堕天
於菟
堕天
とある場所に
その優しさ故に、大昔に行き場を無くして逃げるように旅をしていた一組の人間の夫婦を村に受け入れたことがある。
それからその村は四つ手族と人間が共存する村となった。
しかし、人間は四つ手族ほど心が純粋ではなかった、力が強く自分たちと異なる存在である四つ手族を次第に恐怖するようになった。そして、世代交代を繰り返し自分たちを受け入れてくれた四つ手族への恩さえも忘れていた。
更に人間は世代を経るたびに四つ手族への差別を強めていった。事実を捻じ曲げ、人間が四つ手族を受け入れたという歴史が人間たちの一般的な認識になり、四つ手族の正体が悪魔だという者まで現れ始めた。
四つ手族の中には
そんな混沌とした時代にハヤトは産まれた。
ハヤトは人間の子として生まれ、例に漏れず四つ手族嫌いの洗脳を受けたが、幼くも聡明であり四つ手族に偏見を持つことはなかった。
同世代の子供達と遊ぶ際も年の近い四つ手族の子も誘い、人間の子には嫌がられていた。けれどそれでも仲間外れにされなかったのはハヤトが快活で人を引き寄せる何かを持っていたからだろう。
そんなハヤトに誘われ人間の子と遊ぶようになった四つ手族の子供達がいた。彼女らはベリエルとノエルという名前で、ベリエルはハヤトと同じく活発で、ノエルは大人しい性格をしていた。
何度も遊ぶうちに人間の子達はベリエルとノエルを受け入れつつあった。しかし、四つ手族を差別する悪意のない言葉の数々はベリエルとノエルを苦しめていた。
腕を隠そうとしなかったベリエルは腕を隠していたノエルよりも更にひどい言葉を投げかけられていた。そのためベリエルは表では気丈に振舞っていても、裏では一人涙を流していた。ハヤトはそんなベリエルに寄り添い慰めていた。
ノエルはそんな二人の仲を邪魔したくはなかった。
けれど、ノエルは一度だけベリエルを一緒に慰めてる時にハヤトに聞いたことがある。種族が違うかもしれないのに、悪魔かもしれないのに、どうして自分たちと仲良くしてくれるのかを。
するとハヤトは顔を俯けて言った。
「種族なんか関係ない、関係ないはずだろ?」
悲痛で重たい言葉だった。苦しんでいるのはノエル達だけではなく、ハヤトも差別をするのが当たり前だという常識に苦しんでいてくれたのだ。
それからノエルのハヤトを見る目は変わった。そしてベリエルを見る目も。
ある日、村の人間の大人たちが集まり村の外にある洞窟に巣くう悪魔を退治しにいくことになった。剣術を大人並みに扱えるようになっていたハヤトもこれに同行することとなりベリエルとノエルの二人が心配して見送りに行くと、ハヤトは震える手を抑えるように二人の頭を撫でた。
洞窟は人間達が想定していたよりも深く、次第に暗さと恐怖に苛まれパニックを起こし仲間割れをした挙句全滅した。
村に帰ってきたのはハヤトだけだった。
四つ手族の中には密かに喜ぶ者もいたが多くの者は自分のことのように悲しみ、人間は絶望に陥り、村の雰囲気は終末を予感させていた。
その日からハヤトの様子がおかしくなった。
ベリエルは同族が大量に目の前で死んだのだから精神が狂っても仕方ないと言い、親身になってハヤトの世話をしていた。ノエルもまたハヤトを信じてはいたが、その信じていたハヤトではなくなっている気がしてならなかった。
ベリエルとノエルの仲は次第に悪くなっていった。ハヤトもベリエルもノエルを守ってくれなくなり、ノエルは村の子供達の間からも孤立し始めていた。
そんなある日のことだった。顔を合わせても無視するようになっていたベリエルが突然ノエルの家に来た。
「あんた、ハヤトのこと好きだったでしょ」
ノックの音に振り向き椅子から立ち上がろうとした所で扉が開き、久しぶりの出来事にノエルは硬直し、仁王立ちをして堂々と言い放ったベリエルに反応することも出来ず数秒の空白が流れた。
「さっきハヤトに誘われたの。夜に泉の森に来いって。私そこで想いを伝えるから。」
「あんたにだけは言っておかないとって思ったから。……それじゃ」
嵐のような来訪に終始何も言えず扉が閉まったところで力が抜けノエルは椅子に腰を置いた。
ベリエルがハヤトを好きなことは知っていた。自分がハヤトに好意を寄せてることもベリエルは気づいていたんだ……。
ハヤトは様子がおかしくなるまでは分かりやすくベリエルを好いていた。それこそ様子がおかしくなってなければ今頃ベリエルに告白していてもおかしくない。
でも、様子がおかしくなってからのハヤトはベリエルに見向きもしていなかったはずだ。それが今更どうして?
