第二十三話 様式美

 バク転すら可能な超絶運動能力でトリガーハッピーがワイヤー陣を抜けてくる。

 呆れるほどの機動力だ。軽くジャンプをして一メートルほどの高さのワイヤーを飛び越え、その先のワイヤーごと越えて着地し、勢いそのままにスライディングで次のワイヤーを潜り抜ける。

 木の幹を蹴って枝の上に飛んだかと思うと、後方から飛んでくる野武士の矢を幹を盾に防いで枝の上を走る。

 枝がトリガーハッピーの重量に耐えられずに折れると、不安定さも感じさせずに片足で着地する。


 トリガーハッピーの後方から走ってくる野武士も規格外の性能だ。

 名前の通りに日本甲冑を着たような姿の野武士は手元のタングステン刀でワイヤーを引きちぎり、ワイヤーを固定している枝を叩き折る。どんな膂力なのか想像もつかない。

 わずかに混じっている本物の手榴弾が爆発しても、野武士は爆風を突き破って進んでくる。その歩調は一切の乱れがない。

 その防御力は重ラウンダー系アクタノイド並だというのに、速度は時速百五十キロメートルほど。重ラウンダー系の最大速度が時速八十キロメートル程度と考えると、恐ろしい速さである。


 千早が使っているオールラウンダーは軽ラウンダー系に分類されるが、時速はせいぜい百キロメートル程度。到底逃げ切れない。


「……ふ、ふへっ、ふへへっ」


 千早は早鐘を打つ心臓を押さえる余裕もない。

 仕方なく戦場に残った千早だが、目的はあくまでも破損機体の回収による利益だ。

 度重なる出費により金欠に陥った千早にとって、戦闘は最も避けるべきだというのに、なぜか戦闘が向こうからやってくる。それも、骨董品のオールラウンダーに対しては過剰すぎるスペックの最新鋭オーダー系アクタノイドが二機だ。

 敗戦確定。だが、逃げられないのだから戦うしかない。ワンチャンにかけるしかないのだ。


「赤字、やだやだやだ、やだ……」


 うわごとのように呟きつつ、千早はモニター下の財布を見て覚悟を決める。

 絶対にオールラウンダーを生き残らせて、美味しい物を食べるのだ。

 千早はオールラウンダーの右肩をワイヤー陣へ向ける。肩についたサブカメラがワイヤー陣を映し出し、森深い奥にトリガーハッピーの姿を捉えた。

 突撃銃『ブレイクスルー』の銃口を右肩の延長線に配する。頭部がないせいでこの体勢でなければ相手の姿を捉えての射撃ができないのだ。


 不利すぎる状況。しかし、出口に構えていられる位置関係だけは優位に働く。

 これをどう利用するかだ。一応、近付かれないようにダミーを含めて手榴弾を周囲にばらまいてある。重機関銃を乱射されれば諸共に吹き飛ぶと脅しているのだ。


「く、くる……!」


 トリガーハッピーがワイヤー陣を抜けた瞬間、千早は引き金を引いた。

 フルオートで連射された銃弾がトリガーハッピーに襲い掛かる。

 射程内だったが、トリガーハッピーも予想していたのだろう。千早が引き金を引くよりも早く横っ飛びに回避し、最高速で手榴弾地帯を走り抜けようとする。


「は、はやっ」


 分かってはいたが、トリガーハッピーの動きが速すぎる。

 ラグで画面に表示される景色は実際の状況のコンマ数秒前だ。トリガーハッピーの動きに合わせて銃口を向けても遅い。

 銃口を先回りさせなければいけないと分かっているのに、トリガーハッピーはオールラウンダーの背中側へと巧みに回り込んでいる。頭部がないため横向きに構えざるを得ない千早のオールラウンダーでは対処しきれなかった。


