イルカに劣る

eLe(エル)

イルカショー

 いつから自分が主人公だと錯覚していたのだろうか。それもそのはずだ。二四年も生きて死なないんだから、自分は選ばれし人間と勘違いしてもおかしくないはずだ。


 世界七十億人という途方もない人口は、つい二十年前まで六十億人だった。十億人増えたが、その代わり十一億人が死んだ。どこかで聞いただけの数字だ。だが、俺はその十一億に含まれなかったという事実だけを都合良く解釈している。


 都会の強烈なビル風を浴びながら、まだ買って二年しか経っていないれたスーツを引きるかのように歩いていた。クソみたいだと思っていたサラリーマン生活は、一ミリも期待を裏切ってくれることなくクソだった。


 テンプレみたいなパワハラ上司、大学生ノリが抜けない痛い同期、ネチネチ嫌味を言ってくる先輩に、大卒でなくても出来るような書類整理。周りに歩いてるオフィスレディだかオフィスジジィだか、そんな奴らがロボットみたいな顔をして並走しているのを見ると、滑稽で仕方ない。が、それは自分の生き写しだってことに気がついて、余計気に食わない。

 こんな憎まれ口は声に出さないが、結局俺が一番に厨二病をこじらせて、この世に幻想を抱いたまま生きているのかもしれない。いいや、構うもんか。脳内でどれだけ人をさげすもうが、誰にも迷惑を掛けていないのだから。


 昼食時間中は誰とも会いたくなかったから、オフィスを出て少し遠いコンビニのイートインスペースで食べた。代わり映えのしない食事だが、コンビニ飯は確かに美味い。いつ何処でも食える変わらない味に、ひそかにシンパシーを感じていた。

 内心どれだけ文句を垂れても、事務所に戻ればまだ二年目で新人の皮も脱げない俺は、「はいそうですね」と肯定しか出来ない、素敵なサラリーマンを演じてしまうのだ。


 缶コーヒーを片手にエレベーターに乗った。俺はこんな時思う。急にこのエレベーターが停止したり、突然落下して大事になったら午後の仕事はやらなくて済むだろうか。どれくらいの人が心配してくれるか、保険金はどれほどになるか、なんて。

 でも、現実そんなことは起こらない。これまで生きてきて不都合なことは全て想定の範囲内だった。戦争に巻き込まれたり、食うものが一切なかったり、殺人未遂に遭うこともなければ、愛され、恵まれ、自分のやりたいことをやりながら生きてきた。

 受験の時だって落ちる恐怖はあったが、結局全て成功した。俺は才があって、成功する人間なんだと疑わなくなっていた。それもそうだ。だってこれは、俺を主人公にしたドラマなんだ。俺が見ている景色は、俺にしか分からないし、俺視点でのドラマにしかなり得ない。こんなところで主人公である俺を不幸にしたり、無意味に殺したりしたのなら、著者か脚本を担当した奴は一生SNSで叩かれて終わりだろう。


 故に、俺は主人公で、この先も順風満帆に生きていく。老衰まで、尊敬されようと恨まれようと、すこやかに生きていく。今この瞬間、サラリーマンとして苦しんでいるのも、伏線としてシナリオに織り込み済みだってことだ。


 そうやって無理矢理、納得して生きていた。なのに、心のどこかで納得しきれていないのは何故だ?


『沖縄行かね?』


 急に入ったメッセージ。同期の米沢よねざわからだった。唐突過ぎる。


『なんで急に』


 メッセージを返した瞬間に付く既読。すると、着信があった。


「はい」


「行こうぜ、沖縄」


「別に良いけど、なんでまた」


「いや、行きたくなっただけ。てか、もう少ししたら連休だろ。暇じゃね?」


「まあ、予定はないけど」


「うし。そしたら今日代理店行って決めようぜ。中西と丹波も誘ってるから」


「あぁ、分かったよ」


 切れる通話。短く溜め息をついた。別に彼らとの旅行が嫌なわけじゃない。むしろ気分転換にはなるだろうし、近頃は金を使う用途も趣味もない。

 それでもこの人生が豊かになる程の旅行とは思えなかった。いっそのこそその飛行機が落ちてでもくれたら、クライマックスにはなるのだろうけれど。もし俺が脚本家なら、そんな展開胸糞なだけで面白くもなんともないから、きっと無事に到着するんだろう。


