第4話 ある主人公の日常 ~現在・後編~
「もう孫ちゃんを許してあげたら?」
いつも通りいきなりやってきて、うちの冷蔵庫に惣菜のお裾分けを入れた義母が、珍しく真面目な顔で宣った。
「なんで? 許すも何も、私は怒ってもいませんよ?」
「なら.....っ」
「けどっ! 本人が言ったんです。母親がいらないと。私がいるだけで不幸だと。それを理解してあげただけですよ、私」
アレコレ話を聞き、義母は呆れたかのような顔をした。
どうやらあの娘、事の経緯を自分に都合良く改竄して義母に話していたらしい。
そして何時も夫の実家に入り浸り、御飯などを要求しているのだと聞き、私も呆れ返る。
うちと義母宅は歩いて五分もかからない距離。そんなとこでのうのうとしてお世話をされていたとは、我が娘ながら呆れるほかない。
それでも義母は、女の子が一人暮らしは危ないとか、まだ子供で家事もままならないだろうし、可哀想だとか、感情論に訴えてくる。
だが、私も十六歳で一人暮らしを始めた身だ。ちゃんと成人した娘が独立して暮らすのはおかしいことじゃない。
家事がままならないのも努力するしかない。これから先、自力で生きて行かねばならないのだ。
私は子供らが自分の事は自分でやれるよう、洗濯も洗い物も、時には食事の仕度すら教え込んできたし、何時までも親がいる保証もないのに二十歳過ぎた娘が出来ないなどと泣き言を言っても困る。
そう理路整然と返し、私は娘を見限っただけであって見捨てた訳ではないと義母には言っておいた。
何か起きれば助ける事は吝かではない。本人にどうにもならないのだと判断すれば手を貸そう。
もちろん、誠心誠意のこもった謝罪が必要ではあるが。
本人が本当に悪いことをしたと反省して謝るのなら、知り合い程度の助けはしてやると。
「知り合い程度?」
首を傾げる義母に、私はキッパリいった。
「覆水盆に返らず。起きた結果を変えるのは不可能なんです。もし謝ってきたとしても、私は二度とアレを娘とは思えません」
私のあまりに冷淡な言葉で、義母は押し黙る。
「今の私に出来ることは、二度と取り返しのつかない事も世の中にはあるのだと、アレに態度で教えてやることぐらいです」
取り付く島もないと感じたのか、義母は言葉少なに帰っていった。
そしてその後、再びやってきて、帰宅した夫から余計な事を言うなと叱られる義母。
夫は私の性格をよく知っている。今回のような事は初だが、私が如何に不義理や不正を嫌っているのかは知っていた。
その昔、そこそこにやんちゃだった夫はバイクを盗んで乗り回したという話を、不用意にも私に言ったのだ。
『は.....?』
と、嫌悪も顕に顔を歪めた私に、夫は底知れない恐怖を感じたという。
過去には万引きしようとした上の娘を烈火の如く叱りつけ、泣いても正座させて延々説教していた私の姿にも、とてつもない恐怖を感じていたらしい。
『子供のしたことだから.....』
などと口を挟もうとして.....
『だからこそ、今のうちに分からせておかないと駄目なんでしょっ! 今は親が恐いからしないって理解するだけでも良いっ!! とにかく人様のモノに手を出すのは言語道断なのだと思ってくれれば良いっ!!』
何故に駄目なのかは、歳を重ねれば自ずと理解出来るだろう。しかし、やってしまってからでは遅いのだ。
やったら私に叱られる、あるいは怒られるからしない。そう思って貰えるよう、私は娘らが小さい頃は何度かひっぱたいてでも娘らを叱った。
大きくなってからは叩いたことはない。大抵の言葉が通じるのだ。話せばわかるだろう。そう思っていた。
分からない者もいるのだと、自分の姉の件で骨身に沁みていたはずなのに忘れていた。
本当にまさかの出来事だったのだ。自分の娘が脳内御花畑だったとは。
そういったアレコレを知るため、私の静かな怒りを感じた夫は、あの日、娘を謝らせようとしたのだろう。
姉弟とすっぱり縁切りしている私を夫は知っている。
まあ、結果は大失敗に終わった訳だが。
そこから入った亀裂は修復の仕様もない。私自身も、娘が姉貴と同じメンヘラ気質だと気付いてからは、諦めの方に気持ちが傾いていた。
過去に散々、母と姉貴の不毛な会話を見てきたからだ。
如何に母が切々と言い聞かせても、姉貴は理解示さず仏頂面をする。
アタシ悪くないもん、と、今の娘と同じ事を呟いていた。
常に自分が正しいのであり、周りが悪い。なんで自分言うとおりにしてくれないの? 否定するの? 訳分かんないっ!!
