45:未来への道

 もうじき三月を迎える。節分はとうに過ぎたというのに、洗井の目の前には今日も豆が器一杯に盛られている。

『鬼と化した人間を元に戻す薬ができたとして、鬼へその薬を摂取させる必要がある。陰陽師たちは異常な腕力を持つ鬼を、どのようにして制圧していたと思う?』

 この粛清がはじまるとき、研究を統括していた鹿威会幹部のひとりが口にした言葉を思い出す。

 いちいち癪に障るやつだ。洗井も『陰陽師薬餌録』に記されていたので知っているというのに、わざとらしく講釈を垂れやがった。

 陰陽師は鬼に匹敵する力を手にするために、特殊な豆を栽培した。蚊による変化とは違い、一過性の力を与えるものだ。あいつはその豆の栽培をお頭に任されていた。

 成果の報告を耳にしなかったから、まったく進んでいないものだと思っていたが、まさか自分が実験台にされるとは。

 豆と水しか与えられていないが、意外なことに筋肉がやせ細ることもなく、体も健康そのものだった。ただ超人的な力はいまのところ見られない。

 お頭の役に立てる。その点では豆によって力を得たいが、同僚の成功に繋がることを思うと複雑だ。そんな心境のなか、洗井は豆を口に放り込んで砕いた。



「なんとかラビの誕生日には間に合いそうだって」

 永遠はたったいまキョー都の徹との通話を終えたスマホを、近くのデスクに置きながら言った。デスクでは真鶴円が五枚のモニターに向かう。

 キーボードを叩く円の姿は、やはり病人であることを感じさせない快活さがある。ケアキャップにパジャマ姿も、ファッションですと言われれば通ってしまいそうだ。

 トーキョー。真鶴病院。円の病室に隣接して、このラボが増設されたのが永遠たちが十二歳のころ、五年前だ。円の仕事場であり、永遠との遊びの場だ。

 病室は昔から変わらず、永遠には理解できない『かわいい』で統一されているが、ここは無地で機能的なもので埋め尽くされていて永遠好みだ。

「まったく、マルちゃんが変なところにこだわるから」

「変なところって」円がタイピングの手を止める。「不忍装束のときもそうだったけど、ラビが無頓着すぎるの。あのときも言ったじゃん、キョー都の守護者がダッサいジャージじゃ、締まらないでしょって」

 円の言う不忍襦袢は、四か月ほど前に麝香霊利と戦うためにラビに作ったものではなく、それを改良した新型のことだ。いまは兎束家に留まらず、キョー都の不忍に使ってもらっている。

 永遠はそのままジャージの形で開発を進めていたが、円に別のことでアイデアを求めたときに、ダサいと一蹴された。結果的に細身のパーカーとジョガーパンツという形に落ちついた。

「そうだけど。わたしだって言ったよね、ジャージって特別なものじゃないし、親近感が湧くんじゃないかって思ってるって。それに動きやすいし」

「わたしだってジャージを否定してるわけじゃないからね? ジャージだってかっこいいのとかあるし。たださ、不忍だよ? ジャージのダボ感はスタイリッシュさに欠けるよ。っていうのも言ったよね」

「うん、言ってたね。だから今回はそのときの教訓を活かして、ジャージはやめたでしょ?」

「センスなーいっ」円が大げさに首を横に振ってため息を吐いた。モニターの一枚を指さす。「無地の全身タイツなんて、誰が着たいと思うの? こんなの着せたら、ラビは変態だって、キョー都中から笑いものだよ」

「そう、なの……かな? だとしたら、たしかにいやだけど……」

 永遠は円の横のキャスター付きの椅子に座り、一緒にモニターを見る。円が指さしている画面には、罫線の入ったノートをスキャンして取り込んだ画像が表示されている。永遠が手書きしたものだ。性能は違うものだが、デザインという点で見るとアンダーウェアである不忍襦袢に近い。全身タイツと言われても仕方がないのは理解できる。

 永遠のデザインの隣のモニターには、円が直したデザインが映る。体の線が出るのは変わらないが、ラインや差し色などを使っていることでたしかに全身タイツ感はなくなっている、ように思える。