 *


「で、どこいくんだよ」


「沖縄っていったら美ら海だろ。海洋博公園でイルカショーやってるってよ」


 同期の丹波は来られず、中西と米沢、俺の三人で沖縄旅行。華はないが、女子がいなければそれだけトラブルも起こらない。野郎万歳ばんざい。それはそれは良い旅になるだろう。


 空港についてから車で二時間。ドライバーは俺。横で米沢が帰り道、どこぞの道の駅に寄りたいだとか、めっちゃ良い景色の島があるとか、そんなことを言っていた。


 ふと気になってたずねた。


「なんでイルカショーなんだ」


「いや、水族館と言ったらイルカショーってだけ」


「お前本当、思いつきで言うよな」


 が、正直イルカショーは嫌いじゃない。いろんな魚が泳いでるのをただ眺めるよりは、ペンギンやら白熊が動いてるのを見る方が楽しい。


 俺は運転しながら、色んなことを考えていた。いや、具体的なことは考えていなかったかもしれない。ただ同期の友人たちに話を合わせて、盛り上がったふりをしていた。

 好きでピエロを演じてるわけじゃない。俺は主人公なら主人公らしく、二年で課のエースとして抜擢されるとか、この夏に彼女が出来て二人きりで沖縄に来るだとか、そういう未来も想像していたから。まあ、だとしてもどうせ変わらない。


 今が、何をしてもつまらなかっただけで。それは実際、沖縄に来ても変わらなかった。


 *


 到着してイルカショーの会場に入ると、そこは水族館とは別で無料だった。まだ始まるまで時間があるようで、米沢は迷わずど真ん中の最前列を陣取った。


 屋外の会場、吹き抜ける風と潮の匂い。本州から見る海とは違う色の海。大きな水槽は真夏の太陽を浴びて輝いていた。


 こういうイベント事には弱い。期待していないと言いながら、結構面白がって、一番ハマってしまうのは俺の弱みだ。


 せわしなく観光の本を読みながら喋っている米沢に対して、中西は人数分の飲み物とつまみを持ってきてくれた。気が利くじゃん、優しいね。俺だけビールじゃなくてソフトドリンクなんだね。


 そしてショーが始まった。そういえば物心付いてからイルカショーを見るなんて初めてじゃないか。

 思ったよりも大きいイルカの姿を見て、やはり自分の記憶の中のイルカショーが劣化しているのに気づく。飼育員が進めるお決まりの挨拶と、それに合わせて動くイルカ、会場の拍手。少しずつショーが盛り上がりを増していく。


 米沢はそれを、食い入るように見つめていた。中西も楽しそうにビールを呷りながら。けれど、俺は真顔だった。


 イルカ達は、飼育員の手信号一つで複雑な動きをして見せる。跳んで、回って、水しぶきを上げて俺たちをびしょ濡れにさせたり。


 それでも俺は、ショーが進む度、会場から遠ざかっていくような感覚にさいなまれた。まるで一人だけ俯瞰で見てるみたいな。イルカを見ながら宿った想いは、お祭りの綿飴わたあめのように膨らんでいく。


 それの理由を言えば、馬鹿だと思われるだろう。口にすれば炎上するだろう。けれど、思わずにいられなかった。


 なんであんなに賢いイルカが、どうして人間に従っているんだ、って。


 お前ら、分かってるのか。観客の全員。馬鹿みたいに笑って、イルカが飛び跳ねる度に、綺麗にリングを潜る度に、すごいね、偉いねって。イルカはそうする事が生き甲斐であるかのように決めつけて、その意図を汲もうともしない。


 それは、ペットの犬が芸をするのと同じかもしれない。けれど、イルカの一挙手一投足には確かな意思が感じられた。イルカ達は、食べるために、生きるために確かに芸をこなしている。複雑で、一朝一夕いっちょういっせきではなし得ない芸だ。それには飼育員の技術も関わっているだろうが。


 俺は専門家じゃない。イルカの知能がどれだけで、もっとすごいことができるのか、他の水族館の方が優秀なのか、そんなことは知らない。


 けれど、今目の前でショーをしているイルカを見て、愕然がくぜんとしていた。まるで彼らから嘲笑あざわらわれるみたいに、


『お前らはこんなことで楽しめるんだろ?』


『跳ぶだけで飯がもらえるなら楽なもんだよ』


『笑っちまうぜ。猿の方が賢いよな』


 なんて、言われてるんじゃないか。


 気持ち悪い妄想かもしれない。けれど、違う。俺たちはただ、人間という種族に生まれて、偶然にイルカを従わせているだけなんだ。


 近代文明を自由に操る、高度な動物。だからなんなんだ? こんなクソみたいな生活で、地球を支配している。我らこそはサラリーマンですなんて胸を張って言えるわけもない。人間という動物として尊敬されるのなんて、ほんの一握りのアスリートやアーティストだけだ。


