第八章 傷

フックは浜松の大学病院にいた。病院の作りとかは、彼が在籍していたのはもう10年以上前のことだけど、なんとなく覚えている。なので、迷うことなく入り口へいけた。入り口へ行くと、まだ診察開始時刻の30分前だというのに、たくさんの患者が待っていた。そのなかをかき分けて、フックは総合受付に行って、呼吸器外科の秋山先生をお願いしたいと尋ねると、

「一体あなたはどちらさまですか?」

と、受付の中年女性に聞かれた。

「はい。秋山先生のもとで、学んでおりあした、富沢淳と申します。多分、左腕のない富沢といえばわかると思います。」

フックは、急いで答える。

「秋山先生でしたら、昨日大きな手術をしたばかりですし、これから患者さんも見なければならないので、お断りです。」

受付が言った。

「いえ、30分ほどでいいです。診察の前に、どうしてもお話を聞いてください。秋山先生にどうしても見ていただきたい患者がいるので、お願いにこさせてもらったのです。富沢が、お願いに来たと言ってくだされば、通じると思います。」

「はあそうですか。あいにく、今日は患者さんもたくさんいますので、御用はまた後日にしてください。」

フックがそう言うと、受付は冷たく言った。

「そうですが、その患者さんは重篤です。秋山先生も見れば驚くと思います。それほど、深刻です。だから、すぐに来ていただきたいです。お願いできませんか?」

「あなた、何を言っているんですか。ここだって患者さんはたくさん居るんですよ。ここは大学病院ですし、重大な症状がある人だって託さいるんです。それをおいてこちらに来てくれだなんて、非常識にも程があります。すぐにお帰りください。」

受付はとても冷たかった。

「そんな事ありません。それなら、大学病院と言いましたが、たしかに重大な患者さんばかり扱うと思います。それなら、その知識に長けているのは、大学病院で無いとだめということになりますよね。」

フックは、受付に詰め寄る。

「いいえ、だめなものはだめです。何よりもあなたは代理人でしょ。そういう事言うんでしたら、本人をここへ連れてきてくださいよ。そうすればわかりますから。それに、飛び込みで来ないで、ちゃんと予約をしてくださいね。でないと病院がパンクしてしまうことになりかねませんからね。」

受付は、いかにも嫌そうに言った。

「そんな事言わないでください。本人が動けないから、代理で来ているじゃありませんか。お願いします。患者さんを見てあげてください。」

「でも、予約をしていないので、こちらとしても困るんです!」

受付の女性は、感情的に言った。

「どうしたんですか。なにか変な人でも来られたんですか?」

一人の女性がつかれた顔をしてやってきた。確かに50歳は超えているが、医者らしく堂々とした感じがあった。

「ああ秋山先生。この片腕の人が、見てほしい患者さんが居ると言ってうるさいんですよ。」

受付がそういうと、秋山先生と言われた女性は、フックの顔を見た。

「あら富沢さん。どうしたの?あなたであることは、その手がないことからわかるわよ。」

秋山先生は、とりあえずの挨拶をする。

「あの、秋山先生。お願いがあるんです。富士に一人、大変重篤な状態で寝たきりの男性がおりますので、ぜひ、秋山先生に診察していただきたいんです。」

フックはすぐに秋山先生に言った。

「そう、ちょっとこちらに来てくれる?こんなところで話しても無駄ですから。」

秋山先生は、フックを小さな部屋に通した。フックはすみませんと言って、秋山先生に指示された椅子に座った。

「それで、今日は何しにわざわざこちらに来られたの?」

秋山先生も冷たそうだった。

「はい。実は、富士市内にとても重大な胸部疾患の男性がいて、秋山先生の診察をお願いしたいのです。秋山先生のような権威のある方なら、多分、話が通じると思います。」

「はあ。どこかに悪性腫瘍ができたとか、そういうことですか?」

秋山先生は、当たり前の様に聞く。確かに重大なといえば、そういうものがまず第一に上がるのが現代の医学だった。

「いえ、悪性腫瘍とかそういうものではありません。それとは全く違います。」

フックは正直に答えた。

「じゃあ、白血病とか、そういうもの?それなら、血液内科の先生を紹介するわよ。私にはできないことだから。」

秋山先生がそう言うと、

「いえ、それも違います。」

フックは、申し訳無さそうに言った。

「なら、心臓とかそういう事?拡張型心筋症とかだったら、循環器内科に行って話してきてちょうだいね。」

「それも、違います。」

秋山先生にそう言われて、フックは小さい声で言った。

「じゃあ何よ。精神関係とかそういうものは私は見ないわよ。」

秋山先生の顔がちょっと厳しくなった。

「そういうものではございません。本当に言いづらいことですが、もう何回も喀血の発作を起こしていて。周りの人も、もう仕方ないと放置しているところがあって、誰も医者に見せようとしないので、それで秋山先生に見ていただきたくて来ました。」

