり方ですよね。それなら、もしかしたら変えることも出来るかもしれないじゃないですか。今がだめであっても、もしかしたら、変えることが出来るかもしれない。その前に、要らないと言って、自ら逝ってしまうのは、いけないことだと思います。それは、宗教とか、難しいことではなくて、そう思ってしまうんですよね。」

フックは、そう答えた。

「はあ、そうなんですか。自分で逝ってしまうのは、いけないことねえ。なるほど、、、。お前さんは、医療者の端くれというより、宗教家とか、神学者とか、そういうのに商売変えたほうが儲かるんじゃないの?」

杉ちゃんが急いでそう聞くと、

「あ、ホントだ。富沢、そういう人のほうが絶対かっこいいよ。」

と、武井くんが言った。

「車椅子の牧師さんとか、テレビで見たことあるよ!」

加藤くんもそういう事を言うので、フックはふたりともというが、二人は、にこやかに笑ったため、何も反応できなかった。

「でも、本当に、この施設が取り壊されてしまうのは、なんか寂しいけど、、、。まあ、あの北條なんとかという強気の歯科医には、むかえないか。」

杉ちゃんは、三人の顔を見てカラカラと笑った。

それから、数日が経って、正式に、ネバーランドは取り壊されることになった。いくら、北條多香子が反対しても、北條美子のほうが偉いのは目に見えていた。多香子はただの名前だけの経営者だし、少子化で子供が利用する見込みがない児童クラブと、これから、高齢者が増えて入れ歯の需要が増える歯医者とでは、どちらが利用者が増えるのかは明白だった。それに、武井くんのような子どもたちの騒音でかなり苦情が来ていたこともわかった。そんなことを、なんで今まで隠しているんだろうと杉ちゃんたちは思ったが、そのようなことを言っても、北條美子さんには届かなかった。

ネバーランドは、取り壊され、北條歯科医院の一部になることになった。利用していた三人の女の子たちは、他の施設に移った。加藤くんと武井くんはとりあえず保護者のところに戻ることになり、また新しい施設を探すなり、学校を探すなりするのだろうと思われる。まあ、見つけるのに莫大な時間がかかってしまうだろうし、もしかしたら、加藤くんたちが言っている通り、いろんな施設をたらい回しにされるのかもしれないが、それでも、どこかで、居場所を見つけなければならないのだった。

蛻の殻になったネバーランドに、フックと富沢淳が最後のカギを掛けた。そして、道路へ出ようとしたその時、

「あの、富沢さんですよね。」

と、言って一人の女性が現れたので、びっくりする。

「ああ、あなたは確か、植松聡美さん。」

フックは、急いで言った。

「この施設も、いよいよ明日、解体業者が入るって聞いたから、なんか思い出に残しておきたくて、こさせてもらいました。私も、この施設で、武井くんや、加藤くんたちに、一生懸命接した思い出を忘れたくないですから。」

植松聡美さんはそんなことを静かに言った。

「そうですか。なんかすみません。聡美さんも一生懸命ここに来て頂いたのに。仕方ないと言っても、聡美さんたちに、何も代償できないので、申し訳ないくらいです。」

フックは、聡美さんに言った。

「いえ、いいんです。私も武井くんたちと同じですよ。私も、この世の中で、必要とされていない存在。でも私、もう一回生きてみることにしました。私は、ダイエットにハマりすぎて、歯が全部抜けてしまいました。入れ歯なんて、年寄みたいだと思っていましたけれど、でも、富沢さんが言う通り、自ら生きることを捨ててはいけませんよね。だから、頑張って入れ歯を作ってもらうようにします。」

聡美さんはにこやかに言った。

「入れ歯をつくってもらったら、私、通信教育かなんかで人の話を聞く資格取って、悩んでいる子供たちの話を聞いてあげられるような、そんなおばさんになろうと思います。ただの優しいおばさんにしか、見えないかもしれないけど、ただの優しいおばさんも、今は少なくなっている時代ですよね。だから、私は、そういうおばさんになれたらいいなって思います。武井くんたちを見てそう思いました。」

「そうですか。偉いですね。そうやって目標が見つかって。ネバーランドも、役に立たない施設ではなかったということですか。」

フックは苦笑しながら聡美さんに言った。

「富沢さんは、これからどうされるんですか?また、どこか病院にでも勤めるのですか?お医者さんだから、きっとどこかで働けますよね。いいな、私より、そういう可能性があるってことは、私よりずっと楽に生きられそうな。」