 妄想のイルカの言う通りだよ。俺たちは、イルカに笑わされてる人間は、猿以下だ。苦労して働いた金。本心を騙して愛想笑いで掴んだ金。時には自尊心を踏みにじられ、大切なものや時間さえも投げ捨てて得た金。それを、なんの惜しげもなくイルカ達に差し出してる。


 生きるためではなく、自分たちの娯楽、快楽のためだけに。それが悪いとは言わないが、ただ生に従順な彼らを前にすると、全てが見透かされたようで心細かった。


 いや、なんなら無料だぜ、これ。俺たちはイルカのショーを見てあげているのか? 違うだろ。俺たちがイルカ様に、施されているんだろ。こんな馬鹿にされることはない。って、悔しいとかそういう気持ちじゃないんだ。この感情は一体なんだ。


 泣いているのか。


 気色悪い。けれど、俺は確かに目を潤ませていた。必死にこらえる。感動なんて言葉から遠い俺が、どうして。


 俺は、満たされないから悲しいのか。イルカが羨ましくて泣いているのか。観客が馬鹿だから可笑しいのか。この世界が歪んでいるから苦しいのか。


 そのどれも分からなくて、ただイルカ達を眺めていると、涙が一粒こぼれていた。目頭が熱い。泣くのを必死に堪えて、空をあおぐ。喉の奥を締めるように力んでしまう。


 ようやく我に返って、俺は隣の二人の顔色をうかがって、必死に泣き止もうとした。けれど、感情はズタズタだった。


「どうした?」


「いや、いいショーすぎた。海も綺麗だから、感極かんきわまっちゃったよ」


「お前、そんなタイプだったっけ?」


 流石に泣いたのを丸ごと誤魔化せなかったが、その場のノリで解決。当たり前だよ。こんな気持ちで泣いてたなんて知られたら、生きていけない。


 賢く手を振ってお別れしてくれたイルカに、俺は目も合わせられなかった。


 主人公?


 残念。ただの脇役だったね。知ってたよね。イルカにさとされた気分だった。イルカを主人公にしたら、俺はモブでただの通行人A。モブなら死のうが生きようが知ったこっちゃない。


 いや、違うか。そもそも、俺主人公のこの作品が、駄作なんだ。


 何の盛り上がりもない、勘違いしちゃった人間の話。だから今満たされず、真に苦労もせず、中途半端なぬるま湯が不快だって嘆いてるんだろ。


 きっと百年後くらいに宇宙人が拾い上げて、面白い異世界人がいたもんだって笑うのか。もしくは俺の記憶データが動画化されて、ショートムービーに編集されてバズるかもしれない。タイトルは『イルカに馬鹿にされる人間』で。


 そもそもイルカは俺たちなんて気にも留めていない可能性だってある。皆が皆、俺みたいに性格が悪いわけじゃないし。


『ありがとう、僕らのショーを見にきてくれて』


 なんて、健気けなげなイルカもいるだろう。いるだろうけれど、前提は変わらないんだ。


 俺たち人間は——少なくとも俺は——イルカに劣ってる。


 劣ってるから無価値です。自殺します。と、そうはならない。


 でも、その事実は重かった。井の中の蛙、大海を知らず。自分が優れていると勘違いしてる奴ほど、滑稽なものはないんだから。


 じゃあ、この先どうする?


 これを喜劇に変える為に、血を滲むような努力をするか?


 米沢は変わらない顔で言う。


「沖縄そば食べに行こうぜ」


「あぁ」


「大丈夫か? 具合悪い?」


「いや。ちょっと、イルカの余韻がすごくてさ」


「そんなにか?」


「あぁ」


 どうも、ならないよな。結局どんなに着飾って、達観たっかんしたつもりでも、主人公だろうがそうでなかろうが、俺は俺でしかない。そんな思い付きの改心で人生がいろどられたら、俺はサラリーマンなんかになってないんだよ。イルカになったって、こんなんじゃ尊敬されることもないな。


 今できるのは、少なくとも人間として尊厳そんげんあるまま、死ねるように。


「仕事のモチベが上がるね」


 苦しく、生きるしかない。



 終

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