07

食事が始まったというのに、宴会場は静まり返っていた。


誰も一言も発することなく、黙々と料理を口に運んでいる。


正直空気が重くて嫌になるが、張丘はりおか家の伝統と言われている行事らしいので、これくらい仰々しいのはしょうがないかと思う。


当然おれの目の前にも張丘の作った料理があり、すでに食べ始めていた。


俺はグルメリポーターではないので細かいことはわからないが、あえて言葉にするなら上品な味がする。


もちろん美味しい。


この料理をまだ18、19歳の女の子が作ったと言われても誰も信じないだろう。


よく知らなくてもわかる高級料亭の味だ。


思えばサークルで食べた和風オムライスから、彼女の料理は一貫して大人の味がする。


育った畑というやつか。


今さらだが、こんな本格的な料理を作れる彼女が、どうして俺なんかに張り合っていたのか。


前にも思ったがサークルメンバーの連中は若く、大人の味よりもジャンク味が好きだというだけだと、彼女ならすぐにでもわかりそうなものなのだが。


でも、きっとこの勝負で負けたら、張丘はもう俺に突っかかって来なくなるんだろう。


きっと定食屋のバイトも辞めて、こうやって長期休みに実家の仕事に誘ってくれることもなくなるよな。


最初こそ面倒だったが、俺は彼女が張り合ってくるのが楽しくなっていた。


この数ヶ月間で、気が付けば常に隣にいた。


大学でもバイト先でも、そして今は夏休みでも。


そんな張丘との日々がもう終わる。


そんなことを考えていると、なんだか料理の味がしなくなっていた。


それから食事が終わり、食器は片付けられた。


張丘の祖父が言うには、勝負の結果は後日発表されるらしい。


さっさと言ってくれれば楽になれるのに、まあどうせ俺の負けだろう。


「なんか元気なくない?」


宴会場から出て、与えられた部屋に戻ろうとすると、張丘が声をかけてきた。


俺はさすがに疲れたと返事をすると、彼女は心配そうな顔をした。


「やっぱりきつかった? ごめんね、初日から大変だったでしょ。もしあれだったら明日は休んでもいいよ」


違う。


そうじゃない。


もちろん疲れてはいたが、それだけで元気がないわけじゃない。


体の疲れなんて風呂に入って寝ればとれる。


俺が辛いのは心のほうだ。


こればっかりは一晩休んでも回復しない。


「勝負の結果、楽しみだね」


楽しみなもんか。


だって負けたらもう、張丘と一緒にいる理由がなくなってしまうんだから。


俺は適当に返事をし、明日もちゃんと仕事すると言って部屋に向かった。


そして、その日の夜は風呂でも布団の中でも、ずっとモヤモヤが消えなかった。


目をつぶれば彼女の姿が浮かんでくる。


突っかかってきたときの鋭い眼光。


接客のときに見せていた不器用な笑顔。


実家に戻ったときの無邪気な表情。


そんな張丘の姿が次から次へと浮かんで、俺の睡眠をさまたげた。


「おはよう。今日も頑張ろうね。って、ちゃんと寝れた? なんか目にクマができてるけど」


俺は問題ないと返事をし、枕が変わって寝つきが悪かっただけだと答えた。


そんな状態でも仕事は始まり、忙しい一ヶ月はあっという間に過ぎていった。


その合間に張丘の地元を案内されたりと、彼女との時間を楽しんだが、心の底ではずっと言葉にできない気持ちを抱えていた。


俺は彼女のことが好きだったのか。


正直よくわからない。


今まで恋愛などしたことがないので、そういうときにどういう気持ちになるかなんて経験がないからだ。


だがこの胸の痛みは、俺が彼女といて楽しかったことの証だと思う。


最終日に、彼女の実家である料亭の玄関で、張丘の祖父をはじめ従業員や仲居さん、板前さんたちが見送ってくれた。


結局流れてしまったのか。


俺と張丘の料理勝負の結果は発表されなかった。


きっと負けだろうが、どうせならと俺は、彼女と居られる貴重な時間を楽しもうと思った。


以前はしなかった他愛のない会話を続けながら、帰りの新幹線に乗り込む。


「ねえ、勝負の結果……気になる?」


新幹線が動き出し、窓から見える景色が変わり始めた頃。


こちらを見つめてきた張丘が、急に真剣な表情で言ってきた。


俺は本当は気になるのに、わざと別にと強がると、彼女がムスッと頬をふくらませていた。


「なにそれ? やっぱわたしなんて眼中にないってわけ?」


そんなわけあるか。


できることなら、ずっとこのままいたい。


でも、結果を聞いてしまったら、もう一緒にいられなくなるだろう。


「まあいいや。さっきおじいちゃんからメール来たから、わたしとあなた、どっちが勝ったのか興味なくても言うね」


言うな。


言わないでくれ。


この時間が終わってしまう。


「結果は――」


やめてくれ。


俺はこのまま君といたいんだ。


叫びたい気持ちを押さえて俺が俯いていると、張丘はついに口にした。


その内容は――。


「わたしの勝ち! 全員一致でね。ハッハハ! やっとあなたに勝てたよ! サークルやバイト先での勝負じゃずっと負けてたからすっごく嬉しい!」


これで、張丘が俺に突っかかってくる理由はなくなった。


わかっていたことだった。


ずっとわかりきっていたことだった。


でも、それでもどこかで奇跡が起きるんじゃないかと淡い期待をしていた自分がいた。


俺は俯いた顔を上げて無理に笑顔を作り、彼女によかったねと伝える。


最初のサークルでの勝負から張丘のほうが実力は上だったと、落ち込んでいるのを悟られないように、思いつく限りの言葉を口にした。


すると、彼女が――。


「でもね。みんな、あなたの作った料理も美味しかったって。あのときの料理って、仕事の後で疲れているみんなのこと考えて作ったんでしょ?」


訊ねられて俺は答えた。


たしかに意識して、そういう料理を出したと。


梅やキムチ、アーモンドや山芋は疲労回復にいいとされる食材で、自分が疲れていたのもあって、どうせ作るならそういう料理を食べてもらいたいと思った。


そのことを伝えると、張丘はクスッと上品に笑う。


「やっぱりそうなんだ。みんなはそのことに気が付いてたよ。それでおじいちゃんがこう言ってきたの。おまえは技術はあるがそういう気配りができないって。だからもっと、あなたから学ぶようにってさ」


「そ、それって……」


「勝負に勝って試合に負けたってやつね。というわけで、まだまだあなたとの勝負はついていない。これからもガンガン挑んでいくからそのつもりでね」


彼女はビシッと人差し指を突きつけてきて、これからも張り合っていくと宣言した。


俺はなんだか全身の力が抜けてしまい、よろよろと座席に全体重をかけて寄りかかる。


「ちょっとどうしたの!? さっきまで元気だったのにぃッ!? そんなにイヤなのわけ!?」


声を張り上げた彼女を見た俺は、なにも言うことができず、ただ不器用な笑顔を返すことしかできなかった。


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