「機能だけあればいいわけじゃないんだよ」円が椅子の背もたれに体を預けて伸びをする。「覚えといてよね。いつまでもわたしが手直しできるわけじゃないんだから」

「ちょっとマルちゃん。わたしの研究が間に合わないって思ってるわけ?」

「え、ごめんごめん」姿勢を戻した円が笑う。「言葉の綾だよ。永遠ならわたしを治してくれるって思ってるから。今回だって、ラビの誕生日には間に合うわけだし」

「マルちゃんが遅らせなければ、間に合うかどうかの話題なんて出なかったけどね」

「じゃあ」円は天井を見上げて考える素振りを見せた。「もしわたしの病気が治らなかったら、きっとそのときはわたしのせいになるのかもね」

「どういう理屈?」

 円が永遠の左手を両手で包みこむように握って、まっすぐと目を見つめてくる。

「こうやって永遠と楽しい時間を過ごしてるせいで、研究の時間を削ってる」

 永遠は空いた右手を円の手に添えた。「それならわたしのせいでもあるじゃん。研究の手を止めてる」

 ラボが寂寥せきりょう感に包まれていく気がした。ふたりとも出会った当時より多くを学んだ。希望した未来を手にするのが簡単ではないという現実を知っている。

 永遠も円も治療を諦めているわけではない。ただ、不意に押し寄せてくる不安はどうしても避けられない。寂しさを分かち合い、未来を勝ち取るための意思を固くする。そんな儀式のようなもの。

 こんなとき永遠は悔しく、もどかしく思う。円の病気の治療法は確実にある。それは十二年前からわかっている。ノートは重要な部分を明かさなかった。どうしてあのとき、見れなかったのか。

「てかマルちゃん」永遠は気丈に鼻で笑ってみせた。「もしもの話をしたってしょうがないよ」

「仮定を立てるのは科学者として日常茶飯事じゃないの?」

 仮定。治療法が見つからないのはなぜか。いくらでも考えた。永遠の中で一番有力なのは、人工物のみに働く仕組みがわかる能力との関係。医学には生物に関する知識が含まれている。だから永遠が仕組みを知りえていない事象があり、それが原因になっているという考え。

 ただし三か月前、キョー都で発現した異常な計算能力。あのときラビたちの動きさえ把握し計算に含めていた。状況が状況だった当時は、火事場の馬鹿力的に能力が一時的に向上した。そう考えられる。それならば能力として到達できる範囲だということだ。体へ大きな負荷をかけることにはなるが。

 仮に体を慣らしていけば、意図して使うことができるのだろうか。いまの永遠にとって、訓練と研究の一番の対象だ。

「ちょっと、黙らないでよ。もおっ」円が椅子から立ち上がった。「だめだめ! こんな辛気臭いの、花の女子高生には似合わない!」

 円はパソコンをスリープモードにすると、再び永遠の手を取って引っ張ってきた。円の力強さに永遠は立ち上がざるを得なかった。円の顔は、普段よりあどけなく見える。永遠は思わず乾いた笑いを漏らした。本人に言ったことないが、永遠はこの顔の円を『女子トークモード』と名付けていた。

「さあ永遠! 今日は寝かさないよ!」

 病室へ繋がる扉へと腕を引かれる。

「いや、マルちゃん。寝れるならちゃんと寝てほしいんだけど」

「なに言ってんの、はじまったばかりだよ、夜は。まずは学園生活二年生編の最終章をじっくり聞かせてもらおうか!」

 扉を抜けると『かわいい』と無骨な医療機器に囲まれるベッドに強制的に座らされた。

「聞かせられるほど行ってないから、学校」

「またそうやって!」円が永遠の隣に弾むように座る。「ちゃんと行くってわたしと博士と約束したじゃん」

「行けるときは行くって約束」

「それ、三年生になれるの? 留年編突入?」

「最低出席日数に届いてなくても、試験はできてるし、夏休みとかに補習に出席すれば問題ないの、あの高校。ほかの生徒も少ないしそのほうが気が楽」

「そんなんじゃ駄目!」円が永遠に縋りついてくる。「と~わ~、わたしに、わたしに青春を吸収させて~、ねぇ~ と~わ~」

「……経口それとも経皮? もしくは――」

「永遠っ!」

「……だって、研究が」

「青春だって大事! 高校最後の年くらい、ちゃんと行ってよ」

「けんきゅ――」

「はい! 今回、戦闘補佐AIの開発をしたのは誰ですか? はい! わたしです! ねえ永遠、わたし引く手数多のプログラマーなんだよ? わざわざ時間空けてあげたんだよ? そもそもほかの人はちゃんと報酬をくれるんだよ? いままで報酬払ってくれたことあったっけ? そもそもさ、永遠がしてきたお願い、わたしが断ったことあるっけ? 永遠は結構はぐらかしたりするよね? ねえ、永遠? ねーえ? どうですか、永遠さーん」

「わかったよ……」

「よろしいっ! 学園生活三年生編、楽しみにしてるからねっ!」

 満面の笑みの円。この笑顔が続く未来を手にするための研究はまだまだ道半ばだ。学校に通っている時間も惜しい。しかし当の本人が、それを許してくれない。

 それにしても高校生としての青春を、このわたしが得られるのだろうか。永遠は思案する。まずは青春を定義するところからはじめるとしよう。




 White Notes - ホワイトノーツ-




 -完-

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