第3話


「悟、息を止めてて」

「なんだよ」

「悟の胸にコサージュをさしたいんだけど、わたし、汗臭いのよ」

「別に構わないよ」

「わたしが嫌なんだけど」


 悟がため息をつき、わざとらしく指で鼻をつまんだ。

 なので、わたしは安心して悟に近づき、青いコサージュを彼の胸につけた。そして、少し離れて彼の姿を見る。


「卒業生っぽい」

「これ、渚がもらったものだろう」

「そうだよ。陸上部の後輩たちから。でも、写真もとったし、思い出は作ったよ」

「あの女の子たちか。渚、好かれていたからな。彼女たち、ぼくがコサージュを貰ったと知ったら、怒るだろうな」

「大丈夫だよ。もう、卒業したんだもん」

「そうだよな。卒業したんだもんな。もう、いろいろと面倒なことはないんだな」


 悟が、手で「おいで、おいで」をしてくる。

 はて、と思い近づくと、突然、抱きしめられた。


「なに、どうしたの」

「おばさんの電話聞いて――渚がいなくなったって。心臓が止まりそうになった。いなくなられるって、キツイな」

「それは、そうだよ。悟のこと、みんな心配しているよ」

「みんななんて、どうでもいいんだ」

「どうでも良くないよ。生徒会のひとや、悟のクラスの子たち。みんな、悟と連絡が取れないって、わたしにまで聞いてきたよ」

「……渚だけでいい」


 悟の腕が緩む。

 悟とわたしのおでこがくっくけられる。


「なにもかも捨てて出ていくとなったとき、ぼくの心残りは渚だけだった」

 悟の真剣な眼差しは、わたしだけに向けられている。

「渚が好きだ。なのに、好きだって言えなかった。言わなかった。ぼくは、ずるかった」

 悟の思いがけない告白に、わたしの腰は抜けた。

 彼の腕を掴みながら、しゃがみ込んでしまったのだ。

 すると、わたしに合わせて彼もしゃがんだ。


「悟に好かれているなんて、これっぽっちも気がつかなかった」

「だろうね」

「わたしも、好きだよ」

「だろうね」

「いまさ、無性に腹が立ったんだけど、なんでかな?」

 むっとして言い返すと、悟が笑った。


 悟の家に向けて歩き出す。

 繋いだ手が、重なる体温が、わたしと悟が今までとは違う関係になったと言っている。


「……大学、どうだった?」

「受かったよ。渚は、清野女子大だろう。留守電に入っていた」

「悟は大学に、ここから通うの?」

「四月になったら、二番目の兄のマンションへ転がり込む予定。ここよりは、大学に近いからね」


 悟がわたしの髪をくしゃりと撫でる。

 なんだか、甘いな!


「悟の家は、どこ? あと、どれくらい?」

「そうだな。この先、300メートル行ったところだよ」


 この先、300メートル!


 


 


 多分、永遠に、悟の家には着けないと思う。


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この先、300メートル 仲町鹿乃子 @nakamachikanoko

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