第五話  現実世界で捕まえて

 街灯の明かりに照らされる舗装路を裸足で走る。

 引きこもりとはいえ、アクターとして仕事をしている千早はそれなりに体力がある。数時間、感圧式のマットレスの上で立っていることもあるくらいだ。

 だが、どんなに体力があろうとも機械であるアクタノイドと競走して勝てるはずもない。そもそも、オールラウンダーの最高速度は八十から百キロメートルだ。市街地とはいえ、生身で逃げ切れるはずがない。

 カシャン、カシャンと機械の体にしては軽快な足音がものすごい勢いで迫ってくる。背中越しにオールラウンダーの排気音がはっきりと聞き取れる。


 怖いなんてものではない。

 千早は涙目だった。交番や大通り、人の多いところへ逃げ込まないと何をされるか分からない。オールラウンダーのアクターは躊躇いなしに家の窓を破壊してくるような危険な思考の持ち主なのだから。


 しかし、オールラウンダーから逃げながら交番に駆け込んだとして、警官が何をできるだろうか。

 考える余裕もなかったが、千早はオールラウンダーの直線上から逃れるべく道を曲がる。真後ろまで来ていたオールラウンダーが千早を追いかけて手を振り上げ、アパートの壁を破壊した。


「――っ!?」


 恐怖のあまり息を呑み、千早は別のアクター用アパートの一階通路を駆け抜け、隣接するマンションのエントランスに入り込んだ。

 肩越しに振り返ると、オールラウンダーがマンションの自動ドアの前で足を止めていた。そのまま突っ込めば容易く破壊できるだろうが、警備会社に自動通報されるため躊躇したのだろう。


 このマンションの自動ドアは熱感知式だ。表面部分が冷えている金属のオールラウンダーでは反応しない。

 前に内見していてよかったと思いながら、千早はエントランスを抜けて裏口の通用口から外に出る。オールラウンダーがエントランスの自動ドアを破壊する音と警報音が背後から聞こえてきた。


 だいぶ距離が開いた。このまま逃げ切れるかもしれないと、千早が涙を拭って道を曲がった直後、背後を巨大な何かが飛んで行った。

 風圧で横に揺らめいた千早は、道を転がっていく大型バイクを見て顔を青ざめさせる。

 オールラウンダーがマンションの裏口に止められていた大型バイクを千早に向かって投げたのだ。


「……殺されりゅ」


 拭ったそばからあふれ出す涙をそのままに、千早は再び全力疾走する。

 裸足で走っているせいで足の裏がずきずき痛むが、死ぬよりマシだ。しかし、確実に足が遅くなっていた。


 逃げ切れない。何か手を打たなければ殺される。

 命の危機に混乱する頭で考えていた千早は、道の先にスーパーマーケットを見つけた。

 すでに閉店時間を過ぎており、店内の照明が落ちている。扉もしまっていた。

 扉のガラス面に映った千早の背後で、オールラウンダーが自転車を投擲している。

 頭を抱えてしゃがみこんだ千早の頭上を自転車がきりもみ回転しながら飛んでいき、スーパーの扉を破壊した。警報機がじりじりと鳴り響き、無法者の存在を知らしめる。


 千早は体を起こしてまっすぐにスーパーの中へ飛び込み、商品棚の裏に身を隠す。

 駆け込んできたオールラウンダーがそのままバックヤードへ走っていった。マンションの時と同様に裏口から逃げると判断したのだろう。だが、バックヤードの扉が閉まっているのを見て、すぐに引き返してくる。