フックは秋山先生の顔を見ることができずに、そこまで言ってしまった。

「何馬鹿なこと言ってるの!」

予想していたけど、すごい叱られ方だった。

「あなたも馬鹿ね。そういうものは今の時代であれば、抗生物質とかそういうものでなんとかなるじゃないの。なんで私がわざわざ富士まで行かなくちゃならないのよ。おかしなこと言うと思ったら、私のところにノコノコ来て、ありふれた病気の人を診察してくれですって!呆れたものね。あなたも、そんなおかしなこと言って。馬鹿にも程があるわ。」

「でも、本当なんです。彼自信も、そのせいでつらい思いをしているんです。だって、医療関係者は、患者さんを少しでも楽にしてあげるためにどこへでも行くって言ったのは先生でしょう?僕もその思いを受けて今までやってきたから、お願いしているんじゃありませんか!」

フックが、急いでそう言うと、

「そうだけど、今は明治時代とは違います。そんなもの、抗生物質の投与で済む。そんな簡単な患者さんを相手にできるほど、医者は暇じゃないのよ。あなたも医療者の端くれなら、そのくらいわかるでしょう?」

秋山先生は甲高く言った。

「いえわかりません!そんな事知りませんよ。僕はただ、苦しんでいる人が居るから、なんとかしてあげたいだけのことです。アルベルト・シュヴァイツァーもそうだったと思います。それと同じことです!」

「あなたもホント、馬鹿ねえ。障害のある人は、いつまでも大人にならないとか聞くけど、本当のことなのね。いい、そういう偉い人の言葉なんて、信用するものじゃないわよ。偉い人というのは、必ず誰かの手を借りて偉くなってるの。逆を言えば自分のことは周りの人に任せてるから、そういう事が言えるのよ!それは、あたしは、学生であるあなた達にも散々言ったつもりなんだけどな。それもわからないなんて、ホント、あなたも、馬鹿な人だわ!」

秋山先生に馬鹿にされて、フックは、本当に悔しかった。本当に一言で言えば、傷ついたと思った。

「じゃあ、もういいかしら?これから、診察がありますから。あなた、片腕がないからと言って、何でも通るのかと思っているようだけど、そんなことは絶対に無いと思うことだけは忘れないでよ。」

秋山先生は、もう彼に帰る様に促した。フックは仕方なくその部屋を出た。廊下を歩いて、先程の待合室に戻ってきたが、待合室に居るのはお年寄りばかりで、皆今の世の中は嫌だとか、スマートフォンについていけないとか、昔は良かったとか、そういうことをでかい声で話しているばかりであった。そんな人しか相手にしないのだろうか?まあ確かに治療費は確実に払えるのかもしれないが、果たして、それだけでいいのだろうか。医療関係は、確実にそう言う人しか見ないものになってしまっているのだろうか?なにか、違うような気がするが、病院も、確実に変わり始めている。

高齢の患者さんにだけ、優しい目をして、応対している受付係や、秋山先生、そして看護師や薬剤師たち。フックは、仕方なく病院をあとにするしかできなかった。

浜松から富士へ戻るための電車が途方もなく長かった。新幹線の切符を買えばよかったが、もう東海道線の往復切符を買ってしまったので、今更変更するわけにも行かず、それに乗った。新幹線の倍以上かかったが、そこで電車を乗り降りする人たちに、みんな健康でいいなと思った。なんだか、自分が抱えていた悩みを、他の人は、何も考えていないということだろうか。

「まもなく、富士、富士に到着です。身延線をご利用の方はお乗り換えです。富士駅には、五分ほど停車いたします。発車は、12時5分です。」

車内アナウンスが流れて、富士駅に着いたということだった。フックは、電車の止まるのを確認して富士駅で降りた。とりあえず、エスカレーターを上って、改札階に行き、切符を駅員に渡した。