聡美さんがそう言うと、

「いえ、人間ですもの。楽に生きられるなんてことありませんよ。楽に生きられるのは自分のことしか考えていない、ずるい人たちだけです。それ以外の人間は、みんな苦労して、悲しんでそれを誰にも言えないで生きてるんです。」

フックは聡美さんに言った。

「そうですか。それなのに、生きていることを放棄してはいけないとおっしゃるんですね。ほんと、杉ちゃんの言うとおりですね。富沢さんは、なんか、ほんとに宗教家みたいですね。そういう事、勉強したら、えらくなれそう。」

聡美さんはにこやかに笑った。

「そうなんですか。いずれにしても、僕はもう一度、子供さんのことを勉強し直そうと思っているんです。まあ、病院も腐るほどあるし、どこかではたらかせてもらえるとは思うので。それで、勉強し直したら、もう一度武井くんや加藤くんのような子どもたちの面倒をみたいなと思います。こういうことをするにはね、やっぱり、称号とかの力を借りないとだめなことはあると思うんですよ。今回、ネバーランドが潰れたのも、美子先生の称号が力が強かったと思いますしね。」

「偉いですね。富沢さん。しっかりしてますね。」

聡美さんは、その発言を聞いて感動した。

「いえ、大したことありません。それより子供の数は減ってきているというのに、問題のある子供さんはうなぎのぼりに増えていますからね。それはやっぱり社会がなんとかしなきゃいけないと思うので。聡美さんがダイエットにハマったのも、ある意味それは、社会が病んでいると思うんですよね。そこは誰かが動かして行かなくちゃ。世の中をひっくり返すようなマネはできないですけど、誰かの意識は変えられるような、そんな人間だったらいいなって。」

「やっぱり杉ちゃんの言うとおりですね。なんかほんとに、どこかの悪役よりもずっときれいな人なんですね。富沢さんは。これから、どうするおつもりですか?富士でずっと暮らすんですか?それともどこか他の土地に行くのかな?」

不意に、聡美さんはそんな事を言いだした。

「まだわかりません。どこかわかりませんが、今の時代、勉強はどこでもできますからね。聡美さんがおっしゃった通信講座でもいいですし。オンライン授業だってありますし。それでいいのかなと思って。」

フックがそう言うと、植松聡美さんは、真剣に彼の顔を見た。

「ねえ、富沢さん。あたしも、一緒に行ってもいいですか?」

聡美さんは、一生懸命な顔になった。

「あたし、富沢さんがなぜ、左腕をなくされたのか、どんな経歴をしてきたのか、なんて何も興味は無いですよ。だけど、今の富沢さんは、とても素敵だし、ぜひ、一緒に行きたいと思う。杉ちゃんの言葉を借りれば、いつ、チクタクワニが出てくるかなんて予測できないじゃないですか。もしかしたら、一人ぼっちだったら、本当にチクタクワニに襲われてしまうかもしれない。でも二人なら、逃げられるかもしれないんですよ。きっとね、チクタクワニは、あなたの腕の味を覚えていると思いますし、それに富沢さんは純真な人だから、何回も襲ってくるんじゃないかしら。それを今度は一人ではなくて、二人で食い止めてみませんか?そうすれば、大事なものをなくさないで済むんじゃないかな?」

フックは一瞬ぽかんとした顔をしたが、

「でも、聡美さんだって、大事な事情があるのに。」

と、狼狽していった。

「ええ、でもきっと、家の人達は、すぐに喜んでくれると思います。あたしが、拒食症になったときも、いい年して何やってんのなんて呆れてましたから。だから、好きな人を見つけたといえば、呆れた顔はしないと思います。」

聡美さんは、力が抜けたような笑い方をして、そういうことを言った。フックこと富沢淳は、ちょっと困った顔をして黙ってしまった。

「黙らないでくださいよ。本当に、純真すぎる方ですね。そういうときは、男なら、俺に着いてこいとか、そういう事言うんですよ!」

と、聡美さんが思わずそう言うと、

「聡美さん、それなら一つ、条件があるんです。」

フックこと富沢淳は、にこやかに笑った。

「そこまでのことが言える強気な気持ちがあるんだったら、あなたも、歯を治してもらってください。入れ歯なんて年寄りみたいなんて事言ってたら、一生、食事もできなくなりますし。」

