番外編)八月の金魚ハンター

 花火にお祭り。

 風鈴、ラムネ、蝉の声。

 色が鮮やかな夏は、賑やかな音にも心が躍る。


 そんなある朝、和菓子屋「寿々喜」にて。

 柏木慶子さんは、店内を水拭きしていた手をピタリと止めた。


「……だから。作らないとは、言っていない」

「でも、まだ作ってないじゃない」


 会話の主は、慶子さんが師匠と崇める和菓子職人の店主と、奥さんの女将さんだ。

 開店前なので、幸い店にはアルバイトの慶子さんと和菓子屋夫妻の三人だけではあるが。

 なにやら不穏な会話に、慶子さんはそろりと振り返る。

 すると、ばっちり女将さんと目が合った。


「柏木さんだって見たいはずよ。『寿々喜』の錦玉羹の金魚ちゃん」

「……あの、それは」

 心臓をバクバクさせながら、とんでもないことになったと慶子さんは青ざめる。

「おい、柏木さんを巻き込むな」

「いいえ。柏木さんも当事者です」

 師匠が、虚を突かれたような顔をした。

 こうなったら仕方がない。

 慶子さんは手の布巾をぎゅっと握り、口を開く。

「実は、わたし。……この夏、金魚ハンターになったのです」

「金魚……ハンター?」

 いつになく間の抜けた師匠の声に、女将さんだけが大きく頷いた。



 夏には、ある有名な菓子がある。

 錦玉羹の中で泳ぐ金魚の、愛らしくも涼しげな菓子だ。

 和菓子ビギナーの慶子さんのこの夏の目標は、金魚ハンターとなりその菓子を一つでも多く買い求めることだった。

 情報は、雑誌や本、インターネットで仕入れ、それをもとに七月からあちこちの店に出向いている。

 もちろん、店で購入するのは金魚だけはない。

 金魚をきっかけに、はじめましてのお店で様々な菓子を買うのも、楽しみの一つだった。

 二週間ほど前だろうか。

 そんな話を何気なく女将さんにしたところ、女将さんの目はギラリ……ではなく、キラリと光った。

「わかる! 夏と言えば、金魚ちゃんよね! でも、うちの店では出したことがないのよ」

「そうだったのですね。素敵な夏のお菓子は、他にもたくさんありますものね」

 そうか、寿々喜では金魚はないのか。

 残念だなとは思うけれど、どの菓子を作り、店に並べるかは、師匠が出した結論だと思うので、慶子さんが口を挟むべき話ではない。


 あの店にはあるけれど、この店にはない。 


 同じ時季でも、並ぶ菓子は和菓子屋によって違う。

 だからこそ、いろんな店に足を運ぶ楽しさがあるのだ。

 もちろん、同じ種類やテーマ、菓銘の菓子を、それぞれの店で見て味わうのも興味深い。

 つまりが、どうしたって和菓子は楽しい。


 そんな風に、慶子さんの頭からはすっかり「寿々喜」の金魚は消えていたのだけれど、女将さんは違ったらしい。

 とはいえ、当事者であると紹介されたわけなので、慶子さんは今まで行った店や、これから行こうと考えている店を何店か師匠に伝えた。


「いやはや。予想以上に、いろんな店に足を運んでいるんだね。特に、個人の店には、こういったお客様が来てくださることはありがたい話だと思うよ」

「だから、柏木さんが金魚ハンターになったように、他にも柏木さんみたいな子がいるかもしれないのよ。金魚ちゃんは写真映えするから、若い子が和菓子に興味を持つきっかけになると思うの――ってことで、金魚ちゃんよっ! 三代目!」

