ヤマタノオロチを酔わせにゃならぬ

カニカマもどき

むかしむかし

 無敵の英雄ことスサノオノミコトは、窮地に立たされていた。

 ヤマタノオロチを退治するなどということは、もはや無理なのではないかと考え始めていた。

 なぜ、このような事態に陥ってしまったのか。


 スサノオが村人からヤマタノオロチの話を聞いたのは、半日ほど前のことである。

 村人いわく、この世にも恐ろしい大蛇の怪物は、八本の首と尾、山のように巨大な体を持ち、口から火炎のような毒気を吐く。周辺の村々に災いをもたらすばかりでなく、年に一度、生贄として若い娘を要求するという。村人たちは、圧倒的な力を持つオロチに逆らえず、泣く泣く要求に従っているらしい。

「ならば、俺がそのヤマタノオロチとやらを退治してやろう」

 スサノオは自信満々に言った。


 だが、さすがのスサノオとて、そのような怪物に正面からぶつかるのは無謀である。そこで、スサノオは一計を案じた。

 まず、村人に大量の酒を用意させる。それを大きな酒壺に満たし、オロチの縄張りに仕掛けておく。オロチが酒を飲み酔い潰れたところで、スサノオが颯爽と登場し、八本の首を全て切り落とす。完璧な作戦だ、と思った。


 故に、酒を仕掛けて数刻後、意気揚々とオロチの縄張りに足を踏み入れたとき、全く酔っ払っていない様子のオロチと諸に鉢合わせてしまったのは、スサノオにとって完全な誤算であった。

 そういったわけで冒頭に戻る。



 蛇に睨まれた蛙のように身を縮こませ、冷や汗をかいていたスサノオは、しかし、次第に冷静さを取り戻しつつあった。

 深呼吸をし、思考を巡らす。

 そうだ、後ろ向きな考えに支配されてはいけない。まだ逆転の目はいくらもある。こういうときこそ、注意深く相手を観察し、次の一手を的確に見極めることが肝要である。

 改めて、目の前のオロチを見る。ぎょろりと睨み返される。大変怖い。八本の首についた、十六の瞳がこちらを睨んで……はいなかった。よく見ると、睨んでいるのは首六本分、十二の瞳である。残り二本の首はというと、酔い潰れてぐうぐうと眠りこけていた。

 どうやら、スサノオ渾身の酒作戦は、一部効果を発揮していたらしい。


「お前か……この酒を持ってきたのは」

 オロチが話しかけてきたのは、そのときである。「オロチは人語を喋るのか」とスサノオは内心大いに動揺したが、

「如何にも」

 と毅然とした態度で答えた。もっとも、少々声は裏返った。

「なぜ酒を持ってきた」

「オロチ殿にふるまうために」

「なぜ我らに酒をふるまう」

 我らというのは、オロチの八本の首のことであるようだ。

「それは……」

 まさか、酔わせて首を切るためとは言えまい。かといって、上手い言い訳も思いつかない。あまり媚びへつらったような返答もしたくない。

「フン……まあ良い」

 スサノオが思案に暮れていると、オロチは疑いの眼差しを向けつつも、話を先に進めた。

「実は、この酒がもっと欲しい。なかなか美味かったが、一郎と八兵衛はちべえが阿呆のようにがぶがぶと飲むので、あっという間に空だ。我はまだまだ飲み足りぬ。追加の酒を持て」

 スサノオは、一瞬ぽかんとした。

 オロチの首一本ずつに名前があり、酔い潰れた二本はそれぞれ一郎・八兵衛という名であるという事実にも驚いたが、何より、オロチが追加の酒を所望するという、願ってもない展開に驚いた。

 追加の酒を提供し、飲ませ続ければ、いずれ八本の首はすべて酔い潰れるであろう。そうなれば当初の予定通り、首を切り落とし、オロチ退治は完遂。大団円の万々歳となる。


 とはいえ、ここは人里離れた、山深くに位置するオロチの縄張り。追加の酒壺を用意するのも容易ではない。スサノオはどうするつもりであろうか。

 するとスサノオはニヤリと笑い、

「実は、追加の酒ならすでに用意してある」

 と言いつつ、近くの茂みから酒壺をずるりと引っ張り出した。

 さすがは千の策を持つ男ことスサノオ、と言いたいところだが、その酒壺も最初から仕掛けておけば良かったのでは?



