第十七話 自然は恐ろしい

 依頼現場である淡鏡の海は名称通りに鏡のように凪いだ水面の海だった。

 海底は岩場と砂場が混在し、小魚と甲殻類が泳いでいる。透明度は高く、悠々と十数メートル先まで見通せる。

 わらべに水中スクーター『ドルフィン』を持たせて、船から海に飛び込む。


「ちゃんと通信できる……」


 電波ではなく可視光レーザーでの光通信を利用しているとのことで、送受信を行うレーザーの範囲内であれば海上に顔を出す必要もないようだ。

 透明度が高いこの海が選ばれたのも、可視光レーザーでの通信が可能だからだろう。

 問題は通信を維持するために送受信機を常に向け合う必要があることだが、通信ハブの役割を持つ専用の水中ドローンで補佐することで機体の向きにとらわれず通信が維持できるらしい。


「水中ドローンは、有線、なんだね」


 その水中ドローンが一緒に海へと投げ込まれたのを見て、千早はつぶやいた。

 海中環境の撮影などが始まる。


 千早はわらべを操作してドルフィンを持つ手を傾けた。

 水中スクータードルフィンは平たいブレード型をしており、両手で持つことで水中での移動を可能にする。ブレードの両端にプロペラがついており、海流にもよるが十ノット程度でアクタノイドを運搬できる。

 わらべは小さく、水の抵抗が少ないこともあって十ノット以上の速度が出るようだ。最高時速を計測しつつ、千早は淡鏡の海の景色を楽しむ。


 小魚はいるものの大型魚の姿が見えないのが気になった。点在する岩場は凹凸が激しく、わらべが姿を隠すこともできそうな穴があちこちにある。夜行性の大型魚があの中にいるのかもしれない。

 これほどに透明度が高い海だ。大型魚の速度次第では容易く小魚に逃げられてしまうだろう。夜行性と考えた方が自然だ。

 昆布のように高く伸びる海藻がふらふらと揺れている。海藻には細かく齧られた痕があり、小魚の餌になっていることが予想された。

 海中の調査も依頼の一つなので、千早はモニター映像のスクリーンショットを取っておく。


 優雅な海の旅を楽しんでいると、船の上に残っていたアクタノイドが依頼を開始するとの報告が入った。


「――模擬ケーブル設営の実験に入ります」


 ユニゾン人機テクノロジーが結成したクラン『ユニゾン』を筆頭に、水中仕様の機体が次々と海に入ってくる。

 インストラクター代わりに水中作業の経験があるアクターも数人、作業に従事するようだ。


「模擬ケーブル……」


 千早は呟いて、バックカメラを確認する。

 サイコロンなどの機体が太いケーブルを海底に運んでいた。光通信用のケーブルを模したダミーだ。

 あんなものの設営実験をするということは、この淡鏡の海をガレージ化し、さらに光ケーブルまで通す電波基地局として発展させる計画があるのだろう。

 守秘義務が課せられているため、千早は詮索するのをやめる。


 作業をしているアクターたちの会話を聞き流しながら、千早はドルフィンの使用感をレポートにまとめていく。

 このドルフィン、速度もあるが、なによりも左右への切り返しや上下運動などの機動力に優れている。上下に一回転することもでき、曲芸のような海中遊泳が楽しめた。

 さらにアクタノイドの力があれば片手で保持して水中銃なども使用できる。機体とのリンクで命中補正もちゃんと機能する。

 特に問題点は見つからない。バッテリーもかなり長持ちするようだ。


「いたれり、つくせり……」


 性能面は満足だが、価格の方はちょっと痛い。一機当たり二百五十万円は流石に高額すぎる。

 オールラウンダーなら購入できる価格だ。安いことで有名な軽ラウンダー系バンドも購入できる。

 アクタノイド一機と釣り合うかといわれると、水中スクーターは用途が限られ過ぎて納得がいかない。

 価格面は今後の課題だとは思うが、今回はあくまでも性能テストだ。千早はそのまま思ったことをレポートに書きつつも、価格面への言及は避けた。


 そろそろ水中時限式爆弾『水毬爆』のテストに入ろうと、千早はユニゾン人機テクノロジーに連絡をして他のアクタノイドや船から少し離れる。爆発に巻き込んだら洒落にならないからだ。

 ついでに海底の調査も兼ねて映像を取りつつ、千早は適当な爆破対象を探した。粉砕してかまわなそうな岩場があれば、そこに投げ込もうと思ったのだ。


「どこにーしよーかなー?」


 安全安心な依頼に千早の気は緩んでいた。

 ドルフィンで移動しつつ、手元の麦茶に手を伸ばす。

 その時、クラン『ユニゾン』がボイスチャットで警告を発した。


「全員、船に退避してください!」


 切羽詰まった声に、千早は麦茶を取りこぼし、こぼれた麦茶とモニターの間で視線を行き来させる。

 何事だと思いつつ、ドルフィンを傾けて、わらべを船へ向けた。


 海底で作業をしていたアクタノイドたちが次々とロープで船の上に引き上げられていく。水中銃を持っている機体もいたが、構えていなかった。

 銃では対処できない何かが接近しているらしい。


 わらべの視野ではなにも確認できないが、警告を発したのは広域を視認できるサイコロンのアクターだった。

 サイコロンのアクターがボイスチャットで報告する。


「レチキュリファーが来ます!」


 沖合から、水中を猛スピードで向かってくる何かが見えた。

 それは船の上に避難するアクタノイドへ突っ込んでいったが、アクタノイドたちが船に上がる方がギリギリ速い。

 船底を掠るように泳いだそれが、逃げ遅れているわらべへと進路を変える。


「ふぇ?」


 いまだにこぼれた麦茶をチラ見していた千早は、向かってくるその生物を見て目を丸くする。

 マテ貝のように縦長、板状の二枚貝だ。全長二メートル、幅四十センチほど。側面にはギザギザした刃状の部分があり、触れた小魚が真っ二つになって海面へ浮かんでいく。

 新界の海洋生物、レチキュリファー。前面の取水口から取り込んだ海水を逆端の噴水口へと圧縮して吐きだし、高速遊泳を可能にする危険生物。その遊泳速度は時速七十キロメートル。――おおよそ、三十八ノット。

 水中スクータードルフィン、最高速度は十ノット。

 レチキュリファーが加速する。


「――なんでぇ!?」


 ドルフィンを傾けてレチキュリファーに背を向ける。

 確実に追いつかれる鬼ごっこが始まった。

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