「はい、わかりました!」

聡美さんも、にこやかに笑った。

「あたしも、これから修行に励んで強くなります。」

それから何日かたって、ネバーランドは本当に取り壊され、北條歯科の一部になってしまった。一度解体に着手して、立て直しの工事を始めてしまえば、本当に完成まで早いものだ。現代社会というものは、誰かが古いものを懐かしむ暇を与えてくれないらしい。本当に数週間であっという間に北條歯科は、立派な歯医者さんに生まれ変わり、看護師の人数も増えたし、受付の女性も感じの良い人を雇える様になった。それで随分評判のいい歯医者に変わってしまった。北條美子は、一生懸命患者さんの治療に当たったが、彼女の姉の多香子の引きこもりは一層ひどくなった。自分の歯医者としての、収入や、地域の基盤は、一層強くなったのに。なぜか姉は、呆然として、落ち込んで居る気持ちがずっと続いていると訴えるのだった。彼女は、死にたいということは口にしなかったが、多香子は、何もしないで、部屋のなかでぼんやりしているだけなのである。飲酒も喫煙もしないけれど、多香子は、何もしなくなった。呆然と、仕事もせず、家事もせず、唯生きているだけの状態になってしまったのだった。

その日も、美子は、眠い目を擦って起きた。いつもなら、朝食の準備は姉多香子のしごとだったが、その日も多香子は、何もしなかったから、美子が作るしかなかった。美子は、料理の知識も何もなかったから、なにか買ってくるしかなかった。けれど、それでも良かった。コンビニもあるし、スーパーマーケットもあり、ショッピングモールもあり、出来合いを買ってきてしまえばいいのだ。飽きは来ないのだ。

美子は、部屋に入ると、多香子はぼんやりと、テレビを見ていた。

「お姉ちゃん、ご飯よ。」

美子はそう言うが、多香子さんは力なく、

「要らない。」

というだけだった。

「そう。じゃあ、食べなくていいわね。食費も楽になっていいわ。」

と、美子はそう言って勝手に購入した弁当を食べた。多香子はそれを呆然と見つめていた。そして、小さな声で一言、

「武井くんたちはどうしているんでしょうね。」

と、つぶやくのだった。

「お姉ちゃん。そんな事言わないでよ。もうあの子達とは縁が切れたのよ。あの子達は、きっと他の施設で優しくしてもらっているわよ。それでいいと思ってよ。」

と、美子はそう言うが、多香子はぼんやりしたままだった。まるで肝を抜かれた人間の様に呆然としていた。

「お姉ちゃん。あたしは仕事があるから行くけど、何もしないでよ。変な事したら、私が疑われるのよ。」

美子がそう言っても多香子は黙ったままだった。美子は、もう仕方ないなと言って、大きなため息を付き、急いで、歯医者の建物に向かっていった。

「あ、おはようございます。先生。今日は、午前中に一人予約がはいってます。」

と、新しく雇った受付係が、美子に言った。

「そうなんですか?」

美子がそう言うと、

「はい。名前はえーと、植松聡美さん。なんでも、総入れ歯のことでご相談だそうです。」

美子は、そんな名前なんてすっかり忘れていた。どんな人物かもすっかり忘れていた。だからとりあえず、

「わかりました。入れ歯のことでと言うんだったら、多分、お年寄りでしょうね。」

と言っておいた。

そして、午前九時。北條歯科医院が開院した。何人か予約した患者さんがやってきた。他の雇った歯科医もいたから、すぐに済んでしまう患者さんもいたけど、美子は、一番初めに植松聡美さんという患者さんを受け持つことになった。

「えーと、植松聡美さんですね。なんでも歯が全部抜け落ちてしまったので、総入れ歯にしたいということですね。」

美子が、植松聡美さんという女性を見ると、植松聡美さんは、何もおばあさんではなかった。彼女は、まだ30にもなっていない、若い女性だった。

「あら、あなた、どういうことですか。その年で入れ歯のことだなんて、」

美子さんがそう言うと、

「はい。拒食症になって、一時期大変だったんです。それで、歯が全部抜けてしまって、一時はもう嫌だと自暴自棄になったこともあったんですが、でも、気を取り直して、私は再度生き直すことにしました。そのためには、歯が必要です。だから、入れ歯を作っていただきたくて。先生、お願いできませんか?」

強そうにいう聡美さんは、昔のような気の弱い女ではなくなっていた。彼女は、一生懸命馬鹿にされないように、美子に訴えていた。

「これで人生を終わりにしたくありません。私は、頑張って、勉強し直して、今までよりずっと強い自分になるようにしたいです。だから先生、入れ歯を作ってください。お願いします!」

「は、はいわかりました。」

そういう聡美さんに美子は言った。もう強引に治療を勧めていくことはできなかったのだった。

もう季節は涼しくなっていた。人間が過ごしやすい、秋の季節に向かっている。そして、人間も自然も少しづつ変わっていくのが、一番何だということだろう。そうやって、春夏秋冬、いろんな季節があるんだなと思う。


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