13-⑪
信号でバスが止まる。歩道の向こうから、花束を持った制服姿の少女たちが歩いてきた。バスに乗る慶子さんは、高い座席から彼女たちを見ていた。
中学生だろうか。胸に可愛らしいコサージュをつけている。彼女たちの声は聞こえないけれど、くすくすと笑うような、そして、時折涙ぐむような、そんな様子は見てとれた。
慶子さんは、彼女たちの姿にかつての自分を重ねた。高校の卒業式の帰り、今でも仲の良い山路やまじ 茜あかねさんや常盤ときわ 冬子ふゆこさんと、じゃれ合う様に、くっつきながら駅までの道を歩いた。四月からの新しい出会いや学びに胸を躍らせる反面、今までと同じ距離にはいない二人を思うと不安になったのを、今でも覚えている。
高校三年生の剣道部で彼女たちと親しくなる前、慶子さんの気持ちは学校生活にはなかった。病気の母親を気遣う毎日だった。だから、あの最後の一年間だけが、高校生らしい青春をおくれた日々だと思っていた。
けれど、そうではないと、近ごろ思う。今、慶子さんが前を向き自分の足で歩いて行けるのは、あの奇跡の様な一年間だけでなく、慣れない料理を覚えたり、授業参観に来てくれた父親の疲れた顔を見て切なくなったり、退院した母親と近所を歩いたことだったり。そんな苦しく心細いと思っていた時間ときさえ、すべて自分の糧になっていると思えてきたのだ。
一生懸命に生きていた。
その事実が、今の自分を支えている。
青春とよばれる瞬間ときが、甘いばかりではないと、慶子さんは知っている。持っていき場のない悲しみや、憤りもあるだろう。そして、子どもゆえに、非力で無力であると打ちひしがれるときだってある。
――頑張れ。
それでも、凌いでほしい。負けないでほしい。出口はきっとある。あの頃の不安な自分を思い出し、そして、これからのあの少女たちに向けて慶子さんはエールを送った。
停留所に近づくにつれ速度を落とし始めたバスの窓から、見慣れた背の高い姿を見つけた。慶子さんは、ほっとため息をつくと、バスが止まったのを確認してから、ゆっくりと席を立った。手すりにつかまりながら慎重に、一段一段ステップを下りていく。
すると、慶子さんが完全に降り立ったのを確認したかのように、静かにバスの扉は閉まり走り出した。
「おかえり」
慶子さんの荷物を持つと、慶子さんの帰りを待っていた背の高い人は、優しい声でそう言った。
「ただいま」
慶子さんは、自分と同じ指輪を嵌めた、若旦那こと、鈴木すずき 学まなぶ君を見上げた。
「歩ける?」
学君は慶子さんと手を繋ぐと、心配顔でそう聞いてきた。
慶子さんは大きなお腹を労わるようにさすると「大丈夫よ」と、ほほ笑んだ。
慶子さんは、お腹に赤ちゃんが宿ってから、知っている人、知らない人に係わらず、自分のふくらんだお腹に人々からの優しい視線が向けられることを感じていた。
そして、そのたびに、心の中にじんわりとほっこりとした幸せが広がり、その嬉しい気持ち全部が栄養になって、お腹の赤ちゃんにも送られるような気持ちになるのだ。
慶子さんは学くんを見上げて、ほほ笑んだ。
そのほほ笑みは、青空のもとでぱっと咲いた白梅のようだった。
「おーい、おかえり!」
お店の横に最近常設された縁台では、和菓子とは一番縁遠い風情の御隠居さんと、御隠居さんのお友達の近所のおばさまがたがお茶を飲んでいた。
そして、よく見れば、顔を皺だらけにしながら茶をすする御隠居さんの悪友、最中屋店主の姿もあった。
お茶の側には、学君が作った小ぶりの上用饅頭「春宝しゅんぽう」があった。
小さな白いお饅頭には薄紅色したぼかしがはいり、その上には桜の花の塩漬けが載せられていた。
慶子さんが初めて「寿々喜」で買い求めた「仙寿」に込めた願いは叶えられ、慶子さんの母親も、そして、もちろん父親も元気だ。
師匠も女将さんも御隠居さんも、ありがたいことにみな元気で、慶子さんに宿る「春の宝」の誕生を楽しみにしている。
学君の小さかった弟たちも、時折二人揃ってお店に遊びに来ていた。
「ただいま!」
縁台に座り手を振る御隠居さんたちに向かい、慶子さんは元気に答える。
弥生三月、幸せ月。
季節は、なんども巡っても。
慶子さんの隣には、和菓子さま。
この先も、ずっと。
(了)
◇長い物語にお付き合いいただきありがとうございました◇
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