第四話  海樹の森

 十分な準備を整えて、千早は森ノ宮ガレージからオールラウンダーを借り受けて西を目指す。

 一度、淡鏡の海に寄ってみると、すでにガレージ化が進んでいた。

 バンドと呼ばれる軽ラウンダー系アクタノイドが作業機械として多数導入されており、防衛用の重機関銃や重迫撃砲が設置されている。

 対動物用の防壁も建設が進んでいるようだ。

 遠目から眺めている千早に対して、スピーカーでの警告が飛んできた。


「現在工事中につき、立ち入り禁止です。速やかに退去してください」


 婉曲に、それ以上近付いたら撃つという警告だが、千早はそうとも知らずこくりと頷いて北へ進路を取った。

 海岸沿いを歩きながら、電波状況に注意する。


「やっぱり、危ない、ね」


 北へ進むほど電波が届かなくなっている。淡鏡の海のガレージ化を進めているΩスタイル電工も、まだ電波局を作っていないようだ。あるいは、一般への開放前なのかもしれない。

 おそらくは後者かな、と千早は思う。工事に従事しているアクタノイドが多かったからだ。あの数のアクタノイドを運用するなら回線を太くしなければパケロスで動けなくなる。


 千早は無線子機を設置して、電波強度に注意しながら海岸沿いを歩き、目的の地点に到着した。

 陽は落ちており、これ以上は危険と判断した千早は海岸際に生えている木の根元にオールラウンダーを駐機させる。


 新界の月明かりに照らされて、景色がおぼろげに浮かんでいる。

 木の板を海に突き立てたような、独特な根が沖の方へ蛇行している。海水にどっぷりと浸かった根はどうにも、木の幹からも生えているように見える。


 暇に飽かせて観察していると、面白いことに気が付いた。

 この木は海底で芽吹き、そのまま海面に向かって成長するようだ。その過程で他の木の根と接触するとそれを取り込み、栄養を共有するネットワークを作る。おかげで、他の木が太陽光を遮っていても、根と合流できるくらいに育てば他の木から援助を受けて海面に顔を出せるのだ。

 だが、光合成に最低限必要な日光が得られない場合は育たずに海底で息絶える。そのため、密度は一定以上にならず、空白地帯に海水溜まりが出来上がる。


 千早のオールラウンダーがいるのは海岸地帯。まだ浅瀬のため、海水溜まりを覗き込んでみれば海底が見える。

 海底にはこの木の実らしきものが沈んでいた。丸く茶色い実だが、その下に碇のように海底に食い込んでいるものがある。おそらく、花の土台部分が変化したモノだろう。

 名前すらまだ定まらない木だが、面白い生態をしていそうだ。


 実には藻が生えており、小魚がその藻を突いて食べている。他にも、小さな甲殻類や貝のような生き物も海底に落ちている木の葉などを食べているようだ。

 この海水溜まりの中で生態系のサイクルができているのだろう。天敵になる大型魚などが侵入できない小魚の天国だ。

 水族館気分で新界の魚を眺めつつ、夜食の野菜スティックを齧る。


「ふぅ、癒される……」


 こういうのでいいんだよ、と千早は一人呟き、平和を楽しんで夜を明かした。

 陽が昇るとともに、千早はオールラウンダーを動かし、海樹の森の中に入っていく。

 狙いは万色の巨竜の餌場になりそうな大きめの海水溜まりだ。

 翼開長七メートルの巨大な生き物だけあって、半端な大きさの海水溜まりではすっぽり嵌って抜け出せない。


 海樹の森は海岸近くから、沖へ行くほど大きな海水溜まりがある。

 電波状況が悪く、千早は子機を海樹の幹に仕掛けつつ慎重に沖の方へとオールラウンダーを進めた。

 幸いなことに、海樹の根は厚い板状をして複雑に結合しているため、慎重に渡っていけば足場に困らない。かなり太めの平均台といった趣だ。


「――ひっ」


 パケロスが発生してオールラウンダーの動作が不安定になり、千早は小さく悲鳴を漏らす。

 潜水仕様でもないオールラウンダーは海に落ちれば一巻の終わりだ。

 電波が届きにくいため、パケロスが頻繁に起きてそのたびに背中が冷える。ラグも考慮して、根を渡り歩くときはカタツムリのような速度にならざるを得ない。


 これはと思った海水溜まりを覗き、深さを確認する。たまに、海水溜まりの中を海中の根が横切っていて、水面の広さの割に中が狭いことがあるのだ。

 オールラウンダーで覗くと、魚たちがさっと根の裏に隠れようとする。この反応は海面から捕食者が覗くことがある証拠になりそうだ。

 迷路のように入り組んでいる板状の根を渡り歩き、千早は簡易的な地図を描き起こす。以前使った測量アプリでの地図起こしは海抜ほぼゼロメートルで固定されていることもあって楽々進んだ。


「この、あたり、かな」


 海樹の森の中央やや沖に寄った地点で、千早はオールラウンダーの各部モニターで周囲を眺める。


 半径三十メートル以上の海水溜まりが点在している地点だ。木の密度も高くないため、空からこの海水溜まりを発見できるのもいい。

 木の密度が低ければ、根の密度も当然低い。これ以上沖に出るとレチキュリファーのような獰猛な海洋生物の侵入を許しかねない根の密度になる。反面、この辺りは密度の問題で大きめの魚も多い。体長一メートル越えの魚が海面を覗くだけでも発見できた。

 板状の根が防波堤の役割を果たしているため海面が穏やかで、透明度も高いことから魚が良く見える。

 万色の巨竜の餌場として申し分ない条件が整っていた。


 千早は持ち込んだ赤外線カメラを仕掛けていく。赤外線以外を除去するフィルターのおかげで日中でも撮影が可能な代物だ。

 死角を埋めつつ七か所ほどに設置した千早は、沖に小島があることに気が付いた。

 オールラウンダーにカメラを構えさせ、小島をズームしてみる。


「上陸は、むりっぽい?」


 周囲を岩礁と崖で囲まれた小島だ。険しい山がそのまま海にポツンとあるような、船での上陸が難しい島である。

 海樹の森から沖合に四キロメートルほどだろうか。反対側の状態が分からないが、オールラウンダーで乗り込むのは怖い距離だ。海流の状態も分からず、無策で上陸を試みれば電波が届かずに停止するどころか遠くまで流されてしまうこともありうる。

 万色の巨竜の餌場がこの海樹の海岸ならば、あの小島が住処として好立地だとは思うが、調査は難しそうだ。

 千早は素直に諦めて、カメラの設置を続けた。

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