第十九話 現実は逃がしてくれない

 立て続けに大金が振り込まれた千早は浮かれていた。

 というより、買った恨みを考えたくないがために現実逃避していた。


「……よ、よし」


 帽子を目深にかぶり、マスクを装着し、千早は時刻を確認してからアパートを出た。

 時刻は午後八時を少し過ぎた頃。道を歩く人影はなく、自転車をこいでパトロールしている警官の後姿が見えるのみ。

 人目につかない時間帯である。


 千早は今日、新界開発区に来て初めての外出をしようとしていた。食材すらネット通販で取り寄せて部屋にいるのに置き配してもらう引きこもりコミュ障の千早、一世一代の冒険である。

 なお、アクターは長期間の依頼で地下の防音室に籠ることが度々あるため、置き配は一般的である。


 ポケットに手を入れて、千早は道路の端を歩きだす。

 新界開発区は広く東京二十三区に匹敵する面積だ。

 しかし、多くの場所がアクタノイドの研究開発区や銃器などの工場、自衛隊の演習場、新界の動植物の研究を行う大規模施設などで、一般人の立ち入りが制限されている。

 それでも交通機関として専用道路を走るバスが運行しており、繁華街などもバス停を基点に作られていた。


 千早の目的地はその繁華街だ。まだ十八歳の彼女は酒が飲めないが、繁華街で少しお洒落でお高いお店に入ることはできる。


「こ、個室でお願いします。タバコはなしです。個室――」


 店に入った時の台詞をぼそぼそと復唱して備え、フへへと笑う。

 ネットで調べて店に目星も付けてある。メニューも吟味し、メニュー表を渡された直後に指さすだけで注文ができるほど暗記していた。

 個室の予約状況も調査済みだ。事前予約の電話がコミュ障故に入れられなかったが、問題ない。


 いける、と千早は夕食の勝利を、いや優勝を確信していた。

 このビクトリーロードを阻む者があろうか。いやない。


「――ねぇ、君一人? カップル割りのお店知ってるんだけど、一緒に行かない? この店なんだけどさ」


 店のホームページを表示したスマホを見せながら肩を組もうとしてきたチャラい男をひらりと躱し、千早は即座に繁華街に背を向けて走り出した。


「むりぃっ!」


 コミュ力を鍛えし強者、ナンパ男に阻まれて、千早の冒険は終わった。

 ついでにちらりと見えたチャラ男のスマホには目星をつけていたお洒落な店が表示されていた。カップル割りなどなかったはずだが、あのナンパ男が今後ナンパに成功した時、店ではち合わせたら気まずいなんてものじゃない。


「な、なんで……」


 こんな目に遭うのかと、とぼとぼ帰路を歩んでいた千早は、途中で見つけたラーメン屋を素通りする。注文と会計だけだとしても、店員と会話する気力がなくなっていた。

 くぅーと小さな音を立てるお腹にやるせなさを感じつつ、千早は見つけたコンビニに入り込む。

 生ハムサラダとインスタントのカボチャスープをレジに持っていき、ふと気づく。

 お店で食べる予定だったせいで買い物袋を持ってきていない。


「あ、あぁの。袋……」

「袋を一つお付けしますね。お箸はどうなさいますか?」

「ほしい、です」

「一膳、袋にお納めします」

「ぁありがと、ございます……」


 会計を済ませて、千早は足早にコンビニを出る。

 店員に絶対に顔を覚えられた、とさらに気を落としながらアパートの自室に帰宅する。


 リビングで予定とはまるで違う夕食を前にしつつ、千早はスマホを弄りだす。

 こうなったら、完全個室の店にメールで予約を取って、ついでに送迎のタクシーをメールで手配してやると妙なキレ方をしていた。

 だが、完全個室の店は会員制だったり予約が一年先まで埋まっていたりした。


「ふっ。今日はこの程度にしといてやる……」


 悔しそうに呟いて、千早はアクターズクエストを開く。

 八つ当たり気味ではあったが、この勢いで仕事を受けてしまおうと思ったのだ。寝て気分が落ち着けば、またグダグダと悩むに決まっているのだから。


 だが、依頼掲示板は千早を絶望に蹴り落とす。

 戦闘系の依頼が大量に表示されている。それも、『あなたにお勧め!』と赤枠で強調されているのは盗賊アクタノイドの討伐依頼ばかりだ。

 アプリにすら完全にボマーだと思われている。


「な、なんでぇ……」


 平和に仕事をしたいだけなのに、と千早は頭を抱えた。

 しかし、しつこく下へとスクロールしていくとどうにか戦闘系ではない依頼が表示され始める。その中の一つに千早は目をつけた。


 その依頼内容は『新界の絶景を撮影して、投資喚起や人材確保の呼び水にするためのポスター、カレンダーを作成する』というもの。

 必要な絶景写真の撮影ポイントまでも公開されている。その中の一つは、以前にベルレットを撃破した和川上流山脈を越えた先だ。


 なんと平和で文化的な依頼だろうか。

 今の荒んだ心に新界の絶景はきっと感動を呼び起こし、心に雄大な自然のおおらかさが染み渡るはずだ。

 ついでに、こういった文化的な依頼をこなしていけば戦闘系ばかり掲示板に表示される状況も変わるはずだ。


 よし受けよう、と千早は依頼の受注ボタンを押す。

 すると、『公開受注にしますか?』と見慣れない一文が表示された。

 どうやら、他の受注者とポスター用の写真が被らないよう、公開受注になっているらしい。先に公開受注にしたアクターの写真が採用されるようだ。

 撮影ポイントの取り合いは時間と労力の無駄である。千早は迷わず公開受注を選択した。


 ――恨みを買っていることもすっかり忘れて。

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