第十八話 傷ついた巨竜
榛畑の配信を聞きながら、千早は定点カメラを設置するため海樹林海岸の中央部へ向かう。
万色の巨竜が餌場にするのはそこそこ大きな海水溜まり、スポットと呼ばれる場所だ。
スポットは中央部に多いため、千早は慎重に海樹の板状の根を渡っていく。
以前来た時はオールラウンダー一機だったため、ラグやパケロスを相手に奮闘した。
しかし、今回はカメラを各部に配置したサイコロ状の頭のおかげで姿勢制御が良く働くサイコロンだ。新界生配信の電波補助もあり、危ない場面もないまま中央部へ向かうことができた。
これなら、沖合の島もコンダクターの操縦するドローンで空撮できるかもしれない。万色の巨竜の住処だとしたら大発見だ。
「ふふひ、動画収入、楽しみ」
今回も前回の依頼と同じように映像の広告収入が一部入ってくることになっている。
すでに榛畑の生放送は視聴者数三万四千人。万色の巨竜の撮影態勢が整えば倍以上に増えるだろう。
張り切って定点カメラを仕掛けていく。万色の巨竜に警戒されないよう、塗装にもこだわった隠しカメラだ。ちなみに新界生配信が経費で落としてくれた。
サイコロンの安定感は抜群で、平均台のような板状の根をさくさく歩いて、時にはジャンプして枝の上にカメラを取り付けることもできた。
万色の巨竜が主に狙う魚の生態はある程度判明している。それらの魚は藻の類を食べるほか、甲殻類も食べるようだ。
サイコロンにスポットの中を覗きこませる。藻が多く付着した岩や甲殻類が適度に泳いでいるようなスポットを探し当てるたびに、水中カメラを仕掛けた。
「ここに、設置、しました――っと」
新界生配信のマネージャーにメッセージで連絡し、千早は榛畑の配信画面を見てみる。
テントの設営は大部分が終わったようだ。配信も一度閉じるらしく、出演者による告知タイムに入っている。
時間も午後四時ちょっと。流石のサイコロンも夜間に明かりもないなかで板状の根を渡り歩きたくもない。陽が落ちる前にテントに戻るべきだろう。
「夜は、来ないし」
万色の巨竜がカメラに映るとしても明日の朝以降だろうと、千早はサイコロンをテントへ歩かせようとして、サイドカメラの映像に違和感を覚えた。
サイコロンを止めて、千早はサイドカメラをじっと見つめる。
スポットの海面に海樹の枝が浮いていた。枯れ落ちたものではなく、強い衝撃で折れたもののようだ。
サイコロンには頭上を映すカメラもあるので、そちらで海樹を見上げる。
「……血?」
映像処理に優れたサイコロンが勝手にズームしてくれたので、千早はその存在に気付けた。
赤い血が付着している。鳥か何かが誤って海樹に突っ込んで体を傷つけたのかとも思ったが、枝の折れ方が激しすぎる。
枝の折れ方と血痕の形から、血の主がどの方向に行ったかは分かる。血液は固まっていない。
万色の巨竜が鳥を襲った名残かと思ったが、それならそれで鳥の捕食シーンを撮るためにもう少し情報が欲しい。
追いかけてみよう、と千早はサイコロンを進ませた。
血痕は点々と続いている。よほど深手を負っているのか、板状の根の上を歩いているようだ。
血痕の近くに薄い鱗を見つけて千早は考えを改めた。
「……鳥、じゃない? ふひっ」
この辺りで鱗を持つ生物は、魚か万色の巨竜だろう。
サイコロンに拾い上げさせた鱗は二センチメートルほどの楕円形。図鑑アプリに照合させてもこの大きさ、薄さ、形状の鱗を持つ魚は現在確認されていないようだ。
なにより、鱗の構造が妙だった。光に透かして見ると粒子の細かい万華鏡を覗くような複雑な色合いが散っている。この鱗一枚でちょっとした装飾品になりそうな美しさだ。
サイコロンの手でつまんでいる部分は色が統一されている。もしやと思って力の加減を調整してみると、色が一瞬で変化した。
「圧力で、色が変わる?」