苦笑いも浮かばなくなるくらい眼にした光景だった。
だから私は、そういった理不尽を人に押し付ける人間が大嫌いである。
姉貴はもちろん、借金の尻拭いを義父や私にさせようとした弟も。前科者に落ちぶれ、薬に溺れる義父の弟も。
どうしようもない人間らに囲まれて育った弊害かもしれないが、私は私の家族に害なす者は全て排除したい。それが実の娘であろうとだ。
まして、上の娘は私の娘であることをやめた。ならば、他人も同然。本来なら排除対象だが.....
夫や義母を慮り、人並みの手助けはすると言っているに過ぎないのである。義母には、それが理解出来ないらしい。
縁切りしたって、親は親でしょう? と。法的にはそうだろう。だが人間は感情の生き物なのだ。
私が先に他界したなら夫の好きにしたら良いし、夫が先に他界したなら、今回の事を理由に上の娘を相続排除して、下の娘に家の全てを生前贈与するつもりの私。他人にやる財産はないからね。
私の中ではすでに過去のこと。今の上の娘は、どうでも良い他人である。普段は全く思い出しもしない。
我ながら薄情とは思うが、この感情の切り換えの早さを気に入ってもいた。おかげで過去には常に最小限の被害で済んでいる。不幸中の幸いだ。
他にも、子供がいたため近所付き合いや学校の色々もあり、まあ、中には人間性のよろしくない人達もいる。
そういった人達をパキッと無視やスルーで凌いできた自分は、たぶん周りから奇異の眼で見られていただろう。
他の人間からどのように見られようが、心の底からどうでも良い。
普通の人には普通に接し、おかしな人には、あからさまな無視で返し、とにかく関わりたくないを全面に押し出していた。
仕事柄、知り合いは多い。仕事が絡むなら愛想笑いや当たり障りない対応も出来る。
最低限の付き合いで、ランチやカラオケをする程度。
しかし、プライベートで家に招きたいと思うような友人は、結局一人しか見つけられなかった。
四十年らいの友人は、今、隣で笑っている。
「まあ、娘ちゃんもやり過ぎたよね。お母さんを舐めてたのかもだけど、無知って怖いわぁ」
クスクス笑う友人につられ、私も自嘲気味に笑った。今でこそ真ん丸になったが、昔の私は無駄に正義感が強く、いらぬ揉め事を起こしては人間関係に軋轢を入れてきた。
しかも、姉貴を殴ってからタガが外れたのか、人間性のよろしくない奴は殴ってでも正すべしっと、容赦なく殴り合いをやらかしてきた黒歴史もある。
今思えば、お前こそ何様だ、勘違いもいい加減にしろと叫びたい。
寄るな、触るな、声かけんなっと、ツンツンだった針ネズミ時代もあった。
そんな私の黒歴史を一部始終知っている友人は、したり顔。今でも時折顔を覗かせる私の嫌な部分を示唆してニヤニヤしている。
それを知らない娘達。
これまでの私を見ていれば侮るのもしかたない。本当に丸くなって、極楽トンボのような母親だった。
本気で遊び、本気で笑い、全身全霊で娘らに好きを体現していた。幸せだった。
「なのに、こうなるとか。ホント、人生ってままならないものよね」
未だに私は何が娘の癇に触ったか分からない。ほんの一年ほど前までは親子揃って二十四時間爆笑しているような家だったのに。
娘ら二人は何処に行くにも私を引っ張りだし、中高生になったというのに、あちらこちらと私は娘らに振り回されていた。
高校を卒業して一年くらいから急激に上の娘は変わった。どれだけ考えても原因は思い当たらなかった。
はあっと溜め息をつく私を一瞥し、友人は口を開く。それは思いもよらない話。
「上の娘ちゃんさぁ。拗らせたのは、お母さんをライバル視してたからじゃないかなぁ?」
「ライバル? なんの?」
「イラストとかの」
私の顔から、するりと表情が抜け落ちる。
それに苦笑し、子供らが生まれたときも傍にいてくれた友人は言う。
いわく、私は下の子が動き回るようになるまでカット描きを続けていた。当時幼稚園児だった上の娘は、それを見て育っている。
さらには仕事関係の付き合いから、色々なイベントにも顔を出していた。
娘連れでも構わないというイベントにしか参加してはいなかったが、そこで大勢に声をかけられ、差し入れなどを受け取ったり、スケブを頼まれる私に憧れたのではないかと友人は語る。
「本人も覚えてるのかは分からないけどね。私は見たよ? アンタの横で眼を煌めかせてはしゃいでいた娘ちゃんを」
そう言われれば.....