 師匠は、寿々喜の三代目で、女将さんはちょくちょくそう呼んでいる。

「……金魚か。ぴんと来ないんだよな」

「来なくても、来るように捻り出すのがプロ!」

 腕を組みながら奥に下がっていく師匠のあとを、女将さんが「三代目、ファイト!」と追いかけた。



 ぴんと来るか。ぴんと来ないか。

 物を作り出すには、理屈ではない閃きがあるのかもしれない。

 アルバイトを終え帰宅した慶子さんは、自分の部屋で和菓子について記したノートを開いた。

 いつの頃からか、こうして食べた菓子をイラスト付きで記録し始めている。

 最近のページは、金魚ハンターの名の通り、金魚が多い。

 錦玉羹の形は、四角やドーム形。植木鉢や茶巾のようにしぼった形もある。

 錦玉羹の色も透明から薄い水色に琥珀色。

 錦玉羹だけでなく水羊羹と二層になったものもあれば、水羊羹の上に薄い羊羹で作った赤や白の金魚を載せたものもあった。

 金魚も赤に白に黒。本物並みに模様が描かれたものもあり、職人さんたちの技が発揮されている。

 金魚の数も、一匹もいれば十匹以上もいる大きな錦玉羹もあり、作り手の遊び心も感じた。

 ふと、慶子さんは、こんな自分を不思議に思った。

 和菓子と出会ってから、約一年半。

 もし、あの三月に、和菓子屋「寿々喜」に迷い込まなければ、こんな風に金魚について考えることはなかったのだろう。


 菓子との出会いも、人との出会いも一期一会だ。


 そう思いながら、慶子さんは明日出会う金魚の菓子ついて考え、わくわくとした。





 初めて足を踏み入れた和菓子屋のショーケースには、「金魚」の菓子がかろうじて二つだけ残っていた。

 早い時間に来たつもりだったけれど、出遅れたようだ。

 慶子さんの前には、背の高い金色の髪の男性が一人。

 男性のシャツには、慶子さんの手のひらほどの大きな朱色の金魚が、何匹も泳いでいた。

 男性がショーケースを指差す。

「あとは、そうだな。錦玉羹の『金魚』を一つもらおうかな」

 和菓子屋の店員に男性はそう言うと、くるりと慶子さんを見下ろしてきた。

「キミも『金魚』を買いたいよね。でも、一個は俺が貰ってもいいかな?」

「もちろんです。お気遣いありがとうございます」

 なんて親切な人だろう。

 慶子さんは感激しながら、ぺこりと頭を下げた。

 男性が会計を済ませ、店を出た。

 それとすれ違うように、小さな女の子連れの母親が、店の戸をカラカラと開けた。

 女の子は一目散にショーケースまでやって来ると

「お母さん! 『金魚』、今日はあったね!」

 そう満面の笑みを浮かべた。



 買い物を済ませた慶子さんが和菓子屋を出ると、木陰にさっきの金髪の男性が立っていた。

 男性は慶子さんの近くまで来ると、持っている和菓子屋の袋を差し出してきた。

「買えなかったでしょ。金魚。よければ、どうぞ」

 驚きながらも慶子さんは首を横に振る。

「お店には、また来ます」

「でも、『金魚』は、そろそろ終わりだと思うよ」

「そうですが……」

「ほら、遠慮しない」

 ぐっと男性が袋を押し付けてくる。

「だったら、わたしが買ったものと交換してください」

 慶子さんと男性が互いに買ったものを伝え合うと、「金魚」以外は同じだった。

「お代を……」

「いや、いいって」

「でも」

「和菓子好き同士、またどこかで会うかもしれないしさ」

 その言葉にぴんと来た。

 慶子さんはバックから、和菓子屋「寿々喜」のカードを出す。

「わたしのアルバイト先です。いつもいるわけではないですし、ここからは少し距離もありますが。もし、お近くにいらしたら、是非お寄りください」

「OK、和菓子少女」

 和菓子少女って……。 

 どう反応していいのか、慶子さんは迷う。

「じゃ、またね」

 男性はひらひら手を振ると

「和菓子少女、あんまり人を信じるとやばいよ。その袋の中、泥団子かもよ」

 そうにやりと笑う。

「泥団子って、まさか」

 戸惑う慶子さんをあとに、男性は去っていった。




 さて。

 男性の冗談に翻弄されつつも、無事に購入した「金魚」をノートに記した慶子さん。

 その二日後、アルバイトのために「寿々喜」へと歩きながら、「金魚」についてはもめ事になるので女将さんには語るまいと決心し、店の戸を開けたところ。

「柏木さん、見て、見て。『寿々喜』の金魚ちゃんよ!」

 猛烈に嬉しそうな女将さんに迎えられた。

 清潔なショーケースには、竹の丸い入れ物に入った赤と黒の金魚がいた。

 菓銘は「夏祭り」だ。

「この『夏祭り』は、上から見るお菓子なのですね」

