第八話  お引越し

 千早がホテルに引きこもっている間に、新界の情勢は大きく動いていた。


 淡鏡の海ガレージ化を急ぐシトロサイエンスグループやユニゾン人機テクノロジー、Ωスタイル電工の三社に対して、近くに森ノ宮ガレージを持つ海援重工が「電波混線の懸念」を発表して牽制。睨み合いが始まった。


 別所では民間クランがっつり狩猟部がオーダー系アクタノイド野武士の討伐戦を開始したのを受けて、野武士の製作元と目される民間クランオーダーアクターが野武士討伐を正式発表。

 野武士のスペックを鑑み、鹵獲されればオーダーアクターの技術力がさらに向上すると恐れたか、海援重工も野武士鹵獲に向けて動き出すことを正式に発表した。

 これにより、野武士を巡って国内でも最高峰の武闘派系クランが三つ巴の戦いを始めることが決まり、無関係のクランや個人アクターは誤射などの巻き込みを恐れて戦域の把握と情報共有に努めだしていた。


 また、ネット掲示板や一部報道では野武士の特集が始まり、その特性に注目が集まっていた。

 ラグを感じさせない反応性から、非常に高度な自動制御AIが積まれていると目されているが、同時にAIならば停止コードが存在してもおかしくないとの憶測も出ていた。

 製造元と目されるオーダーアクターが討伐戦に参加すると表明していることから、停止コードを知らない、つまりは製造元ではないとの推測もある。


「ふーん……」


 興味なさそうに眺めていた千早はテレビを消して、鞄を持つ。

 今日は新居への引っ越しの日だ。半月ほど暮らしたホテルを引き払って、新しい縄張りへ引きこもる準備をしなくてはならない。


 新居は今まで住んでいた場所から三キロメートルほど離れた住宅区だ。間取りも家賃も変わらないアパートだが、防犯がしっかりしている。

 周囲のコンビニやスーパーの数も多い。つまり、ローテーションすれば店員に顔を覚えられにくい。さらに交番も近く、契約している警備会社は防犯用にアクタノイドを試験導入しており、アパートに常に駐機している。


 バスに乗ってアパートの近くに到着した千早は、ちらりと見かけた洋菓子店を気にしつつ新居に向かった。

 時間に余裕をもってきていた引っ越し業者のお兄さんたちが雑談しているのが見える。

 千早は先に部屋の鍵を開けて、業者を呼んだ。


「……よ、よろしく、お願いします」

「任せてッくださいッ! 三十分ほどでッ終わりますんでねッ」


 妙に癖と圧のある口調のお兄さん達が動きだす。

 どうやら、アクタノイド開発の過程で一般化されたパワードスーツを着ているらしく、一人でベッドすら持ち上げている。

 知らず感心した千早が無言で拍手すると、お兄さん達は照れたように笑って腕の力こぶを見せるポーズをとった。

 宣言通りに三十分ほどで作業を終えたお兄さん達は帽子を取って一礼する。


「ありがとうッございましたーッ!」

「はい、あの、ども……」


 ぺこぺこと頭を下げて、千早は癖圧お兄さん達を送り出し、部屋に入る。

 新居を見回して、数日前に買った盗聴器の有無などを調べる防犯グッズを起動する。


「……問題、なし」


 引っ越し先の安全性を確認して安心した千早は、買っておいた消臭剤などを配置して環境を整えていく。

 作業があらかた完了したのは夕方近くになった頃だった。


「疲れた……」


 リビングでカピバラクッションの頭をポフポフと撫でつつ、ため息をつく。

 お腹が空いていたものの、一日中動き通しで何かを作る気力がない。

 しばらく考えたのち、引っ越し祝いとアクターとしての仕事復帰を名目にケーキを買って来ようと決めた。

 甘いものなら食べられる気がしたのだ。気になっていた洋菓子店に行く理由が欲しかっただけでもある。


 そうと決まれば、と千早はアパートを出た。左右を確認して変な車が止まっていないか、アクタノイドがいないかを警戒する。

 安全と判断して、小走りに洋菓子店に向かう。初めて出歩く地区ということもあり、猫背気味で顔を俯けて、人目を避けていた。


 洋菓子店はオレンジ色のパラソルがあるテラス席完備の、半分喫茶店のような店だ。

 地球に持ち込んで栽培した新界産の果物で作られた実験的なケーキなどが特徴で、新界開発区でしかまだ味わうことができないある意味でご当地的なスイーツである。

 指差しと頷きだけでケーキを購入し、揺らさないように注意しながらも小走りで自宅に帰る。


 扉を閉め、鍵をかけ、ようやく一息ついた千早はリビングにケーキを持って行った。


「意外と、声掛けられ、ない……」


 千早がアクタノイドに追いかけられている映像はかなり拡散している。不鮮明なため、背格好とある程度の年齢、性別しか分からないのだろう。

 本人を見ればピンとくるかもしれないと怯えていた千早は安堵しつつ、ケーキの入った箱を開ける。


「おぉ……」


 箱を開けた途端に独特の香りが広がった。

 ミントに近い香りではあるが、もっと落ち着いたわずかな甘さのある香りだ。


「これが、新界の果物の香り……」


 今まではアクタノイド越しで新界に漂う香りは僅かも感じたことがなかった。果物だけではあっても、別世界の香りと思うとどこか感慨深いものがある。


 箱に説明書きが入っていた。クレップハーブという新界の果物を使っているらしい。様々な検査を経ているため健康被害が出る心配はないとのことだ。だが、アレルギーなどはまだ未知数なため、数日間は新界産の食品を取らずに様子を見て欲しいと書かれていた。

 被害が出たら出たで、貴重なデータになるのだろう。


 ケーキにフォークを差して、クレップハーブらしき黄金色の果肉を観察してから口に入れる。


「……おいしい」


 べたべたしない軽やかな甘さとハーブ系の爽やかな香り、薄皮を剥いたミカンのような果肉は口に入れた途端にほどけていく。

 クレップハーブはまだ利用が始まったばかりだというのに、かなり完成度の高いケーキだ。初めて食べたクレップハーブの特徴がはっきりと分かり、生クリームなどがクレップハーブの特徴を押し出してくれているのが分かる。


「素材に対する、高い理解度……匠の技……」


 何様だと突っ込まれそうな言葉をほざき、千早はケーキをぺろりと平らげて満足する。

 新界産の食べ物も侮れない。もっといろいろな発見をしてみたいと、千早はスマホを取り出し、アクターズクエストを開く。

 次の依頼は新界の植物、特に果物の利用研究に関わりそうな依頼にしようと決めて、相変わらず戦闘系依頼が並ぶ掲示板をスクロールしていく。


「あ、これ……」


 つい先ほど食べたクレップハーブの採集依頼を見つけて、千早は即座に受注した。

 やけに報酬額が高く設定されているが、判明している群生地が新界の奥地にあり、採集してくるまでに日数がかかってしまうようだ。

 だが、あんなにおいしい果物の利用の幅が広がるかもしれないならと、千早は張り切ってオールラウンダーを借り受ける。


 群生地の最寄りガレージは――森ノ宮ガレージ。

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