「おい、帰ってきたのか。」

と、声がした。誰かと思ったら、杉ちゃんだった。

「すごい剣幕で、先生のところへ見てもらってくるって言ってたから、僕はあえて止めなかったんだけどね。きっと、こういう結果になるんだろうなと思ったよ。」

「ごめんなさい。」

フックは、杉ちゃんに言った。

「いいよ。気にしないで。もうこういう結末になることはわかってたから。水穂さんが、そう言ってた。」

「水穂さんが?」

「うん、きっとお前さんは、しょんぼりして帰ってくるって。お前さん、水穂さんの身分のことも、その先生に話した?医者とか、そういうやつは、自分のような身分の人を、変なやつとしか見ないからって、水穂さんが言ってた。」

杉ちゃんにそう言われて、全部図星だったか、と、フックは思った。

「そうなんですね、、、。そういう事言う前に、帰ってしまいましたけど、言ったら多分、もっと、可哀想なことになっていたのかな。」

「そうそう。そういうもんだよ。だから、そうなる前に帰ってこられて良かったじゃないか。そう思うことにしようぜ。例えばさ、水穂さんが偉い先生に、こんなやつを見ることはとでもできないって、直に言われちゃうほうが、もっとひどいと思うよ。偉いやつって、自分のことしか考えてないところあるからね。それに、本当に傷ついて居るやつは、偉くなったりしないよ。そういうもんじゃないか。お前さんも腕がない分、わかるだろ?そういうことは。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「そうですね。腕がないからこそ、水穂さんのことをなんとかしたいと思ってしまいたくなってしまうですが、それもいけないのでしょうか。」

二人は、改札階から、タクシー乗り場に行った。富士は、介護タクシーと言うか、みんなのタクシーという名目で、一つか2つ、車いす用の大型車両が駅前に待機している。東京などでは、そういう事が、まだ成り立っていない駅もある。だから、静岡は穏やかな人が多いということになる。

「まあ、そういうことは、そうなっちまうんだろうな。そして、できないことばっかり、テレビや小説で取り上げるから、そっちのほうがいいと言う事になっちまうわけ。本当は、自分の生活のために生きているだけなのにね。まあ、ああいうものは読んだってしょうがないんだ。だから、文字が読めなくたっていい。」

杉ちゃんはそう言っているが、何故か小説やテレビで起きている事が起こってくれたらいいのにな、とフックは思ってしまった。

「まあ、水穂さんのことは、もう手は出せないと諦めろ。無理なものは、無理だよな。できないことは、できないことだと思ってさ。割り切って生活しないと、大変なことになる。きっと、お前さんは、医療関係者は、なんでも出来ると思ってるんだろうが、僕らから言わせてもらうと、余計な事して何になるということなんだ。だって、僕達は、世の中から切り離して、別の世界で生きていることにしないと、生きていかれないからな。きっと、あの加藤くんや、武井くんだって、そのうち分かるんじゃないのかな。自分の世界と切り離さないと、生きていけないってことさ。まあ、世界なんてそんなものだよ。子供のときは、そういう事味あわせたくないから、優しくしてやってるだけのこと。みんなそういうもんだ。そして、意味が無いことを怒鳴りあって、生きているのが人間ってもんだぜ。」

二人の前に、ワゴンタイプのタクシーがやってきた。杉ちゃんたちは、運転手に助けてもらいながら、タクシーに乗らせてもらう。運転手さんは、いつもの通り、杉ちゃんたちを乗せてくれているのであるが、それだって、障害のある人達に理解のある人でないと、できないことかもしれない。

「そうですね。確かにそのとおりですね。」

フックは、杉ちゃんの言うとおりだなと思った。

二人が製鉄所に帰ってくると、植松聡美さんが、二人を出迎えた。

「杉ちゃんおかえりなさい。実は今日、北條先生がいらして。」

二人は何があったのか、びっくりしてしまった。

「北條って、姉の方か?それとも、ちょっと意地悪そうな、歯医者のほうか?」

と、杉ちゃんは直ぐ聞くと、

「ええ、美子先生の方です。なんでも、今の施設を閉鎖して、歯医者の方に統合するって。」

と、植松聡美さんは答えた。

「はあ。それでどうするつもりかいな。武井くんたちは、どうなるの?」

杉ちゃんがすぐそう言うと、

「ええ、今の所在籍している子達は、5人しかいないので、他の児童クラブに引き取ってもらうか、保護者のもとへ戻ってもらうと言っていました。私は、美子先生には何も言えないので、ただハイハイとしか言えませんでしたけど。」