下の子が動き回るようになって上の子も眼がはなせないため、いつの間にかそういったイベントからは、しだいに足が遠退いたっけ。
つまり、私とイベントに参加していたのは上の娘だけ。
だから絵に興味を持ち、それを学ぼうと専門学校へ入学したんじゃないかと語る友人。そして学校で現実を知り、打ちのめされた八つ当たりが私に来たのだろうと。
少し切なげに眼を細め、友人は苦笑する。
「現実は厳しいからさ。お母さんと自分の違いに憤ったと思うよ?」
私の昔の絵描き道具を勝手に持ち出しては絵を描いていた娘。コピックや、各種ペン先まで持っていき、使い方が分からないと泣いていた娘。
水彩色鉛筆の使い方を教えてやろうと思ったら、今はデジタルでフルカラーの絵が描けるのよ、お母さん遅れてるぅっ、と生を言っていた娘。
蛙の子は蛙だと笑っていた夫や義母。
あれらが全て私の影響?
考えもしなかった友人の言葉だが、言われてみれば思い当たる節もあった。
でも.....
「覆水盆に返らずだよね。二十二年間、娘ちゃん達見てきたけど、上の子はアンタの子にしては温いなぁと思ったよ? 下の娘ちゃんは昔のアンタに、そっくりだわ」
そうだ、起きた出来事は変えられない。それを変える努力もしなかった娘は、母親を失った。それだけの話である。
倫理観に悖ろうと、人の話に耳を傾けて己を顧みることは出来よう。人としての気持ちがあるなら、その行動で誰かにかかる迷惑を察せよう。
それがどのような結果を招くのか想像もつかないのであれば、人間として終わっている。
一時の反抗だったのかもしれない。親だからと甘えたのかも。だが、それは人としての一線を越え、私の逆鱗に触れた。
二十歳過ぎな娘のやって良い行動ではない。そういった不義理や恩知らずな真似をしてはいけないと、ずっと言い聞かせてきたのだが、全く届いていなかった事に、私は脱力感を禁じ得ない。
育ててやった恩だの義理だのは夫が叱るときによく娘らに言っていた。
その都度、私は反論したっけ。
『子供を産んだら育てるのは当たり前っ! 社会に送り出すまでが親の努めだ、それを恩とか馬鹿じゃないのっ?!』
夫は古い人間だ。そういった傲慢な部分を子供らに背負わせないよう、私は常に叩き潰してきた。
子供には自由に生きて欲しい。親の面倒とかとは無縁で、幸せに。
自分が家族で苦労を重ねてきたから、娘らには同じ思いをして欲しくはなかった。
それが当たり前だと思っていた。子供を育てることは恩に当たらないと。
しかしひょっとしたら上の娘は、その言葉を額面通りに受け取ったのかもしれない。
育てるのは親の責務だが、愛し慈しむのは別だ。親の愛は無償、しかしそれに刃を返されれば、ズタズタに裂けた愛情は枯渇する。
何をしても無条件で愛されるとでも思っていたのだろうか。無条件で許されると?
ふざけた話だ。
辛辣に眼をすがめた私に、友人も意味ありげな笑みを浮かべる。
「ま、下の娘ちゃんも就職したし、これで子育ても一段落っしょ。好きなことして、まったり暮らしなよ」
「そうだね。取り敢えずお腹空いたし、回るお寿司でもいこうか」
「奢り? スレたてて安価やっても良い?」
「ふざけんなっ!!」
あっはっはっと高らかに笑い、友人の車は夕闇を走る。
これが私の生きた道。
後悔はないが、悔いの残滓がポタポタ落ちた。
そんな道は、まだまだ長いレールを私に用意している。
出来るならなるべく悔いの少ない人生を。
そう祈らずにはおれない、人生終盤の私だった。
二千二十二年 七月二十二日 脱稿。
美袋和仁。
~あとがき~
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
いきなり、ふっと頭に浮かんだ話で、ついつい書いてしまいました。
恋愛ものを読んでいるとテンプレのように出てくる頭お花畑な人達。もし、こんなんが周りにいたなら、貴女はどうしますか? 的な発想で書きました。
ワニなら、こうなるだろうなと。
脳内で、街角ロンリネスを再生しつつ、これにて終了です。後日談的なモノの予定はありません。
皆様、既読ありがとうございました。
これが私の生きた道 美袋和仁 @minagi8823
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