第十八話 レチキュリファー
爆弾を使うために離れていたのが災いして、千早のわらべに逃げ場はなかった。
ひとまず浜を目指してドルフィンを最大出力にしているものの、レチキュリファーはみるみるうちに迫ってくる。
とてもではないが、浜まで逃げ切れないだろう。
千早は諦めて、近くの岩場へドルフィンを向けて逃げ込む。
わらべの足先をかすめたレチキュリファーが岩に激突するのを恐れて進路を変えたかと思うと、岩場の周囲をぐるりぐるりと周回し始めた。
小魚は眼中にないらしいが、金属の塊であるわらべが食べられると信じて疑っていないらしい。あまり知能は高くないのだろう。
それだけに、一度追い詰めた獲物は逃がさないという執念が見え隠れしている。
わらべで海面を見上げつつ、船の動きを確認する。
船はわらべを見捨てたのか、こちらに近付いてくる様子がない。
「え、援護は……?」
てっきり、海上から弾幕を張って追い払ってくれると思っていた千早は、当てが外れて涙目になる。
『ユニゾン』のメンバーからボイスチャットが届いた。
「すみません。レチキュリファーは殻が硬すぎて、水中銃では効果がありません。助ける手立てがなくて、二次災害を避けるため撤退します。そのー、諦めてください」
無慈悲な宣告に千早は頭を抱えた。
「貸出機なんですけどぉ……。安全な依頼だと思ったのに、なんでぇ……」
一応、依頼を受ける際にわらべを壊してしまっても賠償請求しないと言われている。爆発物のテストを兼ねているのだから当然だろうと千早は解釈していた。
だが、この状況は違う。契約上、賠償責任は負わないはずだが、千早はわらべを壊したくなかった。
ユニゾン人機テクノロジーは、戦闘系以外の依頼を発注してくれるお得意様なのだ。覚えめでたくこの依頼を終わらせたい。同時に依頼をくれたシトロサイエンスグループに対しても、この依頼の失敗が伝わるのは痛い。
クランに所属して安全に依頼をこなす。そんな千早の当面の目標を考えても、企業との繋がりは大事にしたい。
「ふへっ……」
わらべを壊されたとしても、賠償責任は負わない。ならば、手元の水中爆薬の威力を確かめるのにちょうどいい相手がそこに泳いでいるではないか。
千早はモニターに映るレチキュリファーを見て気持ち悪い笑い声を上げ、サブモニターに海底のマップを表示させる。
海底調査の一環で映像記録を取っていたおかげで、多少は地形を把握できる。レチキュリファーが岩礁を避けるのなら、岩礁から岩礁へと移動しながら身を隠して浜に逃げられないかと思ったのだ。
うまく隙をついても追いつかれそうな距離だったため断念し、わらべのメインカメラでレチキュリファーを追いかける。
硬い殻に覆われた二枚貝。側面の刃状の部分はもちろん、正面から激突すればアクタノイドでもただでは済まない速度だ。
しかし、突進力はあるものの殻の先端から逆端へと水を噴き出す推進方式のせいで左右への機敏な曲がり方はできそうにない。取水口、噴出口は二つずつあるため、噴出量を変えればカーブもできるはずだが、その場で反転するような器用な真似はできないようだ。
おそらくバックもできないのだろう。岩場の穴に潜んでいる千早を認識しているだろうに突っ込んでこないのがその証拠だ。
困ったことに、レチキュリファーの知能が低いせいで、破れかぶれに突っ込んでこないと断言できないのが惜しまれる。
「引きこもって終わればよかったのに……」
なんとなく、レチキュリファーが突撃する角度を調整しているように見えて、千早はわらべを操作し、穴を飛び出した。
即座に突っ込んでくるレチキュリファーを躱すため、岩場の裏へと回り込む。旋回半径が広いレチキュリファーは岩場を曲がり切れずにわらべの背後の海草群へ抜けていった。
あまりの速度差にひやりとしつつ、千早はレチキュリファーを観察する。
「……うひっ」
レチキュリファーが速度を緩めつつ海面へと上昇して慣性力を消費していく。今までにはない不自然な上昇だ。慣性が働いているなら大回りでも再突撃のための助走にすればいいはずなのだから。
レチキュリファーは、正面にある海藻を避けたように見える。
千早は気味の悪い声を上げつつ、ボイスチャットをオンにした。
「ふひっ、あの、布、投棄してくだ、さい」
「は? 布?」
「ダミーの雨除けの、布、投棄してください。あいつ、海藻を避けるので」
「……わ、わかりました」
半信半疑で、船の上のアクタノイドたちが布を海中に投棄した。
レチキュリファーが海藻を避けるのはおそらく本能によるものだ。繊維質の海藻は簡単には切れず、突っ込んだレチキュリファー自身がからめとられて身動きができなくなるのを嫌っている。
ならば、海藻に見立てた布で動きを制限してしまえばいい。
投棄された布がゆっくりと海底へ降りていく。その間に向かって、千早が操作するわらべは一直線に突っ込んだ。
戦闘に巻き込まれるのを嫌った船が遠ざかるのもお構いなしに、千早はわらべの手元を操作しつつバックカメラを見る。
レチキュリファーが角度調整を終えて一気に突っ込んでくるのが見えた。今までの最高速度を出している。
「い、いそげ、いそげ」
水中スクータードルフィンを片手で持っているため、作業がいつもより進まない。それでも、投棄された布たちの間をすり抜ける頃には、ドルフィンにワイヤーを緩く接続させ終えた。
すぐ後ろにレチキュリファーがものすごい勢いで迫ってくる。
千早はドルフィンを傾けて進路を転換し、わらべを左側の布の裏に隠した。同時に、ドルフィンをレチキュリファーの進路に飛び出させた。
レチキュリファーの正面をドルフィンが横切った直後、レチキュリファーが海水を吸い込みながら布の間を抜けていく。
「ぽちっと」
千早は呟きつつ、手元の水中爆薬『水毬爆』を手放し、ドルフィンに接続していたワイヤーを遠隔で切断する。
高速で海の彼方に泳いでいったレチキュリファーが反転しようとしているのが見えた。だが、上手く曲がれていない。
当然だ。千早が手放したドルフィンに接続されたワイヤーを取水口から吸い込み、先端に取り付けられた水毬爆が取水口の一つを塞いでいるのだから。
レチキュリファーの噴水口からワイヤーの端が飛び出ている。意外と単純な体内構造をしているようだ。
千早のわらべは推進力だったドルフィンを手放しているため海中に沈んでいく。
遠くなっていくレチキュリファーが不意に膨張し、吹き飛んだ。海水中を伝わる衝撃波がわらべを揺らし、周辺の小魚をまとめて気絶させ、海上に水柱を噴き上げた。
「いへっ、きたねぇ花火だ、ぜ……」
爆発で貝殻も中身もばらばらになって海水に漂うレチキュリファーの残骸を見て呟き、千早は『わらべ』のメインカメラ越しに海面で大きく揺れる船を見上げる。
水中スクータードルフィンは海の彼方へ旅立った。
つまり、わらべは海面に上がる手段がない。
「ひ、引き揚げて……」
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