植松聡美さんは答えた。

「それで、契約書とか、そういうものは見せられた?」

杉ちゃんが聞くと、

「そこまではありませんでしたが、でもいずれにしても、あの二人には、もうすぐこの施設を出ていってもらうと、美子先生は言っていました。」

聡美さんは、気弱そうに話した。確かに聡美さんのような人は、権力者とか、偉い人の話に弱いということもあった。それですぐに偉い人の話に沿ってしまうという癖があった。

「それでは、武井くんたちは、他の施設に移るとか、そういう事になっちまうのか。それでは、せっかくの才能が潰されちまうな。まあ、これは北條美子さんが決めることだから、しょうがないといえばしょうがないんだけどね。」

「そんなわけには、行きませんよ。」

杉ちゃんがそう言うと、フックは、そういった。

「そんなふうに、すぐに相手の都合で、施設をなくしてしまうのは、いけないことだと思います。子供さんたちが、やっと居場所にするようにしてくれたのに。もし、他の施設に移すとか、そういうことをした場合、子供さんたちは、こう思うはずです。大人は、自分の都合が悪いと思うと、すぐに僕達を捨てるんだって。そんな大きな傷跡、子どもたちに味あわせたくありません。」

「まあ、そうなんだろうけどね。そういう思いもあると思うけどさあ。僕らは、何もできないっていうのもまた、現実だよな。いくら、子供が可哀想だと主張したって、そういうことは通らないの。だって、子供さんの将来を考えている人なんて誰もいないでしょ。保育士にしろ、福祉事務所の関係者にしろ、学校の先生も、みんな、自分のことだけを考えて生きてるのが落ちだと思うよ。だったら、これは、北條美子さんの命令に従うしか無いんじゃないのかな?」

杉ちゃんはいつもどおりの持論を言った。確かにそのとおりなのである。みんな自分の生活のために生きている。それは当たり前のことでもある。

「でも、自分の生活のためとはいいますけれど、僕達は、子供さんのために仕事をしているのであって、子供さんたちが将来、生きていけるようにするために、僕達が働きかけているのではありませんか。武井くんが和裁が出来るのも、加藤くんがピアノが出来ることも、みんな彼らが少しでも、世の中を楽しく生きていけるように、そういう意味で発見したのではありませんか?それとも、一時しのぎさせるために、彼らの才能を発掘したのですか?」

「まあ、まあそうなんだけどねえ。本当は教育者ってそういうもんだよね。本来は学校の先生とか、そういう人が、加藤くんや武井くんの才能を見つけて、売りに出してくれるもんだと思うんだが、それは、日本ではちょっとまだ通用しないことでもあるよね。」

杉ちゃんがフックの言うことを訂正するが、フックは真剣な顔をして、杉ちゃんに対抗した。

「ええ、そうかも知れません。日本の教育は、本当の意味で、子供を大事にすることはできないと思います。ですが、そういうことを、子どもたちはちゃんと知っているんです。だからこそ、どこかで、彼らを本当に必要としてあげないと、本当にあの子達は一生傷ついたまま、人生を送ることになります。」

「まあ、落ち着け落ち着け。お前さんの言うことはわかる。だけど、北條さんたちは、そうはおもってはいない。加藤くんも武井くんも、またつらい思いをして、生きていかなくちゃならないのは、他の子も同じ。」

杉ちゃんはそういうが、

「ええ、わかってますよ。だけど、僕達が彼らのことを心配しないで誰がするんですか。もし、杉ちゃんさんの言うことが、本当に正しいのだったら、僕は自分の為に、あの施設の存続を訴えます。これは、あの二人の少年たちのためじゃありません。僕自身も、あの施設でずっといたいと思っているから、あの施設の存続を望みます!」

と、フックは、主張した。

「意思の強いやつだな。そういうのを、ある意味では適応できないというんだよな。お前さんは、TVアニメのヴィランズよりも、もっとずっと、きれいな心を持っている、すごいやつだなあ。まあ、お前さんは、きっと、チクタクワニに噛まれることはないよ。」

なんだか杉ちゃんに言い負かされているような気がした。二人が、口喧嘩しているのを、植松聡美さんは、ずっと見ていた。



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