構造を解析しないと分からないが、色のついた薄い細胞が何層も重なった鱗なのだろう。圧力をかけると細胞の厚みが変わり、色の吸収や反射に影響して複雑に色を変えるようだ。
「ふひひっ」
周辺で色を変える生物など万色の巨竜の他にない。この鱗は大発見だ。
思わぬ臨時収入に浮かれた千早はさらにサイコロンを進める。研究材料になるこの鱗は何枚でも欲しい。
他にも落ちていないだろうかとサイコロンの各部カメラをじっと注目していた千早はそれに気付いた。
空中に一点、赤い血が浮かんでいた。空中に浮いたそれはわずかに上下運動している。あたかも、呼吸でもしているかのように。
思わず硬直した千早だったが、すぐさま赤外線カメラに切り替えて赤い点を見る。
「ば、万色の巨竜……」
海樹の陰に体を丸めて、サイコロンを警戒しているらしいドラゴンの姿が赤外線カメラに白く表示されている。
赤い血が浮かんでいる個所は万色の巨竜の翼の付け根だ。根を渡り歩いていたのも、飛べないからだろう。
サイコロンが動かないのを見て、万色の巨竜も息をひそめている。
静寂のままにお互いを慎重に窺う新界の様子とは別に、千早はアクタールームでパニックになっていた。
「どうどうどおしよう?」
千早はともかく警戒を解こうと使えるものを探してモニターを見回す。
「あ、餌付け!」
パニック状態のままの短絡的な発想で、千早はサイコロンを操作し――手榴弾を取り出した。
ピンを抜き、万色の巨竜とは逆方向にあるスポット目掛けて手榴弾を投擲する。
ボンっと水中で爆発した手榴弾が水柱を噴き上げ、巻き込まれた魚が降ってきた。衝撃で気絶した魚が海面にぷかぷかと浮き上がっていく地獄絵図を作り出すサイコロンに、万色の巨竜も心なしかドン引きしている。
手ごろな魚をサイコロンに拾い上げさせ、千早は万色の巨竜の方へ向かせる。
注意が向いたことに気付いたのだろう、万色の巨竜が大きく吠えた。ホルンのようなややくぐもった吼え声は独特の圧で空気を震わせる。
スピーカー越しに聞いても背筋が寒くなるような威嚇だったが、パニック状態で機体を通して聞いている千早には届かない。
「ご、ごはんです、よー」
ひょい、と魚を万色の巨竜に放り投げる。
得体のしれない機械から魚を放り投げられて、万色の巨竜は困惑と警戒をあらわに後退った。
食べないとしても、危害を加えるつもりがないと理解してもらえればそれでいい。千早はサイコロンを操作して次々と手ごろな大きさの魚を万色の巨竜の近くに放り投げていく。
警戒よりも困惑が勝っていく万色の巨竜が魚とサイコロンを見比べてから、魚に口を近づけ、くわえてから海樹の裏に隠れた。
赤外線カメラでも海樹の裏は流石に見えない。
はらはらしながら待っていると、万色の巨竜が首だけ出して新たな魚をくわえて引っ込んだ。
よほど腹を空かせていたのか、選り好みもせずに五尾ほど魚を平らげて、万色の巨竜が顔をサイコロンに向ける。
しばし見つめ合い、千早は新たな魚を万色の巨竜へ放り投げた。
パクッと、万色の巨竜が魚を空中キャッチする。
「おぉ……」
どうやら敵意がないと分かってもらえたようだと、ほっとした矢先、メッセージが入った。
新界生配信からだ。
遠方で爆発音と何かが吼える音が聞こえましたが無事ですか、と書かれている。
千早は無事だと返すついでに万色の巨竜が魚を空中キャッチする赤外線カメラ映像を添付した。
即座に、榛畑からボイスチャットが飛んできた。
「野生動物にエサを与えるのは感心しないです」
「あ、はい。ごめん、なさい」
ボイスチャットをオフにしたまま思わず謝って、千早はサイコロンを操作して万色の巨竜に手を振り、テントへ帰還させる。
「……ん?」
サイコロンの広い視界には、姿を消したまま後をついてくる万色の巨竜の姿が映し出されていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます