第2話
悟のバカ。
わたしが熊に襲われたら、悟のせいだ、バカ。
勝手に引っ越すな、バカ。
わたしをおいて行くな、バカ。
「あ~~! もう、ここどこ? 悟、出て来い! うぉーーー!!」
見知らぬ町で、恥のかき捨てだ――と思ったら、「渚!」って呼ぶ声と同時に左腕を掴まれた。
悟だった。
悟は、すぐ横の細道から出てきたようだった。
かろうじて、3センチは目線の高い悟と、無言で見つめ合う。
悟の息が上がっている。顔が怖い。
あれか。公道でひとの名まえ呼ぶなよ、ボケ、ってな感じか。
そりゃ、迷惑だよね。
しかし、待てよ。
「悟、なんでこんなところを歩いているの?」
「渚が帰って来ないって。渚のお母さんから前の家の留守電に入っていたから」
「留守電? 前の家って、わたしたちが住んでいる町の、あの家に残っていた電話? 悟はあれを聞いているの?」
「まぁね」
なんてことだ!
誰も聞かないだろうと思って、わたしは言いたいことや、今日の出来事なんかをつらつらと留守電相手に話していたのだ。
恥ずかしい。いや、もう、恥ずかしくてもなんでもいいや。悟と会うのも、どうせ今日が最後なんだから。
「こんな遠くまで、なにをしに来たのさ」
「悟に会いに来た。卒業式をしよう。悟の卒業式だよ。……はい、そこ。ちょうどいいね。桜の木があるね。その下に立って」
悟を誘導する。
彼のすぐそばに、花がほころび始めた桜の木があったのだ。
往来ではあるけれど、かまわない。
桜の季節と呼ぶには、やや暖かすぎる気候だけれど、白いシャツにジーンズ姿の悟はすっきりとして、門出にふさわしい雰囲気だった。
わたしは、肩から鞄を下すと、ブレザーの奥へと虐げられたワニ柄の筒を出した。そして、筒から卒業証書を取り出す。
卒業証書の威力だろうか。わたしと悟の間に、厳粛な空気が漂い始めた。
わたしと悟が通った北山高校は、偏差値も高く、自由な校風で有名だ。
悟は、上の二人のお兄さんたちが卒業した北山高校に行くのだと、中学生の頃から勉強を頑張っていた。わたしも、悟と同じ高校に通いたいと、親に家庭教師をつけてもらい、勉強した。
高校入学後、悟は勉強だけでなく、生徒会の役員としても働き、それはそれは充実した高校生活を送っていたのだ。
その悟が、卒様式に来なかった。
いや、来られなかったのか。
そんなバカな話があるかって思った。
だから、わたしはここに来たのだ。
彼に卒業証書を渡したかったのだ。
「卒業証書 住田悟殿 高等学校の課程を終了したことを証する。あなたは3年間真面目に勉強に励み、生徒会を盛り上げ、みんなの学校生活を彩ってくれました。購買のおばさんからは、住田君はいつもコロッケパンを買いに来る、との情報をいただいています。悟君、大学生になったら、コロッケだけでなく、メンチカツや焼きそばパンも食べてくださいね。以上、北山高等学校 校長 山田一。はい、おめでとう」
校長先生の真似をしながら、悟に渡す。悟が微妙な顔で受け取る。
「うわっ。なんだこれ。渚の卒業証書じゃないか。おまえ、マジックで自分の名まえの横に、ぼくの名前を書いたな」
「細かいことは気にしないで」
「気にするよ。本当に、なに書き込んでいるのさ。こんなの見たら、おじさんもおばさんも、驚くぞ」
「だから、これは悟にあげるんだってば」
「いらないよ。ちゃんと、持って帰りなよ」
「真面目だな」
ぶつくさ言うと、悟が小さく笑った。このやりとり、懐かしいな。
「悟、卒業おめでとう」
「渚も、おめでとう。渚、陸上部で頑張っていたよな。他校の生徒会のやつらから、北山高校のスプリンター王子に会わせろ、って何度も言われたぞ」
「王子かぁ。その詐欺話、他校まで広まっていたのね。たしかに、身長は169センチで、髪も短いから男の子に見られるのかもしれないけど。女子なのに王子ってなんだろうね。みんな物珍しくて、どんな女か見たくなるんだろうね。でも、わたし、悟に他校生を紹介された覚えないけどな」
「……別に、紹介する必要ないだろう」
「まぁ、そうね。知らない人だと会話にも困るしね」
悟が目をそらす。
あぁ、そっか。
知らない同士だけでなく、知っている人同士だって会話に困る関係ってあるよね。
悟にとってわたしはそうなのだろう。
たしかに、ふたりでこんなに話したのは久しぶりだ。
「悟がこの卒業証書がいらないとなると、さて、どうしようかな。卒業式なんだし、なんかそれっぽいものあげたいんだよね。あ、これいる?」
証書が入っていた、筒を指す。
「いらん」
「ですよね」
どうしたものかと思ったときに、ふとスカートのふくらみに気がついた。
ポケットからコサージュを出す。
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