「そうよ。夏祭りの金魚だもの。上から見て、どれをすくうか決めて、パパっと手を動かすすのよ」

 女将さんが金魚すくいのポーズをした。

「ぴんと来たのですね」

「ようやくね!」

 なんでも、近所の保育園の夏祭りに女将さんと師匠は菓子の納品に行き、そこで、せっかくだから遊んでいこうとおもちゃの金魚すくいをしたそうだ。

「わたしも三代目も、その保育園に通っていたの。おもちゃの金魚すくいって、わたしたちが在園中からあったのよ」

 女将さんと師匠は、幼馴染みなのだ。

「お二人の思い出がお菓子になったのですね」

「そう言ってもらうとなんだかとてもロマンチックに聞こえるけれど。金魚すくいだからね」

「でも、いいですね」

 あら、そう、と女将さんが笑う。

「一つ質問してもいいですか?」

 慶子さんの問いに「どうぞ、なにかしら?」と女将さんが首を傾げた。

「わたしは、和菓子一年目で。そういったことで、たくさんの金魚が見たいと思っての金魚ハンターでしたが。女将さんが、金魚の菓子希望された理由は、なにかあるのですか?」

 女将さんの顔が陰る。

「……お客様に、似ているって言われたのよ」

「なににですか?」

「金魚よ。わたし、金魚に似てるって」

「……それは、あの。どこら辺が?」

「気になるでしょう? 気になるわよね。でも、聞けないわよ。にこにこしながら『あなたって、金魚に似ているわ』と言われたら、どうしてですか? なんて、聞けないものよ」

 そして、女将さんはそれ以来、なんとなく金魚が気になり。

 ついつい、金魚のチャームまで買ってしまったそうだ。

 そこまで来てようやく「そういえばうちには金魚の菓子がないわ」と、気づいたらしい。

「一度ないと思うと、無性に気になって」

「そういうの、わかります」

「で、『金魚の菓子は作らないの』って聞いたら『今のところ、考えてない』とか『ぴんと来ない』とか言うでしょう? そう言われると、わたしもむきになって。で、柏木さんまで巻き込んでしまったの。ごめんなさいね」

 女将さんの話を聞いた慶子さんはほっとし、「金魚」を購入した話をした。

「ですので、もしかすると、そのお客様がいらっしゃるかもしれませ――」

 慶子さんは、女将さんに両肩を掴まれる。

「柏木さん、世の中には悪い人がたくさんいるの。だから、今後一切、知らない人から食べ物を貰ってはダメよ」

「……そうですよね」

 時間はわずかだったし、常連さんみたいだったし。

 姿は派手だったけれど、慶子さんにはそう悪い人には思えなかったのだ。

 でも、そんなのは単なる思い込みかもしれない。

 なにより、自分を心配してくれる人の想いを否定するのは、違うと思った。

「あぁ、もうっ! 学はいつ帰ってくるの? わたし、もう、ひやひやなんですけど」

 ひょいと師匠が奥から顔を出す。

「そろそろ、開店時間だぞ」

 師匠の言葉に、慶子さんと女将さんは背筋をぴっと伸ばした。




 店を清め、菓子を揃え。


「では、柏木さん。今日もよろしくね」

「はい、よろしくお願いします」


 女将さんと慶子さんの笑顔を合図に、師匠が和菓子屋「寿々喜」の暖簾を掛けた。


                               (おしまい)


◆◆◆

この番外編は

「わたしと隣の和菓子さま」発売一周年

        ×

9/15の発売の新刊

「代官山あやかし画廊の婚約者~ゆびさき宿りの娘と顔の見えない旦那様」記念

で書きました。


どの辺がコラボかと申しますと、公に言えるのは、慶子さんが出かけた街が、わたしの脳内では代官山であるといったことでしょうか(笑)。

それくらい自然に書けたので、よかったなと思いました。


また、まさかの文鳥繋がりのキーワード「泥団子」まで。


※「代官山あやかし画廊の婚約者」×「文鳥シリーズ」のコラボ小説「文鳥ですが転生しました!」もあります!


文鳥とレイモンドが現代日本に転生したの物語。

自作小説とはいえパロディになるため、noteに掲載中。

こちらの方が「代官山あやかし~」の物語の雰囲気がわかります。

https://note.com/kanoko01/n/n8c89f6a456fe 


そして、金魚に似ていると言われたのは、わたしです……。




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web版 わたしと隣の和菓子さま 仲町鹿乃子 @nakamachikanoko

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