 オールラウンダーのバックカメラを警戒して棚から出なかったのは正解だった。


 しかし、状況はいまだに悪い。

 千早は過呼吸を起こしかけながら、必死に打開方法を考えていた。


「ふひっ……」


 緊張で気持ち悪い笑い声をこぼしつつ、千早は棚の商品を手に取る。

 店内を見回していたオールラウンダーのアクターが内蔵スピーカーから声をかけてきた。変声機で声色を変えているのが丸わかりのざらざらした声だ。


「お前がメカメカ教導隊長だろ? 逃げ隠れしてんじゃねぇよ!」


 誰だそれ、と思いつつ、千早は棚の商品の袋を次々と破いていく。

 焦れたオールラウンダーが棚の裏を覗いて回り始めた。千早が隠れていることは分かっているのだろう。

 千早は破き終えた袋を持って棚の裏に身を隠しながら移動していく。

 オールラウンダーには映像解析を行うAIなどは搭載できない。操作するアクターのパソコンで解析を行うことはできるが、やや時間がかかる。

 千早が多少動いたところで動体検知には引っかからない。


 オールラウンダーを目視した千早は手に持った商品、片栗粉の袋を力いっぱいオールラウンダーへと投げつけた。

 バスッと音がして、片栗粉が拡散する。流石のオールラウンダーも気付いて即座に振り返り、商品棚を倒しながら千早に迫ってきた。

 千早は片栗粉の袋をもう一つ投げつけてから逃走に移る。


 オールラウンダーのアクターが馬鹿にしたようにスピーカーから笑い声を響かせた。


「なんだ? おいおい、まさか粉塵爆発とか古典的なことしねぇよな? この広さで爆発するわけねぇだろ?」


 そんなことは千早も知っている。

 全力で逃げながら炭酸水のペットボトルを商品棚から取り、思い切り振りながら走ってスーパーの出入り口を目指す。


 千早の動きに気付いたオールラウンダーが即座に回り込み、行く手を塞いだ。両手を左右に広げ、ゴールキーパーのように千早を待ち構えている。

 そんなオールラウンダーのがら空きの空冷式ファンのフィルター部分目掛けて、千早は良く振った炭酸水のペットボトルの口を向けた。


「は? 水? 炭酸? 挑発か?」


 混乱した様子のアクターが挑発と取って千早にオールラウンダーを走らせる。

 横に倒れるように飛んでオールラウンダーの突進を躱した千早は素早く立ち上がり、バックヤードに向かって走った。

 ちょこまか逃げ続ける千早にイライラしているらしいオールラウンダーが追いかけてくる。


 バックヤードの扉を押し開けた千早は素早く休憩室の窓を開けて外に逃げ出す。オールラウンダーの硬さと大きさでは窓から出ることはできない。

 窓から出ようとしたオールラウンダーが気付き、すぐに裏口を探し当てて飛び出してきた。千早とはすでに二百メートル近く距離が開いている。


「ウサギみてぇに逃げやがって!」


 それでも、全力で走れば十分に追いつける距離だ。

 騒ぎを聞きつけた周辺の住人が恐々とカーテンの隙間から顔を出して千早とオールラウンダーの追いかけっこを目撃している。そんな住人の一人と偶然目が合った千早は、どうしていいのか分からずこくりと黙礼した。

 千早を追いかけていたオールラウンダーも、流石に騒ぎが大きくなりすぎたことに気付いたらしい。


「ちっ、ここまでか」


 スピーカー越しに舌打ちして、オールラウンダーが脚を止めた。

 進路を変えたオールラウンダーが数歩、前に進んだ時、エラー音を響かせた。


「……は?」


 スピーカーから戸惑ったような声が聞こえる。おそらく、操作しようとしているのだろうが、オールラウンダーはエラー音を鳴らすだけで指一本動かない。


「どうなってんだ!?」


 このままだと警察にオールラウンダーが押収されて調べられる。アクターの焦りは尋常ではなかった。

 千早はスーパーで、オールラウンダーのフィルターを片栗粉と炭酸水で目詰まりさせた。空冷式のオールラウンダーはフィルターの目詰まりで空気を取り込めず、内部の冷却が不可能となる。

 その状態で千早を追いかけ続けていたのだから、熱暴走を起こすのも当然だ。


 千早はちらりとオールラウンダーを振り返ったが、素知らぬ顔で路地を曲がって走り続けた。

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