 トリガーハッピーは一発も打たずに手榴弾地帯を走り抜けて千早のオールラウンダーのそばを通り抜けざま、内蔵スピーカーで声をかけてくる。


「ほら、パス!」


 笑った女性の声だ。

 はっとしてワイヤー陣を見れば、野武士がワイヤーを切り払って走ってくるのが見えた。

 最初から、野武士をここに連れてきて千早と潰し合わせるのが目的だったのだと気付く。


「し、しかも、あの声ってやっぱり……」


 間違いなく、トリガーハッピーのアクターメカメカ教導隊長の声は、あの夜の酔っぱらい女だった。

 何の恨みがあってこんなに迷惑ばかりかけてくるんだと泣きながら千早は迫ってくる野武士に銃口を向ける。


 トリガーハッピーは観戦するつもりなのか、オールラウンダーのはるか後方で両袖に仕込んだ重機関銃を構えている。

 仮にうまく野武士に対処しても、トリガーハッピーに背中から撃たれてオールラウンダーは大破するだろう。


 赤字が確定して、千早は涙目でモニター下の財布を見る。

 その瞬間、千早の脳裏に閃きが走った。


「――あ、パスってあの紙!?」


 そういうことか、と勘違いした千早はオールラウンダーの操作を放棄した。

 飛びつくように財布を取り、中から紙を取り出す。あの夜、酔っぱらい女が一万円と一緒に渡してきた、獅蜜寧という名前らしき文字とパスワードらしき文字列が書かれた紙だ。


 操作を放棄されたオールラウンダーは当然ながら隙だらけ。

 野武士が邪魔な障害物だとばかりにタングステン刀をオールラウンダーの右足に叩きつける。

 オールラウンダーの右足が内側に湾曲し、ひしゃげてバキバキと嫌な音を立てた。千早の前のシステム画面に赤い文字列が一気に増える。


 立てなくなったオールラウンダーが地面に叩き伏せられる。直前のバックカメラには、トリガーハッピーが野武士へ重機関銃を向ける姿が映っていた。

 その瞬間、千早はマイクをオンにし、早口で紙に書かれたパスワードを読み上げた。


「65DY77ING!」


 オールラウンダーの胴体へとタングステン刀を振り下ろそうとしていた野武士が唐突に動きを止めた。

 サイドカメラにタングステン刀がドアップで映し出されている。


「と、止まった? ……ふひっ」


 へなへなと感圧式マットレスの上にへたり込んだ千早は緊張でひきつけのような笑い声を上げる。

 直後、野武士から女性の声がした。


「――停止コードを認証しました」


 停止コード。千早は手元の紙を見下ろす。

 つまり、この紙にかかれていたのは野武士のAIを停止させる緊急用のパスワードだったのだろう。


 なぜ、あの夜にメカメカ教導隊長がこの紙を偶然を装って託してきたのか分からないが、千早はひとまず危機は去ったと胸を押さえる。

 引き金に手をかけていたトリガーハッピーから、唖然としたような、困惑したような女性の声が聞こえてくる。


「停止コード? なんであんたがそれを知って……」

「え? な、なんでって」


 なんでもなにも、停止コードが書かれた紙を持っているのを知っていたからパスなんて叫んだのだろうにと、千早は首をかしげる。


「あ、ボイスチェンジャー入れたまま……」


 それで気付かなかったのかと納得しかけるも、論理的に考えるとやはりおかしい。

 ひとまず、ボイスチェンジャーを切ればあの夜に連れまわした相手だと思いだすはずだ。

 千早はオールラウンダーの制御を取り戻してボイスチェンジャーの設定を開こうとする。

 そんな作業の間にも、野武士のメッセージは続いていた。


「たいちょー、停止コードなんぞ使ってんじゃねーよ、だせぇーなー。ま、この最後の勝負は私の勝ちってことで賞品は没収ね――自爆シークエンス開始しまーす」

「……は?」

「……へ?」


 トリガーハッピーと千早のオールラウンダーが揃って間抜けな声を出し、野武士を見る。

 野武士がおもむろに右手を上げた。五本立てている指の内、人差し指をゆっくり曲げる。

 あと五秒、自爆までの時間を表しているのだと気付いて、千早はゾッとする。


「なんでぇえええええぇぇぇえ!?」


 脱兎のごとく逃げ出すトリガーハッピーに助けてと手を伸ばし、足がひしゃげた千早のオールラウンダーは逃げることもできず野武士の自爆に巻き込まれた。

 ここに、多大な犠牲を出した野武士は最後の犠牲者と共に木っ端みじんになったのだった。

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