 ともあれ、酒作戦続行である。

 話しかけてきた首――次郎吉じろきち――をはじめとするオロチの首たちが酒を飲み始め、スサノオはほっと胸をなでおろす。しかし、まだ気は抜けない。八本の首すべてが酔い潰れるまで、オロチたちにじゃんじゃん酒を飲ませなければならぬ。そう考えていると、さっそく酒の進んでいない首を見つけた。これは良くない。

 スサノオが素早く酒を持って近寄り、話しかける。

「失礼。つかぬ事を伺うが、この酒は貴殿の口には合わなんだか」

「ん? やー、アンタの持ってきた酒が悪いわけじゃねんだわ。酒の質は文句なし。ただ、アタシは今、もう少し甘口のが飲みたい気分ってだけでね」

 悪いね、気にしないでとその首――ナズナ――は言うが、スサノオとしては気にしないわけにもいかない。じゃんじゃん飲んでもらわねば困るのである。

 だが、もう少し甘口の酒を今から用意することはやはり困難。

 どうするつもりなのだ、スサノオは。

「実は、それも用意してある」

 と言いつつ、茂みから酒壺をずるり。それも最初から仕掛けておけば良いのに。


 その後も、スサノオはオロチの首たちの要望に次々と答えていった。

 つまむ物がほしい、とゴローに言われれば、道すがら狩ってきた猪の肉や山菜、持参した調味料を使い、ササッと炒め物などを提供した。

 また、面白い話をしてくれ、とヨンに言われれば、

「これは旅の者から聞いた話なのだが、ある山道で、頭に土器を被った男が向こうから歩いてきて……」

 と巧みな語り口で話して聞かせた。

 さらに、音楽がほしいと権三郎ごんざぶろうに言われれば、即席の楽器を打ち鳴らし、優雅かつ力強い歌声と舞も披露してみせた。

 こうして、宴は大いに盛りあがった。


 だが、いかに宴を盛り上げようとも、オロチの全ての首が酔い潰れるということは一向になかった。考えてみれば当然のことだ。参加者八人全員が潰れて終いとなる宴会など、そうそう無いのである。

 大体、次郎吉やナズナはいくら飲んでも全く酔わない様子であるし、ゴローは下戸故に酒には全く口を付けていないようであるし、そうこうしているうちに一郎も復活してきたしで、もはや手に負えない。

 酒作戦は、完全に瓦解したといって差し支えなかった。



「詰んだ……やはりオロチを倒すなど無理だ、無理無理……」

 スサノオは再び後ろ向きになり、ブツブツ呟きはじめた。何度でも立ち上がる男ことスサノオもここまでか。

「隣、よろしいですか?」

 そこに近づき話しかけてきたのは、オロチの首の一つ、六角ろっかくであった。スサノオは動揺しつつも、「どうぞ」とぎこちなく返答する。

「……」

 しばし無言。やがて、六角が再び口を開いた。

「スサノオさんは、我々を退治しに来られたのでしょう」

 唐突な問いに、スサノオはあわや口から心臓が飛び出るところであった。

「な……なななな……何を馬鹿な……!」

「隠さずとも良いのですよ。初めから分かってはいたのです。わざわざこんなところまで、化物に酒をふるまいに来る奇特な人間は普通いない。それに、あなたには強者の気迫と雰囲気がある」

「……」

「しかし、戦うのはやめておきましょう。あなたは本来、争いを好まれないように見受けられますし、この宴会を通じ、さらに闘争心が萎んでいるようだ……我々も同じです。だからあなたとは争いたくない」

 スサノオは戸惑う。戦いたいとか戦いたくないとか、敵うとか敵わないとか、そういうことではないのだ。やらなければならない。

「残念だが、その提案は飲めない。貴殿らを打ち倒し、災いと生贄を止めなければ……」

「災い? 生贄?……ああ、そのことでしたら……」

 スサノオが刀を構え、六角が何か言いかけた、ちょうどそのとき。

 山の奥の森から、がさがさと音を立て、無防備に姿を現す者がいた。

「もー、一郎さんたち、また飲んでるの? そろそろ家に帰るよー……ってあれ? お客さん?」

 それは、生贄としてオロチへ捧げられたはずの、村の娘であった。



「つまり、オロチたちは最初から災いをもたらしてもいないし、生贄も要求していないと」

「そういうことです」

 娘とオロチから聞くところによると、荒天や日照りといった災いをオロチの仕業とし、生贄を捧げればそれらが収まる、と勝手に考えたのは近隣の村人であった。


 この七年間で生贄に出された七人の娘たちは、のこのこと村に戻るわけにもいかず、途方に暮れた。そこでオロチが娘に力を貸し、山奥に小屋を作り、ひっそりと自給自足の暮らしを続けてきたということである。

「慣れたら、そう悪くないんですよ。ここの暮らしも」

 娘たちは、あっけらかんとしてそう言った。

 続けて、六角が口を開く。

「どうです、スサノオさん。もう我々と戦う理由もないでしょう」


 結局、スサノオは村人に、オロチを退治したと嘘の報告をした。

 その後、年に一回程度、スサノオは、オロチや娘たちと一緒に酒を飲むようになったという。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヤマタノオロチを酔わせにゃならぬ カニカマもどき @wasabi014

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説