親友の宣言を受けてから胸の動悸が早くなっていることに気付いた。考えることをやめられず、結局ベリエルとハヤトの告白を見守ることにした。
やましい気持ちがあるわけではない。純粋に心配する気持ちが勝ったのだ。
夜、森の中で気配を殺し待っていると、ハヤトとベリエルがやってきた。ベリエルはどこかソワソワしている。反対にハヤトは至極落ち着いており、その対比が違和感を加速させた。
「あのさ、ベリエル。俺、ずっと言いたかったことがあるんだ」
「な、なぁに?」
ベリエルの返事は上ずっていた。元親友の見たことのない姿を見て少し気分が晴れて緊張が解けそうになったが、次第に強まるハヤトの発する違和感がそれを許さなかった。
「俺と、付き合ってほしい」
そう言うとハヤトは握手の形を作り手を前に出した。ベリエルは歓喜の感情を抑えつけ、声にならない声を上げその手を取った。
「ありがとう」
ハヤトはそう言いながらベリエルの手を引き寄せてハグをした。
ノエルは見てはいけないものを見た気がして一瞬目をそらしてしまった。
「そしてさようなら」
何かが倒れる音がした。
ノエルが視線を戻すとそこには赤く染まって横たわるベリエルと悪魔の姿に変容しつつあるハヤトがいた。
ノエルはその光景に動揺し気配を殺すのを忘れ物音を立ててしまった。
「誰だ!」
ノエルは息を殺し目に涙を耐えながらうずくまっていた。
終わることのない長い時間を生きているような感覚に襲われハッと気を取り直すとそこにはベリエルの死体だけが残っていた。
すぐに駆け寄り胸に耳を近づけても、音は何も聞こえなかった。ノエルは隠していた腕を服の中から出し、四本の腕でベリエルを持ち上げると泉へと向かった。足取りは重くフラついていたが、しっかりと泉へと向かっていた。
冷たくなった身体を静かに泉へ浮かべようとベリエルの服を脱がすと涙が溢れてきた。ふと、ベリエルの手と自分の手を合わせてみると、先日までは普通に遊んでいたのにどうしてこうなったんだろうと、いろんな思いが頭の中を駆け巡った。
そして、ハヤトが悪魔と入れ替わっていたことを四つ手族の長老に報告しないといけないと思い至った。
何度も惜しみながらもベリエルを泉に浮かべ、泉の中央に引き寄せられ次第に沈んでいく様子を見守った。この泉には神様が住んでいると言われている。本当に神様がいるならベリエルとハヤトを生き返らせてほしいとノエルは強く願い、目を閉じた。
少しすると閉じた目が眩しさを感じ、少しだけ目を開きその光源が何なのか覗き見ると、そこには光り輝くベリエルの身体があった。そして、よく見てみると光を発する源はその四本の腕だった。腕は光り輝きながらその形を失くしていき、四枚の羽のような形になると光を失っていった。
ノエルはその神々しい光景に目を奪われ、腰を抜かしそのまま眠ってしまった。
次の日、ノエルはベリエルの死体が見えなくなったことを確認し急いで村へと戻った。長老に報告することが一つ増えたからだ。あの光は一体何なのか、四つ手族とは何なのか。
村へ着くと、そこに四つ手族の姿はなかった。正確には姿はあったが、全て赤く染まっていた。村の中央に山のように積み上げられた同族の死体。昨日の出来事。村に
無意識に強く拳を握った手は軽やかな羽になり、余裕のなかった心は澄み渡るように冷静さを取り戻した。本能的に飛び方を覚えていたノエルは空高く飛び村の惨状を再確認し、そして、人間が救いようのない悪魔の一族だということを理解した。
姿が変わった自分のことも、いじめてきてた友達が悪魔の姿になったことも、大好きだった親友が死んだことも、大好きだった彼が既に死んでいたことも、何もかもがどうでもよくなった。
その瞬間ノエルは悟った。自分は神だ。人間を滅ぼすために地上に遣わされたのだ。
歪んだ笑みを浮かべ天上から村を目がけて羽ばたくと一瞬で村は壊滅した。悪魔の姿に変容していた人間も一人残らず消滅していた。
四つ手族は天使の一族だった。大昔、その時代の魔王に人間の様な姿になる呪いをかけられ、高貴で天使の象徴だった美しい四枚の羽は四本の腕となり、無様な自分たちを呪って生きていた。
そして、いつしかそんなことも忘れ去られ人間への偏見も無くなり、人間と共存する者も出てきた。
ノエルはその一つの結果でしかなかった。村の人間は付近に住む悪魔の影響を受け悪魔化が進んでおり、天使の力を失っていた四つ手族はそれに気づくことが出来なかった。
村によっては天使の姿を取り戻した者が村全体の四つ手化と悪魔化の呪縛を解き、平和に共存して暮らしている場合もあるという。
その後、天使ノエルの姿を見た者は誰もいない。
堕天 於菟 @airuu55
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