第二十二話 とっても高い買い物
千早とのやり取りを通して、研究者たちは万色の巨竜の知能は人間の十歳児程度と推定した。
文字を教えることができれば、会話も可能かもしれないと期待されるも、野生動物であるため実験の結果野生に帰れなくなるのではないかと危惧された。
なお、千早は暴走し始めていた。
「どららん、テイクオフ」
ボイスチェンジャー越しでの指示に、どららんが翼を広げて飛び上がる。傷もかなり癒えており、飛ぶこともできるようになっていた。
もう自分で餌も取れるだろう。
別れの時間はもう間近。千早は名残惜しく思いながら、空を飛ぶどららんの雄姿に拍手を送る。
どららんの関連動画はSNSやネットニュースにも取り上げられ、新界生配信のメインコンテンツになりつつある。
稼ぎ頭であるどららんの動画が撮れなくなるのは新界生配信としても痛手なようだが、野生に返すまでのドキュメンタリーだと思えばと納得しているようだった。
未練がましいのは千早くらいである。
空を飛ぶどららんを見あげて、千早はサイコロンに持たせたカメラを掲げる。
「どららん、カメラテイクオフ」
どららんはすでにカメラを認識している。動画を撮る機械であるとまでは理解していないが、おおよその形状からカメラかどうかを判断しているようだ。
アクタノイドのカメラレンズを勘違いして榛畑の愛機『天狗』が持ち上げられた回は切り抜き動画まで作られたネタ回となった。
別れは近く、思い出を振り返って千早は早くも涙ぐむ。
今回はどららんにカメラを持たせて沖合の島に飛んで行ってもらうというものだ。カメラは赤外線カメラも付いた一体型である。
持って行ってくれるかどうか不安だったが、どららんはすっと高度を下げると着陸することなくサイコロンが掲げるカメラを前足で掴み、高度を上げる。
どららんがサイコロンの頭上を旋回する。
「ごー」
千早はサイコロンを操作して沖合の小島を指さした。
どららんはサイコロンの頭上を三周すると、小島へと飛んでいく。
このまま戻らなければ、それが別れとなる。カメラの方は無線で映像を送ってくれるため心配ないが、千早のメンタルの問題は残っていた。
サイコロンの内蔵スピーカーを切って、千早はどららんを見送る。
「どららん、また会う日、まで……ぐすっ」
涙をぬぐい、ティッシュで鼻をかむ。
そして、どららんは――二時間後に戻ってきた。
カメラをサイコロンの前に置いたどららんがテントに戻って丸くなる。寝入るつもりらしい。
「……あれ、この子もう野生に帰るつもりないんじゃね?」
榛畑が空気も読まずに誰もが考えていることを呟いた。
「ひ、ひとまず、野生に帰す手順みたいなのを大学教授に聞いてみます」
マネージャーが小さく笑って言う。
千早はサイコロンをどららんと同じテントの下にいれ、弧黒連峰との壁になるよう配置する。
一息ついて、千早はサイコロンの接続を切った。
「よ、よかった……よくない?」
どららんが野生に帰らないのはそれはそれで問題になる。
いまはどららんのおかげで万色の巨竜の人気が高まっているが、いつまでも続くブームではない。動画による収入も下降していくはずだ。
新界生配信もどららんだけに関わってはいられない。視聴者が飽きない内に、また別の撮影対象を探したり企画を立ち上げたりするだろう。
千早は掃除機を手に取ってアクタールームの掃除を始めながら、考える。
どららんを野生に帰す日が来るのは間違いない。それがいつになるか分からないのが問題なのだ。
今は新界生配信の援護もあり、密猟者が狙っていたとしても手が出せない。
しかし、新界生配信が撤退して千早とどららんだけになれば、良い的だ。
「……守らないと」
どららんだけでなく、海樹林海岸を狩場にしている他の万色の巨竜も保護しないといけない。
千早はモニターを振り返る。
「どららんが、くれたお金……よし」
どららんの動画収入の使い道を決め、千早は掃除機を壁に立てかけてスマホを取り出した。
貯金は八桁。これだけあれば、どららん達万色の巨竜を保護するための一手が打てる。
狩場である海樹林海岸を見下ろす狙撃地点、弧黒連峰を購入して私有地にしてしまうのだ。
いくらかかるのか、後いくら稼げばいいのかと覚悟を決めながらアクターズクエストで方法を調べる。
どうやら、新界資源庁に購入金額を提示したうえで打診し、他に購入希望者がいれば競り合うことになるらしい。
過去、新界の土地を購入した例はいくつもある。個人レベルでも、あちこちに家を建てている民間クラン『新界ツリーハウジング』のメンバーが個人名義で土地を購入していた。
だが、千早のように連峰を丸ごと買おうとする個人アクターは例がない。
千早が見つけた和川上流山脈のレアメタル鉱床に関しても、ユニゾン人機テクノロジーが周辺の土地を買っただけで、山脈を丸ごと買ったわけではない。
弧黒連峰を丸ごととなると、とてもではないが数千万円で買えるはずがなかった。
「だ、ダメもとで……」
買えないのならばそれでいい。千早に競り勝った者に万色の巨竜の保護をお願いすればいいのだ。
千早は二千万円で弧黒連峰の東一帯を購入したいと新界資源庁に打診した。
彼女は何も知らない。
弧黒連峰に所有者がいない理由も、資産的価値も、地政学的な意味合いも。
購入の打診が、何を刺激するのかを。
その日、新界に関わるすべての勢力が弧黒連峰に目を向けた。
事情通は呟いた。
――逆鱗に触れた馬鹿がいる。
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