友人
根上真気
第1話 食えない作家
小説の断片のようなものを私は今読んでいる。
私には小説を書いている友人がいて、彼は私に自分が書いた小説を、それこそ書きかけの未完成のものまで見せてくるのだ。
私は文学の事などさっぱりわからない。だから批評も何もあったもんじゃない。それに私は、人のやった事に対して何もとやかく言いたくはない性質である。
しかし、私の文学の疎さとその性格がかえって彼には安心なようで、いつも私と会う度に、彼は自分の作品を私に見せてくるのである。
ーーーーーー
僕はとかく、誤解をされやすい人間である。
僕の様々な言動、表現、そういったものから、よく自分にとっては不本意な解釈をされがちである。
そして、その度にいつも思う事がある。
なぜ「さじ加減」というものがわからないのか、と。
例えば、僕は絶対和食派だ、と言ったとしよう。
しかし実際は、ナポリタンも食べるし餃子も食べる。
何もおかしな事はない。当たり前である。
かといって、絶対和食派、というのも嘘ではない。
つまりそういうものではないだろうか、という事である。
さじ加減。もしくはファジーな解釈、とでも言おうか。
しかし、一方で、何をどう思おうがその人の自由だ、とも思う。
所詮は各々の主観である。
僕が今言っている事だって己の主観に過ぎないだろうし。
ただ、僕はそれを「自覚」しているつもりである。
つまり何が言いたいかというと、決め付けないで欲しいのである。
わかってもらえなくてもいい。
ただ僕は、決め付けられたくはないのである。
僕をどう思おうが勝手だが、それを押し付けないで欲しいのである。
僕は人に対して、決め付ける事、押し付ける事は一切しない。
決め付けられる事は哀しい。
押し付けられる事は苦しい。
僕は今、怒っている。
それは自身の事だけではない。
こう言うと偽善めいて聞こえそうで嫌なのだが、むしろ自分以外の本当に侘しく哀しい人達の苦しみで、である。
だからハッキリ言おう。
平気で人を決め付け押し付けてくる人間は、哀しみも苦しみも知らず人の痛みもわからない馬鹿である。
しかし、残念ながらそういう人間程、道の真ん中を堂々と歩いているものである。
優しい人は、道の端っこを慎ましく歩いている。
本当に、世の中どうかしている。
徒党を組み、決め付ける。
暴者が優しき者に押し付ける。
悪だ。狂っている。まるで理不尽な暴力である。
これは僕の決め付けではない。真実である。
馬鹿共の自覚なき固定観念。
その中で弱い人達は抑圧されるしかないのか。
抑圧はディストルドーとタナトスを促進する。
弱い人達の未来。
それは自覚なき固定観念の破壊。
このカタストロフィー。
これは僕の使命である。
貧しき凡才の命を懸けた最後の戦いである。
もし今、僕という人間について様々な議論を交わしている人達がいたならこう言いたい。
僕という人間について語り合うのは全く無意味である。
おそらく誰の言うどれにも当てはまらない。
だから無意味である。
時間の無駄である。
もっと他に、各々の生活の中で考えなければならない事がたくさんあるだろう。
したがって、僕の事はすぐにでも忘れて二度と思い出さないでいただきたい。
こんな事を自ら言うのは、なんだかいやらしい。
卑屈に思われるかもしれない。
しかしこれもまた、残念ながら僕という人間の一つの側面だ。
しかも僕は至って冷静だ。
そんな自分を見ている自分がいる自分を見ている自分がいる自分を見て......。
とにかく、なんて事はない、それだけの事である。
ーーーーーー
......ここでこの小説は終わっている。
友人は「実はこれを書いて死のうかなとか思ったんだよね」と言って苦笑した。
でもそんな自殺もなんだか急に馬鹿らしくなって興醒めしたらしい。
彼は自分の原稿を見ながら「こういうのを笑える物語に作るには一体どうすればいいのかなぁ」と言い、真剣に悩んでいる。
彼はもう三十一になるが、未だに全く芽の出ない、売れない作家である。いや、食えない作家である。もしくは、自らの夢に食われている作家である。
彼は私の一番の友人である。
ペンを置くと、まるで子供のような、おもしろい男である。
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